名大統領に隠された逸話
ジム・ツカゴシ
第1話 再選確実だった現職大統領の足を引っ張った男
大統領の予備選挙が存在しなかった20世紀前半は、共和党、民主党双方の党大会で大統領候補者を確定するのが伝統であった。
民主党選出で国際連盟の生みの親として知られる第28代ウッドロー・ウィルソンが1921年に2期目を終了し、後任に共和党選出のワーレン・ハーディングが就任した。この大統領は2年目にアラスカに出かけ、そこで食べた蟹の食中毒が治り切らないうちに肺炎に罹り病死してしまった。持病の高血圧が直接の死因だった。
そこで副大統領のカルビン・クーリッジが大統領に昇格し、再選を果したが、その次の大統領選では共和党内で勢力を拡大したハーバート・フーバーが選ばれ、1929年、31代目の大統領に就任した。
こうして1921年以降、共和党が政権を持続したままで、大恐慌の最中だった大統領選挙の年1932年を迎えた。国民の間で絶大な人気を維持したままの現職大統領のフーバーが、有力な対抗馬を擁しない民主党を破り次期大統領に再選されるものと広く語られていた。
ラスベガスの郊外に巨大なコンクリート製のダムが聳え立つ。ロッキー山脈を水源にし、途中でグランドキャニオンを流れ下るコロラド川をせき止めたフーバーダムだ。膨大な流量のコロラド川はミシシッピー川と並んで昔から広範囲に及ぶ氾濫を繰り返し、周辺の住民を苦しめてきた。その川をせきとめ、水害を無くすとともにその豊富な流量を利用した発電と、ネバダやカリフォルニアの乾燥地への灌漑を目的に1936年に完成したこのダムは、高さが220メートルに達する。
このダムにその名を残すフーバー大統領は、1874年、アイオワ州のクエーカー教徒だった鍛冶屋の息子として生まれた。ところが父親が心臓麻痺で6歳の時に、そしてその2年後には母親が腸チフスがもとの肺炎で死んでしまい、孤児になったフーバーは11歳の時にオレゴン州の叔父の下に送られて育った。
叔父を助けて不動産業を開業し帳簿付けを手伝っていたフーバーは、1891年に開校したばかりのスタンフォード大学に入学し地質学を専攻した。学費を自ら稼ぐ苦学を重ねて1895年に卒業すると鉱山会社に就職し、地質分析の専門家として国内の鉱山で働いた後にはオーストラリアや中国での鉱山業に従事した。中国では義和団の乱に巻き込まれたことさえあった。
こうして海外生活を送っていたフーバーはロンドンに滞在中に第一次大戦に遭遇した。アメリカ政府が中立の立場だったために、欧州に滞在中だったアメリカ市民は戦禍に巻き込まれてしまった。その米国人たちを救済するための組織を創出し、その長に就いたのがフーバーであった。やがて組織はアメリカ市民だけでなく欧州全域の戦災者の支援に活動を広げ、フーバーは組織の長として獅子奮迅の活躍をした。
アメリカが参戦すると、時のウィルソン大統領がフーバーをホワイトハウスに招いて食糧長官に任命した。その後は戦後の復興活動にかかわり、こうして大きな組織を効率良く運営する能吏として広く知られるようになった。ハーディング政権では商務長官を務めている。
クーリッジ大統領の後任に就任したフーバーへの国民の支持の高さはこのようなそれまでの華々しい公私にわたる実績があったからで、巨大なダムにその名が冠されたのも当時のこの大統領の名声の高さを語っている。
1932年初めには景気回復の兆しはあったが1929年に始まった大恐慌が収まらずアメリカ国民は大変な困難に直面していた。それだけにこの有能な現職大統領に優る人物は出現しないものと信じられ、再選は疑問視されることがなかった。
その大統領選挙に民主党選出の対抗馬として名乗りをあげたのが、当時はニューヨーク州知事だったフランクリン・ルーズベルトであった。しかし、1882年生まれのルーズベルトは39歳だった1921年に小児麻痺に罹り、自力では歩行も困難で、世間では大統領の激務に耐え得る人物とは見られていなかった。
共和党から選出されて20世紀初頭の8年間、第26代大統領を務めたセオドア・ルーズベルトの従兄弟にあたるフランクリンは、元大統領の姪であるアンナ・エレノア・ルーズベルトと結婚していたが、両家は折り合いが悪く、所属する政党も異なることから元大統領の筋からの支援を得ることもなく、フランクリンの周辺でも大統領選は苦戦と見られていた。
現在のような予備選挙がなかったこの時代には民主党候補の選出は6月末にシカゴで開催された党大会に持ち込まれた。その党大会でも数度の投票の後も過半数を制する候補者が現れず、大票田であるカリフォルニア州がルーズベルト支持に回りようやく大統領候補を選出するという、民主党は醜態を演じた。
ただ、ルーズベルトは後に大きな意味を持つ行動をこの時に取っている。
それまでの候補者は党大会には出席せず地元で待機するのが慣しだった。シカゴで開かれた党大会の結果をイリノイ州の州都スプリングフィールドで待ち望んだリンカーンの例がそれを語っている。候補者は選出されると鉄道を利用して会場に向かうために受諾演説は数日遅れが当たり前だった。
ところが、ニューヨーク州都オーバニーで朗報を手にしたルーズベルトは党大会の責任者に、直ちに飛行機でシカゴに飛び翌日に会場で受諾のスピーチをしたいと申し出たのだ。これを耳にした会場を埋める代議員たちから歓声が沸きあがったという。リンドバーグの大西洋無着陸横断飛行からわずか5年。飛行機は安全な手段とは考えられていなかった。取り巻き陣でさえ無謀な行為と非難したが、ルーズベルトにしてみれば身体障害者のイメージを払拭すべく命がけの賭けであった。しかしこの程度でフーバー現職大統領楽勝のムードを覆すことはなく、共和党政権の継続を予想する論評がマスコミを埋めた。
ところが、ここに思いがけない事件が降って湧いたのだ。
フーバーは財政均衡を最重視して緊縮財政にこだわり続けた。6月には裕福層からの税収増を狙って法人税、相続税などへの累進課税を採用する法案に署名している。クエーカー教徒の家庭に育ち欧州の戦災復興に辣腕を振るったフーバーらしく、富裕層にも相応の負担をさせることによって財政再建を図ろうとしたのだ。
事件は、第一次大戦終了直後に欧州に従軍した軍人への恩給として政府が発行した証券に絡むことだった。この政府が発行した証券は1945年に換金可能なボーナス証券だったが、恐慌で生活費に苦しむ退役軍人たちから支払いを繰り上げるように要求が出されていた。議会の一部にも救済を考慮すべきであろうとの動きが出ると、これを支持する元軍人たちによるデモが首都のワシントンで繰り広げられた。
2万人に達するデモは軍規を身に付けた元軍人にふさわしい統率のとれた静かなものだった。しかし、フーバーが均衡財政を崩すことになる換金を拒否し、上院もこれに同調すると、一部の参加者たちによって4夜連続で議事堂の周囲を行進し続ける「死の行進」と呼ばれた示威行為が起き、支援する他のデモ隊員たちが議会への階段を占拠する事態に至った。
占拠しているデモ隊の退散のために出動した首都警察とデモ隊との小競り合いが起きた7月28日、混乱の最中に一名のデモ隊員が死亡してしまった。
こうした事態の解決にフーバー大統領は政府軍の出動を要請した。フーバー自身は軍の出動には積極的ではなかったが、フーバーの閣僚に対する日頃の姿勢はコンセンサスを求めるもので、早期解決を主張する閣僚陣の意見を尊重したものだった。
ホワイトハウスの要請はデモ隊が野営用に設営していたテント村に退役軍人たちを押し戻すことであった。ところが、出動した政府軍は司令官の大将が騎馬で指揮に当り、部下たちはサーベルを抜いて退役軍人を蹴散らし、催涙弾の投入をも命じる強硬手段に訴えたのだ。司令官直属下にいたパットン(後の中将)は戦車を6台も出動させる過激ぶりだった。
独立戦争、南北戦争を通じてアメリカには退役軍人の処遇には特別の感情を抱く伝統がある。国の要請に応えて大西洋を渡り欧州での激戦に従軍した退役軍人たちを、犯罪者の如く扱ったこの軍の出動は全米に大きく報じられ、国民からは一斉に非難の声が沸きあがった。
恐慌で苦しむ市民の感情を逆なでするこの事件は、それまでフーバーを支持してきた選挙民の心を一挙に引き離すこととなった。フーバーの部下の判断に任せる常日頃のマネイジメント・スタイルが軍人たちの過激な行動を許し、それまで再選が確実視されていた大統領に対する信頼は坂道を転げるように地に堕ちてしまったのだ。
こうしてその秋の選挙では、落選確実ともっぱらの下馬評だったフランクリン・ルーズベルトがフーバー現職大統領に大差で勝つ結果となった。
現在は11月の大統領選挙で選出された次期大統領は翌年1月中旬に就任するが、当時は就任は3月初めだった。この3ヶ月余の間、人気凋落のフーバーは恐慌対策立案に次期大統領のルーズベルトを取り込むべく工作を繰り返した。しかしルーズベルトはそれに乗らず、2月には12日間のカリブ海周遊にヨットを繰り出して政権末期の混乱から距離を置いた。後年の老獪ぶりがすでに現れている。
12日間の周遊を終えマイアミに上陸したルーズベルトは歓迎の観衆に応えてオープンカーで滞在予定のホテルに向かった。その時、オープンカーの後部座席に座るルーズベルトをニュージャージー州出身の失業者が至近距離からピストルで暗殺しようとした。
観衆の列の背後で密かに機会を待っていた犯人が、ピストルの狙いを定めて引き金を引いた。ちょうどその時、犯人の隣で椅子に乗り上げて背伸びをして次期大統領を一目見ようとしていた女性がよろけてしまった。そのために5発発射された弾はルーズベルトを外れ、その一発が後続の車に乗るシカゴ市長に命中した。シカゴ市長は党大会では反ルーズベルトに徹した人物であったが、たまたまマイアミに滞在中でこの車列に加わっていたのだ。
警護陣の指示でルーズベルトを乗せた車が全速で現場を離れようとすると、ルーズベルトは二度に渡ってそれを制止し、重傷のシカゴ市長を傍らに乗せ病院まで付き添った。シカゴ市長は数日後に死亡するのだが、この冷静沈着なルーズベルトの行動は直ちに全米に報道され、神がもたらした新大統領だと唱える者まで出現した。飛行機を利用した勇敢な男は、政敵に対してさえ冷静沈着な配慮をする人物だと、為すことすべてが好意的な反応を呼ぶこととなった。
就任するや「最初の100日」として知られる短期間にフーバー政策とは180度異なる数々のニューディール策を投入して恐慌を収拾し得た背景には、このような市民の支持があったからだ。
後にアメリカ史上では唯一の4選を果す大統領の出現は、退役軍人に対する軍の常軌を逸した暴挙が起きなければ実現不可能であったと考えられる。世間の予想通りにフーバーが再選されていれば、アメリカの歴史も世界史も異なった過程を経ていたであろうし、日米戦争も違ったものになっていたはずだ。
逃げ惑う丸腰の退役軍人たちを騎馬姿で蹴散らした大将とは、ダグラス・マッカーサーその人だった。そしてマッカーサーに仕える部下として上官の“軍事行動”を苦々しく見守ったのが後の大統領、アイゼンハワーだったのだから因縁とは不思議なものである。
名大統領に隠された逸話 ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi
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