第1話 はじまり1

 グリュックスインゼル=パージ聖王権国家、通称ハイドリヒ王国はパンゲア大陸の北海岸線に位置する巨大国家である。

『聖王権国家』の名の通り、この国では王がすべての権力を握っていた。政治、法律、宗教に至るまで、国家を形成する権力全てが王の右手に集中している。この国にとって王族は神の遺伝子を継いだ現人神であり、文字通り人間たちの頂点に君臨する存在だった。

 その王族が住まうのは国の中心地、魔力が流れる霊脈の真上に建てられた白亜の城。


 現在の直系王族は国王とその子供たち五人だ。といっても全員腹違いだ。第二王子以外は数人いる妾の娘から生まれている。伝統的に正妃の嫡子を次期王権者と捉えるので、特に血で血を洗うような王権者争いは起きていない――

アルベルト・アリア・プリンツ=ハイドリッヒは、その五人いる王子の末に生まれた。


 *


「王子! アリア王子!」

 声変わりしたばかりだろう、少し掠れた少年の声が広い部屋に木霊する。外装と同じく白を基調とした王宮内において、唯一ド派手なパッションピンクに溢れた部屋だ。壁も床も家具に至るすべてが真っピンク。部屋を作った主の色彩感覚はお世辞にも上品とは言えないだろう。

 色で目が痛いのかパシパシと瞬きしながら、燕尾服を着た少年は困ったように眉を寄せる。

「王子、いらっしゃらないのですか?」

「いる」

「わっ! いるならすぐ返事してくださいよ~!」

 漸くのっそりとベッド(当然ピンク色だ)の影から姿を現した人影に、燕尾服の少年は少しだけ怒った声を出した。

 人影――黒いローブを身に纏ったアルベルトは、目にかかるほど伸びた前髪をうっとうしそうに手で払う。その隙間から覗く両目は白く濁っており、一目で視力を失っていることがわかるだろう。

「あー……なにか用か、ルディ。まだ飯時じゃあなかったはずだが」

 ベッドの端に腰かけ気だるげな声でそういうアルベルトに、少年ルディは身を正して報告の態勢に入る。

「はい! ソフィア様からお手紙が届いております!」

「ソフィアからか」

 アルベルトが手招きすると、ルディは駆け寄ってその手に桃色の便箋封筒を乗せた。ソフィアからの手紙だ。

 アルベルトは器用な手つきで封筒を開け、広げた便箋に手をかざす。淡青の光が手のひらから零れ、便箋に書かれた文字の上を走った。

 魔術の心得がないルディにとってそれは不思議な光景に見える。目の見えないアルベルトはこうやって文字を読むのだが、いったいどうやって読んでいるのかとんと分からない。しかも彼は文字だけではなく景色などもこうやって「みている」のだ。目が見えなくても「視力」がある。だから彼は一切人の手を借りなくても生活できるのだ……それはすごいことだとルディは思う。

「……よし、分かった。運んでくれてありがとうルディ」

「いえ、仕事ですから! お返事はお書きになりますか?」

「いや大丈夫だ。返事を必要としていない手紙だからな。ソフィアは日記を俺に送っているんだ。だから返事は書かない」

「は、はぁ」

「用事はこれだけか?」

「あ、いえ! もう一つ! 今夜は夕飯後、お話があるそうなので正装して王間へと言伝をと」

 そう言えば、アルベルトは明らかに嫌そうな顔をした。

「俺は今日の夕飯をかなり楽しみにしていたんだが……たった今最悪な気分になった」

「ぼ、ぼくに言われても困ります……」

 ルディの精一杯の言い訳も、怒りに細まった白濁の瞳に睨まれてしまえば虚しく霧散する。だがルディに当たっても仕方がないと思ったのか、アルベルトは胸に溜まった怒りを出すように一つため息を吐く。

「きっと祭りの話しだ……面倒な役を引き受けさせられるかもな」

「名誉あることですよ」

「面倒なものは面倒なんだ……しかし正装なんて言われても俺はろくなもの持ってないんだがな」

「以前姉様の婚約式で下ろしたものがあったはずです。それで良いのでは?」

「それは兄さまに取られたな。三番目の奴だ。あのずんぐりむっくりのデブ、着れる筈がないのに「ぼくにふさわしい」とか何とか言って、取っていきやがった」

 「たしか五か月前かな」なんてアルベルトは忌々しそうに呟く。ルディはなんと答えるべきか迷い、口をつぐんだ。


――末王子で生まれつき目が見えなかったことから、アルベルトは王子たちの中でも低い立場にあった。産んだ母親も立場の低い新入りの妾で、最初のころは生きるのに必死だったとルディは聞いている。王族の面汚しだと何度罵られただろうか。

しかし彼は視力の代わりに高い魔力を所持していた。母親は目の見えない子供に魔術を教え込み、彼を末の王子として王様に認めさせたらしい。

アルベルトの魔術は見事だ。魔術の心得がないルディからしても、きっと彼ほどの魔術師はこの国にいないのだろうと思っている。しかし同時に、その魔術だけが彼の生きる手段だったことに、哀憫を感じざる得ない。

……ただの執事見習少年がそんな憐みを王族に向けていい筈がない。切り替えるようにルディは頭を振り、口を開いた。

「お借りいたしましょう……ソフィア様に頼めば融通してくださるはずです」

「……そうするしかないな、あまり情けない願いはしたくないのだが」

「背は腹になりませんからね」

「それを言うなら「変えられない」だ、ルディ」

 「早速ソフィアを呼んでくれ」とアルベルトはルディに指示を出す――それと同時に。

 ノックも無しに、部屋の扉が思いっきり開かれた。ルディが反射的にアルベルトを守るように盾になる……が、すぐに脱力して「あぁ」と気の抜けた声を出した。

「ソフィアお嬢様……」

 

 部屋の前に、美しい少女が立っていた。

 珍しい薄紫色の瞳が爛と輝き、シルバーゴールドの髪がその瞳を彩り柔らかく揺れる。白く透き通った肌は僅かに桃色に色づき、色白ながらも健康的な印象があった。青いドレスはきっと彼女の為に誂えられたものだろう。裾の方には彼女が大好きなアネモネの刺繍が施されていた。

「アルお兄様ー! ご機嫌麗しゅうございます!」

 少女の名前はソフィア。アルベルトの腹違いの妹であった。

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