ゾンビキングダム
ケツ毛 ボンバー
プロローグ*それは死者の物語
炎が燃え盛っていた。
国の象徴たる白亜の城を、多くの人が住んでいただろう家々を、人々が憩いあった様々な道を、「何も関係がない」と言わんばかりにゴウゴウと炎が飲み込んでいく。赤い光が僅かだが夜空に反射する。
逃げ遅れた人間たちが黒焦げになって新たな炎の燃料になっていく様は、なんとつまらない光景だろうか。アルベルト・アリア・プリンツ=ハイドリッヒはその様子を足場のない空中から感傷もなく眺めていた。そのまま彼は足元から舞い上がる熱気と人間の焼ける異臭に眉を顰め、そこに透明な板があるかのように空中を悠々と歩き始める。
「オレ様さぁ気になるんですよ」
同じようにアルベルトの隣を歩く幼い少女の姿をした男――葬竜が言った。矛盾だらけのこいつは、可愛らしい顔立ちを皮肉気に歪ませ地を這うような低い声で続ける。
「故郷を焼くってどんな気分なのかしら? 過去を掃討して膿を洗い流した傷口のようなすっきり気分? それとも慰めオナニーした後の賢者気分なのかしら? 教えてくれる? アルちゃん、いまテメェはどんな気分なんだよ」
「…………今確実に言えるのは、お前のその問いに答える義理はないという事だ」
アルベルトの言葉に「つまらねぇ男だ」と葬竜は満足げに笑う。
眼下に広がる燃えた街は、確かにアルベルトの故郷だった。丘の上に立つ白亜の城は間違いなく彼の生家だ。つい数日前まで、彼はあの城で確かに暮らしていた。
あの白亜の城はこの国の王族が住まう場所だ。勿論アルベルトも間違いなく王族のうちの一人である。城での暮らしは悪かったと言えばそうでもない。だが良かったかと問われれば首を振るだろう。食事や衣服は下々の物より良いものを使っていたし、欲しいものは言葉にする前に既に与えられているようなものだった。
それでもアルベルトは静かに目を伏せる。バイオレットの瞳が炎に照らされて橙色に輝いた。
「まだか」アルベルトが独り言のように問う。
「焦るな。もう来るぞ」
葬竜が答えたその時、頭上で何やら大きな物音がした。
――なにか、大事な枠組みが無理やり外されたかのような、そんな不気味な音だった。
緩慢な動作でアルベルトが空を見上げれば、星空に似つかわしくない白色の魔法陣が縦横無尽に煌めいている。その中心から一艘の巨大な船がその船首を突き出していた。
「かー、いつ見ても壮観な光景だなぁ。なぁアルベルト」
葬竜の呼びかけにアルベルトは眉を顰めるだけで返事をした。
「オレ様はですね、少しばかり機嫌がよろしいのです。それこそ今ここで鳥の糞を頭に落とされても鼻で歌えてしまえるほど機嫌がよろしいんですよ。ですから普段はあんまり気乗りしない肉体労働なんかもしちゃっていいかなー? と、そわそわ気分で浮かれちゃってるわけだけどよぉ」
「あぁ」面倒くさそうにアルベルトは呻くような言葉を返す。顔にはありありと面倒くさそうな気持が出ている。
「お前は有能だがやかましいのが玉に瑕だ。喉に潤滑油でも塗っているのか? 飽きもせずよく回る口だな。簡潔に物を言え」
「ところでイカってエロくない? ぬめぬめしてて」
「一切話に繋がりがない。理解不能」
「疑問に思ったこと口にしないと死ぬ病気なんで」
「ならば死ね」
……くだらない会話の合間にも、魔法陣はいっそう強く煌めく。既に天の船全貌を現しつつあり、その周りには船を守るように白い少女たちが空を舞っている。
あの船の名前は『バビロン第一戦艦都市』。世界の秩序守護を努める天空国家……誰もが恐れる白亜の支配者。誰もがあの船首に恐怖し、また救いを求める。しかしアルベルトは憎々しい宿敵に相まみえたかのように、唇を噛み締めた。それと同時に目元だけ笑って見せる。なぜなら、足元に広がる巨大な篝火は、あの船を呼び出すために行ったのだから。あれは罠に引っかかった哀れな獲物と変わりない。
「葬竜、どうする。落とすか? 貰うか?」
アルベルトはまっすぐと純白の船を睨みながら問う。「決まっているだろう」と葬竜が詰まらなそうに笑った。
「炎が弱まって肌寒くなってきたしな。丁度新しく薪が欲しくなってきたところだ」
「本命ではないし、いいだろう。派手にやってくれ」
「戦いやすい格好になるのも久しぶりですわぁ」
呑気な声と共に、葬竜の姿が変わった。幼女の身体がべきべきと嫌な音を立てながら成長する。三十秒もしないうちにヤツの姿はアルベルトよりも大きい青年の姿になっていた。精悍な顔立ちはどんな人間よりも美しく、また人間には到達できないような不気味さが滲んでいる。
その時、こちらを感知したかバビロンの周りを飛んでいる少女たちが一斉にこちらを向いた。顔のない
アルベルトは優雅に腰を曲げ、少女たちに向かって一礼した。あくまで紳士のように、あるいは丁重な死神のように。その動作指先一つ一つに殺意を込めて――
「御機嫌よう、さらば死ね」
――それが合図だ。
アルベルトの隣にいた葬竜が、放たれた弾丸のようにバビロンに突撃した。黒煙が舞い、少女たちが血しぶきを上げながらバラバラになって降ってくる。一瞬だ。葬竜の殺戮は一瞬で終わる。なにせヤツは文字通り『死』である存在なのだから。きっとこの少女たちは何が起きたか知らぬまま生を終わらせたのだろう。と、アルベルトは血の雨を浴びながら思った。それはなんと哀れな事だ。
「だがこんなもんじゃアない」
アルベルトは憎々しげに吐き捨てた。
「ソフィア、ソフィアよ。お前の苦しみも怒りも無念も全て俺が引き受ける。必ずお前を救ってやる」
彼の脳裏には、幼く笑う妹の顔が浮かんでいた。大切な妹、大事な宝物。それを壊したのは他ならないこの国と天のバビロンだ。
男は大切な妹の為に世界を殺すと決めている。
……足元の炎からうめき声がした。それは次第にいくつかの声が重なり、やがて炎を纏った黒焦げの何かが這うように蠢き始める。
「やっと起きたのか、冒涜者たちよ」
焦げた死体たちは宙に浮かぶアルベルトを仰ぎ、歓声の呻きを上げる。瓦礫の中から、炎の海から、煤の中から死体たちが顔を出した。かつてはこの王国の国民だったものたちが、王国の破壊者であるアルベルトを求めている。
少女たちの血を浴びながら、ゾンビたちは王からの勅令を求める従者のように、アルベルトの足元に集い始めた。
「神は生に勝り、老いは神に勝り、死は老いに勝る。死はあらゆる生物の、生命たちの終着点だ。そこから先に道は存在しない、死は神であろうと乗り越えることはできない――私は万物に死を与える者」
アルベルトは右手を大きく掲げ足元を覆いつくす死者たちに薄く笑いかけた。
「これは復讐ではない。ヒーローものの救出劇だ」
……船が燃え落ちる星のように、堕ちた。
かくして祝杯の業火と共に、幕は開かれる。
あるものは知性を、あるものは王道を、あるものは支配欲を、あるものは思惑を張り巡らせ、世界を舞台に踊り始める。荒波のように広がった戦火は巨大な盤上となり、神々までもが駒を片手に思想を紡ぐ。
その中で、ひと際輝く黒い星があった。
アルベルト・アリア・プリンツ=ハイドリッヒ。
またの名を。
――――死者の
これは死者の物語。
妹の為に世界を焼いた男の
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