100万キロ走ったカブ

フカイ

掌編(読み切り)




 あるところに100万キロ走ったカブがいた。

 100人のオウナーの元で、地球を何周もまわるぐらいの距離を、トコトコ走ったカブがいた。

 カブはいつでも誰かのカブで、それが間違っていると思ったことはなかった。

 カブは100万回、ただの名もないカブのままだった。



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 ある時カブは、しがないサラリーマンのカブだった。

 カブはサラリーマンなんて大嫌いだった。

 サラリーマンは毎朝決まって同じ時間に同じ場所を走った。同じ信号で引っかかり、同じ踏切で停車した。近道を探そうとか、信号のない道を選ぼうとか、そういうイレギュラーなことの大嫌いなサラリーマンだった。サラリーマンには、というものが決定的に欠けていた。だからカブは、面白くもなんともない都会の道を、100万の朝と夕べ、走り続けた。



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 ある時カブは、疲れた農夫のカブだった。

 カブは野良仕事なんて大嫌いだった。

 農夫には、都会に出ていってしまった娘がいたけど、彼女は父親の仕事にも、田舎の暮らしにも、ほとほとうんざりしていた。

 だから農夫の畑は、初老の彼かぎりで終わる運命にある畑だった。

 その赤い土の畑へ、カブは毎日出掛けていった。そして将来の全く無い労働に付き合わされて、しみったれた田舎道を、カブは100万回往復した。



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 ある時カブは、冒険野郎のカブだった。

 カブは冒険なんて大嫌いだった。

 冒険野郎は、現実感の薄い男だった。アフリカの大地やシベリアの氷原を、どこまでもどこまでもどこまでも走り続けた。世界中の山と野原をカブは走り抜けた。冒険野郎はそれでベストセラーの本を2冊書いて、大金持ちになった。そして100万円もするオートバイを買った。冒険野郎は世界をともに走ったカブのことはすっかり忘れて、その新しいオートバイに夢中だった。

 それからカブは窃盗団の手によって盗み出された。



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 ある時カブは、東南アジアの5人家族のカブだった。

 カブは5人家族なんて大嫌いだった。

 お父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟と赤ちゃんの5人家族のカブは、埃っぽいアジアの町並みを、毎日一家5人を乗せて走り続けた。時々、お父さんのお給料日には、5人の家族の他に、ニワトリやブタの足なんかも一緒に乗って走ることがあった。

 だけど、基本的に一家は貧しかったから、ある時お姉ちゃんが街にひとりで行ってしまう日がやってきた。それからお姉ちゃんは家族のために100万人の男と寝た。

 お姉ちゃんの抜けた4人家族を乗せて走ることは、カブにとっては苦痛以外のなにものでもなかった。



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 ある時カブは、高名なレストアラーのカブだった。

 カブはレストアなんて大嫌いだった。

 いつの間にかずいぶん昔のモデルになってしまったカブは、ある国のオートバイコレクターに100万円も出して引き取られるようなカブになっていた。

 そこでカブはオーバーホールを受け、まっさらな100ccもあるシリンダーをピストンに挿入された。

 それからカブは何度もサーキットに引っぱり出された。そして、何度も一等賞でサーキットを駆け抜けた。でもそれとおんなじ回数を、エンジンを焼き付かせて死んだ。



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 ある時カブは、名もないおじいさんのカブだった。

 カブは初めて、自由に走ることが出来た。

 おじいさんは仕事をリタイアして、年金暮らしを続けていた。おじいさんはひとりぽっちで生きていた。おじいさんは朝起きると、毎日海へ出かけるのを日課にしていた。

 そして何をするでもなく、ただぼんやりと防波堤に座っていた。

 カブは毎日、潮風を浴びながら、目的もなく走った。



 どこへ行くでもなく。


 カブは倖せだった。



 100万キロを走ったあとで、何のためでもなく、ただおじいさんの足がわりにカブは走った。

 やがておじいさんが死ぬと、もう誰もカブに見向きもしなかった。

 納屋の中で、カブはいままで走った100万キロの日々のことを想いながら、ゆっくりと朽ち果てていった。




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