二人ぼっちの夜

香枝ゆき

夜の図書館で君と出会った。

 本に埋もれて死にたい。

 ユウキの願いは、どうやら叶わなかったらしい。


「あのねえ、あなたみたいな人、はじめてですよ」

 三途の川の窓口で、ユウキは盛大にため息をつかれてしまった。

 ここは三途の川入り口。

 現世で死んでしまったら魂が最初に来る場所。

 普通なら、生きてきた内容により、渡り方は違えども川を越えてあの世に行くのだという。

 ……エラーがでなければ。

 ユウキは審査窓口で、盛大にブザーを鳴らしてしまった。

「エラーコードが、白の二番。現世のあなたは……あー、だめだな、これ」

「いったいどういうこと、ですか」

 ぶつぶつしていた窓口担当者は、一息ついた。

「三途の川の入り口ではね、たまにエラーが出るんです。多くは、生き返る可能性が高いのに忙しなくこっちにきちゃったか、川を渡るのに支障が出るほどの未練持ってきた魂です」

「そういうときはどうすれば」

「生き返るんだったら強制送還、未練持ちはこのあたりをうろつくか、現世でしばらく頭冷やしてもらいますね」

 なんていうお役所仕事。

 ユウキが呆れていると、後ろから視線が刺さるようになった。

 振り返ると長蛇の列ができている。

「すみませーん、ちょっと個別対応いってきますわ!お並びの魂さんたちは別の窓口で受け付けまーす!」

 ユウキは担当者に引っ張られ、人気のない小部屋へと押し込められた。

 もしかして、生き返りたくてもできない魂の目を避けるため、こうして別室に詰め込まれたのかもしれない。

 ばたんと扉を閉められて、営業スマイルはたちまち掻き消えた。

予想と違う展開になりそうな気がする。

「あなた、死に方に強いこだわりがありましたね?」

「あ、はい」

「本に埋もれて死にたい。例えば本屋や図書館、はたまた本棚の近くで過ごしているときに地震にあったり、はたまた本のある空間に閉じ込められて餓死。……ほう、なかなかこだわりが強い魂でいらっしゃる」

「そ、想像するのは自由でしょ!」

 分かっているのになぜあえて聞くのか。恥ずかしいじゃないか。

「度を越えたら困るんですよ、私たちも、もちろんあなたも」

 壁に映像が写し出される。

 見慣れた顔と、見慣れない壺。

 ユウキ亡き後の家族だった。

「あなたは自分の望む死に方をしていない。よって心の中で大きな未練となっている。それがエラーを引き起こし、三途の川を渡れなくなってるんです」

「じゃあ、望む死に方を迎えれば」

「理論上は渡れますがそうは問屋が卸しません。現世に戻して逃げられたら魂管理の都合上困りますし、第一」

 画面が四分割される。

 喪服姿の家族、それなりに笑っていた自身の遺影、墓に、骨壺。

「あなたが帰る肉体はもうありません」

 そうか、自分は死んだのか。

 不思議と涙は出なかった。

 けれどユウキは恐怖した。

「じゃ、じゃあ、僕はもうあの世にいけないってことですか!?」

「こっちではどうしようもないですから」

 冷たい声に、ユウキはうつむいた。

 生きているのか、死んでいるのか、分からない状態で、いつまでも一人ぼっちでいるなんて。

 そんなのは、嫌だ。

「……一つだけ、なんとかなるかもしれない方法があります」

 ユウキが顔をあげる。ただし言い出しっぺは渋い顔をしていた。

「単刀直入に言います。幽霊になりますか?」

 ユウキの口から、息が漏れた。

「未練持ちの魂は、大抵現世に戻ります。俗に言う、幽霊ってやつですね。未練を昇華したらすぐに川を渡れますし、ダメでも二百年経過したらどうにか川を渡れる程度に弱まります。反対に生きてるモノに悪さをすれば、その分こちらに罪を控えておき、一定水準を満たすと地獄に叩き落とされます。もちろんあなたは特殊ケースですので、本がお好きなら、本のある場所を何ヵ所か動き回れるようにします。それくらいの救済措置はとれますよ」

「ならそれを……」

「ただし、幽霊になったあなたは二回死ぬことはできません。本の角で頭をぶつけようにも、身体をすり抜けるでしょう。体は飢えることもない。暑さ寒さも感じない。そして基本は、認識されることもない。場合によっては、二百年、一人ぼっちで過ごすことになるわけです」

 今まで想像上の存在だった幽霊に、自分がなる。

「このあたりをうろついていてくれたら、いつかは技術が編み出されるかもしれない。待合所だってあります。いずれは面識のある人もこちらにやって来るでしょう。話し相手になってくれるかもしれません」

 別にユウキは、生きている人間に未練はなかった。

「待つところに、本はありますか」

 本があるか。それだけが重要だった。

「ありません。みなさん生きてきた時代も思想もばらばらなので、揃えるのにいろいろとありますので」

 それだけで、ユウキの心は決まった。

「僕を幽霊にしてください」

 一人ぼっちでも構わない。本があればそれでいい。

 だってそれは、ユウキが生きていたときと、まるで構わない日常だ。


 幽霊になった。

 足はついている。

 モノはすり抜けてしまうけれど、空を飛んだり壁を抜けたりはできないらしい。

 通っていた学校の図書館にきたはいいものの、入り口ゲートを通るにはIDカードか必要だった。

「行けるのか……?」

 閉じたゲートにそのまま突っ込むと、衝撃を感じた。

「って!」

 後ろからきた学生に身体をすり抜けられ、生暖かい感覚に身震いする。

 ぴろりんという音ともにあいたゲートを、なんとかひっついて潜り抜けた。

 ユウキを突っ切っていった大学生は、身震いをしてきょろきょろと見まわしている。

 本当に見えないんだ。

 ユウキは手始めに、新聞を読んでいる学生の近くへと歩いていった。

 のぞきこんでもなにも言われない。

 興味を引かれた記事を読み始めると、めくられてしまった。

 息を吹いて、抗議の意を現す。

 いきなりなびいた新聞に、読み手はちらりとみやって、次に天井の空調に目を移した。

 危ない危ない。

 干渉はしないほうがよさそうだ。



「エラーの原因、まだわからない?」

「そうですね、もう誰も残っていないはずなんですが……」

 夜の図書館で、ユウキは疲弊した職員を眺めていた。

 最新のセキュリティ設備を導入したところ、まだ人が残っていると表示されているらしい。

 残っているのは、もちろん、ユウキだ。

 生きてるモノには視えていないのに、機械には認識されているなんて。

 せっかく夜になったら、誰にも邪魔をされずに本が読めると思ったのに。

 わかったよ。

「出ていくよ」

 ユウキは誰にも見送られずに、冬の寒空へ出ていった。

 ごおおと凍えそうな風が吹き、大樹の枝が揺れる。

 動けない植物でさえ、さわさわと存在を主張できるのに。

 ユウキはここにいることを、誰にも知られない。


 地元に程近い図書館に住むことにしたのは、幽霊になって3ヶ月ほどたったときのことだった。

 行きつけの本屋は閉店していたし、趣のあった県立図書館も、内装ががらりと変わって知らない場所になっていたからだ。

 なにより今いる場所は、最初みたいにセキュリティに追いたてられるわけでもない。

 利用者には子供が多く、読み聞かせをはじめとしたワークショップも行っている。

 退屈をまぎらわせるにはいい。

 閉館後の誰もいない夜の図書館で、ユウキは開架棚を見て回る。

 背表紙を見るだけでも楽しい。

 けれど、同時に悲しくもなる。こんなにも本があるのに。

 ユウキは本に触ることができない。

 夜の図書館で一人絶望を味わった。




 ワークショップ見学にも飽きた頃のことだ。

 閉架棚の探検から戻り、根城にしていた学習室Bへ入ると、明らかにおかしい。

 女の子が一人いるのだ。

 ここに他の幽霊がいないことは数ヶ月住んでみてわかっている。

「……新入り?」

 それにしては、暗がりで本のページをめくっている。ユウキと違って本を読めるのがうらやましい。

 女の子が顔をあげた。

 迷うことなくユウキを見た。

「…………だれ?」

「ここの幽霊。そっちは、新入り?」

「…………わたし、死んじゃった?」

 もしかして。

「……生きてる、人間?」

「アヤっていいます。はじめまして」

 長い髪の女の子は、ぺこりと頭を下げた。

「僕は、ユウキ。本が好きだけれど、触れない、幽霊」

 幽霊と伝えても、アヤは怖がりもしなかった。

「じゃあ、一緒に本を読む?」

 ユウキはアヤに近づいて、後ろから本を除きこむ。

「電気つけなくていい?」

「大丈夫。明るいのは、苦手だから。ユウキ君は、読める?」

「正直ちょっと、読みにくいな」

「じゃあ、わたし、音読する。この本でいいかな?」

 アヤが示したのは、最近発売されたばかりの児童書だった。

「あ、すごい気になってたんだ。……お願いしていい?」

「もちろん」

 暗がりの学習室に、アヤの涼やかな声が響く。

 ユウキは目を閉じて、情景に思いを馳せた。


 アヤは光をまぶしいと感じてしまう。日常生活に支障が出るほどのものらしい。本好きでなんとか図書館を利用したいと思ったところ、月に一度のナイトライブラリー中なら使っていない学習室を利用する許可がでたらしい。

 冬の夜、日が落ちてから、アヤはサングラスをかけてやってくる。

 馴染みの司書に連れられて、必要最小限の明かりがついた学習室に荷物をおいて、手早く本を見繕い、部屋にこもる。その間にナイトライブラリー参加者は、照明が落ちた普段とは違う顔の図書館の散策を楽しむのだ。

「ユウキ君の読みたい本、あったよ」

「ありがとう。でも、アヤの読みたい本が」

「わたしは借りて家で読むから大丈夫」

 ユウキはそうして、アヤの厚意に甘えていた。

 だから、気づかなかった。


「アヤちゃん、今月は来れないんですって」

 今日はアヤが来る日だ。

 館内を上機嫌で闊歩していたユウキは、職員同士の雑談に足を止めた。

「ほら、もともと身体、丈夫じゃないでしょう?」

「ナイトライブラリー中の読書、引き受けない方がよかったのかしら……」

「でも、本人もご家族も感謝はすれど気にしないでくださいって言ってたみたいよ。身体が治ったら、また行きたいですって」

 気づかないふりをしていただけだ。

 会うたびに、顔色の悪くなっていたアヤを。

「…………なあ、いるんだろ」

 人気のない書架で、ユウキは宙に向かって呼び掛けた。

「悪い行いをしていたら、記録しないといけないもんな。……ほら、出てこいよ」

「……人にものを頼む態度ですかねえ、それ」

 ユウキの目の前に、いつかの窓口担当者が現れた。

「アヤの身体が悪くなった原因、知ってるんじゃないか?」

「そりゃあ、あなたですよね。生きてるものが幽霊に触れて影響がないわけがない。ましてやただでさえ死に近かった彼女なのに」

「……一緒にいたら、だめなのか」

「そうでしょうね。しかも、視えて話せるだけ、です。幽霊の影響から身を守る術ももちません」

「……ここから消えたいって思ったら、叶えてくれるのか?」

「お望みとあらばすぐにでも。川を渡れるかは微妙なところですけどね」

「アヤへの影響は」

「あなたが現世を去ったらなくなります」

 それならもう、答えは決まっている。

「……帰るよ」

「そうですか」

「でも一つだけ、お願いがある」


 入院先で、アヤは天井を見つめていた。

 音もなく、文字もなく、ベッドに身を委ねている。

 病院のあちこちでそれらしき姿は見たけれど、この個室には、幽霊の姿はなかった。

 あの本好きの幽霊だったら、いつでも大歓迎なのに。

 ため息をついたとき、引き戸が緩やかにあいた。

 看護師さん、にしては、呼び掛けがない。

「……アヤ?」

「…………ユウキくん?」

 ユウキはくしゃりと笑いかけた。

 ベッドのアヤが、力のない瞳をしていたから。

「今日はお願いをしにきたんだ」

「……え?」

「僕はもうすぐ時間だから、いなくなる。これから本のない世界にいく。だから、80年くらいたったら、今まで読んだ本の話を聞かせてよ。それより早く来たら許さないから」

「…………わたしは」

「元気になるよ。これから、きっと。だから」

「……わたし、ユウキくんと一緒に本が読めて、よかった。本だけが、友達だったから、一番最初の友達になってくれて、嬉しかった。だから、どれだけ時間がかかっても、会いに行くから……」

「……そろそろ時間ですよ」

 ユウキはアヤの手に触れた。

 すり抜けて、一つになった。

「80年後、三途の川の前で待ってる」

 アヤは薄れていく意識のなかで、消えていく二人を目に焼き付けていた。



「ちわーっす、ユウキさん元気してますか?」

「みてわかるでしょ、元気じゃないっすよ。っていうかあなた暇なんですか」

「窓口業務は今日も激こみでよ。人がわずかな休憩時間で様子見に来てるってのにあなたって魂は」

「本があるので平気です~」

「かわいくないですよほんとに。本入れたの誰か忘れたんですか?あと、アヤさんの病を8割がた勝手に持っていって、地縛霊扱いにされる処置されたのもお忘れで?」

「え、ほんとに感謝してますよ。縛る土地を三途の川前の役図書館分館にしてくれたのとか、仮釈放をアヤとの約束に合わせてくれたのとか」

「業務効率を考えてのことです。別にあなたのためでは」

「あ、そこの赤鬼さん!返却カウンターあっちですよ!」

「人の話を聞いてますか!?」

 本に埋もれて死にたい。

 その願いは叶わなかった。

 けれど、本に囲まれて生きている。

 今も昔も、そしてこれからも。

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二人ぼっちの夜 香枝ゆき @yukan-yuki

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