特別篇 宝塚記念2022

 かつて或る偉人は言ったという。


「僕の一番嫌いな六月! 一年を通じて最も不愉快な六月!」


 まあ半分ほどは同意できる。

 氏が述べていた所以である国民の祝日が一日も無いという事実もさることながら、より問題なのはその気候だ。ほとんど毎日空模様が怪しくて傘が手放せず洗濯もままならず、高温多湿で服はべたつきと、とてもストレスフルな毎日を送ることを余儀なくされてしまう。


「もういっそのことさっさと夏が来てしまえばいいのに!」


 不快指数の高まりとともに、そんな悲鳴のような声を上げてしまうのも、巷に僕だけではない筈だ。

 そんな詮無い願いを、真に受けてしまった高次の存在でもいるのか、六月最後の金曜日は真夏の猛暑に見舞われている。予報によるとしばらくの間この気候が続くらしい。


 これはこれでたまらないと、早番終わりの会社帰り、炎熱地獄からの避難場所として飛び込んだファミリーレストランにて、僕は彼女と遭遇した。


「これはこれは。壁紙に描かれた天使たちに連れていかれそうなほど負のオーラをまといながらポップコーンシュリンプを口に運んでいる陰気な人物がいるかと思ったら、エロ兄ィではないですか」


 顔を上げると、目の前には小柄な女の子が一人、両手を腰に当ててこちらを見つめていた。


「ああ、護志田もりしたさんか。久しぶりだね」


 学校帰りなのだろう、ブレザーこそ着てはいないが、サマーニットにチェックのスカートという制服姿の彼女は、何故かふんぞりかえるような姿勢で、ふんわりくるっとした薄茶色の髪をかきあげてみせた。


「ふふん、平然を装って『ヒサシブリだねぇ』とか述べておられますが、私にはエロ兄ィの心のうちはお見通しですよ」

「心のうち?」

「ズバリ! 三年ぶりの再開でJK1にまで成長した私の姿を目の当たりにして『へへっ、美味しそうに育ってやがるぜ……そろそろ収穫どきかな』とか内心ほくそ笑んでいらっしゃるのでしょう!」

「そんなこと思うか! 作品の発表時期的などうこうは置いといて、僕と護志田さんはそこまで久しぶりに会ったわけじゃないし、それにそもそも——!」


 と、勢いに任せてあまり言わない方が良いであろう言葉が口をついて出そうになり、寸前で押しとどめる。

 が、今度こそ護志田さんには見通されてしまったようだった。


「そもそも?」

「あ、いや……」

「そもそも何なのですか?」

「いや、何でも……」

「この店内に孫堅の影武者でもいたのですか?」

「いや、祖茂は見かけてないけど……」

「それじゃあ……『そもそも君、小学生の頃から身体的にまったく成長してないだろーがっ!』とでも言おうとしたのですか?」

「う……」


 これで言葉を返せないのは肯定しているのと同じだとわかっていても、咄嗟に適当なごまかしの言葉は出てこなかった。

 成長著しい我が妹と比べ、その親友で同級生の護志田さんは、なんというか、まあ、そういう感じだった。

 そんな物思いする僕へと白い目を向け、護志田さんはぼやくように言った。


「失礼な話です。こう見えても少しは伸びてるし、膨らんでるし、繁ってるんですよ!」

「繁ってるって……」


 それぞれの動詞が何のことか気にならないではなかったが、僕は速やかに話題を転換した方が良いと判断した。


「そんなことよりどうしたのこんなところで? この辺りの塾か予備校にでも通ってるの?」

「フッ、そんなんじゃありませんよ。私は今、創作意欲に満ち溢れていて、学業どころではないのです」

「あ、そういえば小説書いて、ネットに投稿してるんだっけ」


 以前に聞いたことがある。顔出しはしていないが、現役JKの身分は明かしており、結構フォロワーも付いているらしい。


「はい。『物書きになりませう』に投下する新作の構想を練りながら散歩していたのですが、ふとインスピレーションが降りてきたので、この店に入ってアイディアを書き留めていたところ、エロ兄ィが負け顔晒して皿をつついていたので、これはリストラか離婚かと心配して声をかけたという次第です。さあお話を聞かせてください」


 ちっとも心配そうではなく、何なら目を輝かせている感じすらある。

 僕は苦笑いしながら答えた。


「残念ながらそのどっちでもないよ。ただ暑さにやられて疲れてただけ」

「あっそうですか。解散解散」


 あからさまに興味を失った様子を隠そうともしない。


「だったらこんなところで紛らわしい顔して小海老揚げなんて食べないでほしいものです。ていうか、さっさと帰って愚妻が作る晩ご飯でも食べればいいじゃないですか」

「他人の奥さんのことを愚妻って言わない方がいいと思うけど……」


 ちなみに、僕の妻は土日の阪神競馬場来訪に備え、ひと足早く大阪へと向かっている。僕の方は土曜にも出勤を命じられているので、その後に合流する運びになっている。

 そのことを話すと、護志田さんはますます口を尖らせて文句を言ってきた。


「あーハイハイ夫婦仲は良好なようで何よりです。良かったですね。まったくもってしょうもない。投稿小説におさまらず、ゆくゆくは書籍化にアニメ化間違いなしであろう超斬新な作品が生まれようというのに、こんな無駄話してる間に忘却の彼方へと消えてしまったらどうしてくれるんですか。億は下らない印税を補填できるんですか?」

「もちろん補填しなきゃいけない謂れはないと思うけど……それにしても、随分自信があるんだね。そんなに凄い話なんだ?」

「フフン、聞きたいですか?」

「えっ」


 向こう側に倒れるんじゃないかというぐらいふんぞりかえる護志田さんを見て、直感が走った。多分聞かない方が良い。

 しかし、返事がないのを肯定ととらえたか、護志田さんは向かいの椅子に腰を落とし、嬉しそうに語り出した。


「それはもう斬新なんですよ。まあ転生モノの一種なのですが、そんじょそこらのテンプレ作品とはわけが違います」


 辺りを窺い、少し声を落とす。


「何と、三国志の英雄が現代に転生してきて、その知謀で新人歌手をスターダムに押し上げる話なのです」

「…………」

「どうです? 斬新でしょう?」

「えーっと……」


 誇らしげに、そして大真面目に自分で思いついたアイディアを披露してくれている様子である。たまたま被ったのか、どこかで耳目にしたのが無意識に刷り込まれて自分発だと思っているのだろうか。

 言葉に困った僕は、とりあえずその斬新だという作品案の続きを聞いてみる。


「作品のタイトルは『パーリーピーポー朶思大王だしだいおう』です!」

「朶思大王!? 今朶思大王って言った? 南蛮一の知恵者とか言いながら毒の泉任せでこれと言って何もしなかった人だよ?」

「路上ライブにサクラを用意したり、炎上動画をYouTubeに上げたりと、知謀の限りを尽くして歌姫へとのし上げていく筋書きを予定しています」

「朶思大王クオリティ!」

「アニメ化した際の主題歌ももうアタリをつけているのです。知る人ぞ知るハンガリーのダンスミュージックなのですが……」

「へえ……」


 まるで何かの賞のグランプリでも発表するかのように、護志田さんはその曲名を伝えてきた。


「曲名は『チンチンバキバキ』です!」

「キとンを入れ替えるな! どんな卑猥な曲なんだそれ!」


 斯様に。

 彼女が変わっていないのは、決して見た目だけではないのだった。




 どうにかして極めて類似した作品が既にあることを説明すると、護志田さんはすっかり悄気しょげてしまったが、プリンとティラミスの盛り合わせをご馳走してあげたところ、割とあっさりと浮上してきたようで、明るい声で提案してきた。


「さあマクラはこれぐらいにして、そろそろ本筋に入りましょう。日曜日は宝塚記念ですね」


 何だか元も子もないことを言われた気もしたが、特に異論はない。

 いつの間にか隣の席に来ている彼女とともに、タブレットの画面に表示された出走表を眺める。

 これがあるから六月も全面的に捨てたものではないのである。


「それにしても年度代表馬さんにも困ったものですね。本来であれば単勝3倍以上で買えるような馬ではない筈で、喜んで飛びつきたい気もしますし、前走あれだけ大敗しといてまだ1番人気とあらば辞めときたい気もしますし」

「確かにね。まあ僕としては後者の気持ちが強いかな」

「ほう。昨年はあれだけエフフォーリア強い、最強、文句なしの年度代表馬と讃えておきながら、落ち目となったら容赦なく切り捨てるというわけですね」

「随分人聞きの悪い言いようだけど……でもまあ、そういうことになってしまうのかな」

「しかし、ブリンカーが効いて追い切りの動きなどは随分改善されたと聞き及んでいますが」

「逆に、直前になってブリンカーを試さなければいけない状態だったってことが順調ではない証なんじゃないかなあって」

「ふむ。生意気にも一理あることを言うじゃないですか」


 どっちが生意気だと言いたくなるような台詞を吐きながら、護志田さんはタブレットを操作し、エフフォーリアの馬柱へと画面を遷移させる。


「しかし、大阪杯の前までのこの輝かしい戦歴を見ると、この馬を切るなんて無謀なような気もしますが」

「まあ確かにね……でも復活しちゃったらまあしょうがないと諦めるとして、今回はこっちを本命にしたいかな」


 言いながら画面を変える。2番人気のタイトルホルダー。


「おやおや、エフフォーリアを切っておきながら、随分安易なところに着地するのですね」

「まあ否定はできないけど……もし、圧倒的に強い馬がいるとしたら、エフフォーリアかこの馬だけだと思うんだよ。そんで不安要素が多いあっちを切って、今年になって負け知らずのこっちを選ぼうかなって」

「しかし、こちらにも今回は他に逃げる馬がいて、自分のレースができないのではという不安要素が囁かれていますが」

「それでも天皇賞の圧勝ぶりを見ると、何なら4歳になって本格化したんじゃないかなってぐらい強かったし。元々番手からでもある程度やれてはいたから」

「なるほどなるほど」


 腕を組んでうんうんと頷いていたが、こちらへと鋭い目を向けてくると吐き捨てるように言った。


「全くもって安易極まりない見立てですね。社畜としていくらでも替わりの効く単純作業をこなす日々を送るうちに、発想力というものが死に絶えてしまったようですね」

「…………」


 痛烈に刺され、消沈してしまう。

 淡々と役割をこなす歯車こそが社会には最も必要で、どんな仕事も尊いのだと説教してやろうかとも思ったがやめておく。

 そんな話をしても楽しくないし、第一言い負かされる公算が高い。ここは大人として受け流しておこう。くそう。


「ハ、ハハ、それはさすがに言いすぎだなぁ。ま、まあそんなことよりさ」


 上手いこと大人の余裕を見せつつ、話を戻す。


「じゃじゃじゃあさ、護志田さんの本命はどの馬なんだい?」

「決まってるじゃないですか。本命はアリーヴォです。何故かダートだった新馬戦とクソ長すぎる菊花賞以外は全て馬券圏内の実力は評価できます。一時期は小倉専用機かと囁かれていましたが大阪杯でその恐れは払拭されました。むしろ坂がある直線での加速ぶりを見るに、小倉は決して得意ではないのに能力で勝ちまくっていた説さえあります。ここは鉄板と言って間違いないでしょう」

「なるほど……」


 些か過大評価しすぎな気もするが、護志田さんにしてはまともな見立てである。


「問題は相手をどの馬にするかですが、ついに私はその答えを見つけました」

「ほう」

「この週、日本を震撼させたあのニュースがサインだったのです!」

「へえ」


 この護志田さんにせよ、僕の妻にせよ、こういう感じからどういう話が飛び出すか。長年の経験上熟知している僕は、ついつい相槌がおざなりになってしまう。


「あの国民的ドラマの五代目相棒に、初代の亀山薫が帰還……水谷豊に武豊……つまり、武豊の相手に選ぶべきは寺脇康文的な騎手だということです!」


 やっぱりこんな話だった。てか豊だったら吉田もいるのだが。


「寺脇康文と言えば、風俗大好き男なわけですが……」

「いやいやいや、それ昔そういう役やったことあるってだけだから! ていうか、護志田さんどころか僕も生まれる前のドラマだよそれ。何で知ってるの?」


 さすがに突っ込みを入れるが、もちろん耳を傾けてなどもらえない。

 出走表の騎手名のところを指でなぞっていく。


「この中で風俗ヤロウは誰なのか……御神本が乗りにきてれば簡単だったのですが」

「…………」


 護志田さんの可愛らしい人差し指が止まった。


「この男です!」

「どこまでも失礼な人だ!」



 ◆宝塚記念


 僕の本命 タイトルホルダー

 護志田さんの本命 アリーヴォ

 護志田さんの対抗 グロリアムンディ

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未来のUMAJOの護志田さん 氷波真 @niwaka4

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