第14話 天皇賞(秋)
どしゃ降りの痛みの中というほどではなく雨脚は弱まってきているが、それでも雨天下には変わりのないところ傘もささず歩いてゆく人影がふたつ。
「週刊誌に連載されていた漫画作品が、いきなり月刊誌や増刊誌に移籍するなどということが往々にしてありますが、アレは単なる都落ちばかりではなく、作者が根性なしで体力や気力が続かなくて泣きを入れたりといった事情もあるんだろうなあと推察する今日この頃です」
「何? いきなりどうしたの?」
唐突によくわからないことを口走りだした
横を歩く彼女は、いつぞやの蓑に豆しぼりといった珍妙な雨具姿ではなく、真っ黄色のレインコートに同じ色の長靴という子どもらしい格好をしている。
護志田さんがこちらを見上げると、かぶっているひよこのフードもこちらを向く。中学生にしては少し子供らしすぎるかもしれない。
「自分の胸さ聞いてみれっ!」
何故か訛った口調でなじってくるが、僕には何がなんだかわからない。おそらくハテナマークが全面に浮かんでいるであろう僕の顔を見て、護志田さんは呆れたように軽く溜息。
「まあ過去のことを言っても仕方ないですけど。大切なのは現在と未来です、サトノルークス本命で的中したことがなかったことにされた分も……っと」
なおも意味不明なことを言いつのっていたかと思うと、急に言葉と歩を止め、ポケットからスマートフォンを取り出す護志田さん。
「何かのこころをゲットしました。キラマかキンスラだと幸甚なのですが……」
なおもドラクエウォークに余念のない彼女は、雨降りそぼる本日も僕を誘って、もとい強制的に連行して、ともに歩いてレベル上げやらこころ集めやらに励んでいるのだった。
「こ、これは……」
期待を込めた瞳でスマホの画面を見つめる護志田さんだったが、すぐに落胆の色へと変わってしまう。
「残念ながらナイーブトロールのこころでした。率直に言ってゴミです」
「え? そんなモンスターいるの?」
聞いたことがない名前である。彼女ぐらい先に進めば、そういうモンスターが出てくるのだろうか。
「はい、トロルの上位種、ボストロールの下位種なのですが、片乳放り出した格好して舌をベロリと出しているくせにナイーブで神経質という変わり種モンスターです」
「そんなの出てくるんだ……」
「攻略するには、勝手に唐揚げにレモン汁をかける、鍋のときに直箸する、童貞呼ばわりしてからかうなどの攻撃が有効です」
「……前も思ったけど、護志田さんがやってるの本当にドラクエかい?」
その指摘には応答せず、護志田さんはスマホをポチポチといじる。
「おや、マイレージがたまってるのでふくびきを引くことにしましょう。ロトの装備があと一つで揃うんですよ」
「ロトのふくびきはもう終わってなかったっけ……?」
「おっ、スライム氏が虹色の箱を持ってきましたっ! これはまさか……やったー! ついに獲得しました! ロトの釘バット!!」
また雨脚が強まってきた。
絶対バッタモンのアプリをダウンロードしちゃったなこの子と思いつつ、僕は飛び跳ねて喜ぶ護志田さんに、雨宿りがてら近くのカフェに入ることを提案するのだった。
× × ×
護志田さんはレインコートを脱ぐと、ブンブンと頭を振り、ふわふわの髪についた水滴を払い落とす。
「さて、新たな御代になって最初の天皇賞です。臣民のはしくれとして当てないわけにはいきませんね」
向かいの席に着きながらそんなことを言う護志田さんに、君は旧憲法下を生きてるのかいとツッコミを入れようかと迷ったが、僕は黙ってトレーからドリンクをそれぞれの前に置いた。
「GⅠ馬10頭が顔を揃え、今世紀最高ともいわれる豪華メンバーによる決戦とあり、何がなんでも当てたいものですが、まずは私の対面におわされるデクノボー氏の本命馬を聞いて、一頭切る馬を決めることにしましょうか」
「随分な言いようだけど、僕の本命馬を完全に切るのはさすがに無謀だと思うけど」
「ほう、随分な自信ではないですか」
護志田さんは腕を組み、鼻で軽く息をついた。
「察するに、古馬との対戦が今回初めて、しかもいきなり一線級とぶつかるサートゥルナーリアよりも、強さにおいて既に折り紙付きのアーモンドアイが本命といったところでしょうか」
「まあその通りなんだけど。やっぱりあの馬はひとつもふたつも抜けてると思うよ」
「ほう。あなたはメスの馬で一回でも二回でも抜けると言うのですね」
「そんなことは言ってないっ!」
思わず声を荒げてしまい、周囲からの視線に萎縮する僕をよそに、護志田さんは平然とオレンジジュースに口をつける。
「確かに安田記念では新馬戦以来の敗戦を喫したものの、スタート直後にどえらい不利がありながら負けてなお強しと思える内容でした」
「うん。まさしくその通りだと思う」
「しかし、とある筋から得た極秘情報なのですが……」
声を潜める護志田さん。僕も自然と耳を近づける。
「どうやらここ最近、アーモンドアイは著しく弱体化したらしいのです」
「弱体化?」
頓狂な声で聞き返してしまう。そんな話はどこからも聞いたことはなく、にわかには信じがたいものがある。
「はい、なんでも今のアーモンドアイは人間のアスリートにも劣る程度のスピードしかないそうです」
「は?」
護志田さんは大真面目な表情で言葉を続ける。
「具体的にはプロ野球選手の周倉とやらの方がアーモンドアイより速いらしいのです。その選手のことは存じ上げませんが、仮に100メートルを10秒で走るとしても2000メートルで3分以上かかる計算となります。我々はヘヴィータンクどころの騒ぎではないタイムオーバーを目の当たりにすることになるでしょう」
「……それは物の例えというか、柳田がふざけて言ってるだけだから。あと周東ね。周倉だと関羽の家来になっちゃうから」
「というわけで、今回アーモンドアイは極めて危険な人気馬ということになります。本命は他に探すべきです」
どうやらプロ野球選手のジョークは真に受けるのに、僕の指摘は耳に入らないようである。
「巷では、即位の礼が行われたことから、今上天皇と同じ誕生日の横山騎手が来るなどという、くだらないサインを持ち出す者もいるようですが、まったくもって笑止というものです」
「あー……この前振りは、他のもっとくだらないサインを言い出すというパターンかな」
「注目すべきは、あのお笑い芸人が税金ちょろまかしていた事件の方です!」
案の定そんなことを言うと、護志田さんはこちらに水を向けてきた。
「かつてかの有吉弘行氏が、その芸人さんに付けたあだ名をご存知ですか?」
「えっと……何だろ、わからないけど」
「『変態ニヤケ男』です」
改めてあだ名芸で無双していた頃の有吉のセンスに脱帽しつつ、何となく着地点が見えてきたような気がしてくる。
「そう、今回のレースで勝つのは、競馬会の変態ニヤケ男・福永祐一です!」
ビシッと指差してくる護志田さん。
僕は静かに息を吸い込む。
失礼だろ! と叫ぶか、そっちの方がくだらない! と叫ぶか。
コンマ数秒だけ考えてから、僕は口を開くのだった。
(つづく)
◆天皇賞(秋)
護志田さんの本命 ワグネリアン
僕の本命 アーモンドアイ
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