第7話 気配

何もない空き地にコンクリートの建物が姿を現してから1年が過ぎた。


違和感だらけだった存在も、慣れる時は必ず来る。

はじめの4カ月は、外から口を開けて見上げていたけど

春からの4ヵ月は、チカチカの看板に吸い寄せられてついつい立ち寄る場所になり


夏以降の4カ月は

そこに通うこと自体が完全に日常になった。


17:50 

自動ドアを抜けて、派手っちい螺旋階段を当たり前のように上る。

二階まで上りきると、カウンターの前を横切りながら今いるメンバーをチェックして軽く挨拶。


奥の事務所のドアを開ける時は、宇宙人がいるかどうか少し警戒する。

ロッカーからヘンなエプロンを引っ張り出して、時間スレスレまで身に付けず、遅番のメンバーが次々に到着する度に他愛もない短い会話を繰り返す。



18:00 

エプロンをして、ドアを開けて、カウンターに近づき改めてちょこっと挨拶をした後、早番メンバーとの入替間際の恒例「今日一番の話題」


(過去の例)

・誰々が髪を切った。

・今日は誰の誕生日。

・新着のサザンのシングルは、もう全部レンタル中。

・あのお客さんがまた来た。

・昨日のボーリングで誰と誰が筋肉痛。

・いつものあの人がまたもや財布を失くし中  

等…


(最後、俺ですね)



そんな平和な話題でひとしきり盛り上がった後、早番メンバーは上がっていく。返却済のCDを戻すためにフロアを歩き出すのが18:20頃、というのもだいたい一緒。


二階の手すりから吹き抜け越しに見える全面張りのガラス窓は、いつしかみんなから「大窓」と呼ばれるようになった。


外の天気も、店に入ってくる人影もすべて確認出来る巨大スクリーン。

フロアを歩く途中や、カウンターでボーっと立っている時に見ている景色は、1年前と逆アングル。外から眺めていた光の、今は内側にいる。




で。

今日の場合は



17:45

ちょっと早めに到着。

二階に上ってカウンターの前を横切るところまでは何も変わらなかった。

…いや、横切る途中でちょっとザワッとした感覚があった。


誰かいつもと違う人いなかった?

確認するために振り返るのも抵抗を感じるぐらい、妙な緊張感。


たぶん雪さんがいて、未智さんもいたかな。それだけなら何ともないし。

他に誰かいたような。でも通り過ぎちゃったし。わざわざ戻るのも変だし。


でも気になるし。


仕方なく、18:00まであと10分もあるのにさりげなーくフロアで仕事を始めてみました。

「どうしたの、こんな早く」と誰かに言われたいような言われたくないような。カウンターには依然として近寄りがたい雰囲気がバンバン漂ってるし。そんなに乱れていない棚のCDをちょこちょこ直したりしながら、何とかその「違和感の正体」を探ろうとしてみた。



5分後、時間すれすれにご出勤の夏井さんが俺を見つけて


「東野空君、そんな早くからマジメに仕事してどうしたの」


って(何故かフルネームで)言ったのが、カウンターまで聞こえてしまったらしい。




「何だ、来てたの。何してるの?そんなところで。」


未智さんが、あたたか~い言葉でカウンターから手招きする。

俺がヤル気なさそうにヨロヨロ歩くのは、せめてもの抵抗ね。


「未智さんこそ、今日早いですね」

「日曜日だもん。午後になると結構お客さん来るからさ、雪がいくら頑張っても結構大変なのよ」


へーえ。いいお姉ちゃんだこと。


「それに、水元さんはアテにならないし」

「そうですね」

そう言えば今日も姿が見えないけど、どこに隠れてるんでしょう。



ところで…。


「あ、そうそう。それでね、水元さんの許可をもらって、日曜日の早番アルバイトを一人増やすことになって。高校3年だけど、推薦で進学先決まったからもう受験終わったっていう子がいて。あ、空君は会ったことあるか…」


そう言われて端末の前で雪さんから仕事を教わっている新人を見た時、俺はさっきから感じていた「近寄りがたい雰囲気」の原因が分かった。

どちらかと言えばあんまりお会いしたくない新人だった。名前忘れたけど、この緊張感だけは覚えている。



雪さんが、俺と未智さんの視線に気づいてこっちを見ると、新人の肩を叩いた。


「泉ちゃん、あれが空君」


‘あれが’って、また何か言ったの?


「空く~ん!今日からあたしの仲間の、北里泉ちゃん!」


そんなに離れてない距離から相変わらずデカい声で紹介する雪さん。

そうだ、思い出した。北里泉。無表情なのと、寒そうな名前が合ってるなーって、あの時も思ったんだった。



「東野です」

「北里です」


な~んか、調子出ないな。



これで周りに未智さんや雪さんがいるからまだ良いけど、そうじゃなかったら…。

何も話さず、ユニコーンもかけられず、店内がしーんと静まり返って…。せめてもうちょっと表情があればいいんだけど。

そうだ。無口でも、笑っててくれたらいいのに、この人。



「何、無口になってるの!」

未智さんが俺の背中を叩く。俺が無口だって?


「そうだよ。初めての後輩なんだからさ、先輩らしく励ましの言葉とかかけてあげなよ」

今度は雪さんが腕を叩く。(だいたい君たち姉妹は、人の肩とか背中とか腕とか叩き過ぎ)



「え、ないですよ。そんなの」

「冷たいなー。顔もコワいし、もっと笑いなよー」



ふたりとも、さっきからおかしいって。

それ全部、本当だったら俺が北里泉に言いたいことなんですけど。


「なんか、今日おかしいよね。空君」


おかしいのは、どっちだよォ!




「あ、そうだ。もう18:00過ぎてるし、早番の皆さんは上がってくださいね~」


ごまかした。とにかくこのおかしな流れを断ち切りたかった。


思ったよりもあっさりと、雪さんは北里泉を連れて事務所に引っ込んだ。

例によって今日は歓迎会なんだって。

いいないいな。俺もカラオケ行きたい!




仕方なく、未智さんや夏井さんと仕事をして2時間ばかり過ぎた。

俺が休憩に入った途端、夏井さんはBGMのユニコーンを途中で止めて矢野顕子を流し始めた。


心地よい眠気に誘われながら一階の隅でペプシを飲んでいると、螺旋階段の方から、また変な足音が聞こえてくる。

一度音が止んだのでそっちを見たら、階段の中腹でハリネズミが俺を見つけて、ペコッとお辞儀をしたところだった。



しばらく一人でぼんやりしていたけど、本当に眠ってしまいそうだったので早々に二階に戻った。

矢野顕子はまだ流れていて、ハリネズミもまだ夏井さんと話している。



「来週卒検受かったら、平日学科試験受けて来ちゃおうかな」

「学校はどうするの」

「サボったらバレますかね」

「さあ。免許証の取得日見られたらすぐ分かるじゃん」

「え、わざわざ担任に免許証なんて見せないでしょ」


ハリネズミ君は相変わらず車のことしか頭にないらしい。

18歳にはなってるってことだから高3か。

去年の今頃の俺は、進学どうするか悩んでて、親には「就職しろ」と言われ、担任には「その前に卒業出来るようにしてくれよ」とまで言われて憂鬱な日々を送っていたのに、ネズミ君は教習所とレンタルショップに入り浸りの毎日。


そうかと思えば、さっきの北里泉は、この時期にバイト始めるもんね。

高3の秋って、こんなに気楽で良かったんだっけ?



「免許証の写真も、そのツンツン頭で撮るの?」

その割には、↑どうでもいいこと質問してるよな。俺って。


「もちろんです」

「え、そうなの?」

聞いておいて何だけど、そう来るとは思わなかった。


「海さあ、その髪型で真面目な顔して写ったら逆にコワいぞ」

↑夏井さんらしい説得だと俺は思ったけど


「だったら、笑えばいいじゃないですか」

↑全く動じないハリネズミは、そう言ってまたもやニカっと笑っていた。


「でもな、その場になると笑えなくなったりするんだよ。大抵は」

↑経験者夏井は、なおも説得を試みたけれども


「いや、俺は絶対笑って写ります!」

↑どうでもいいところで一歩もひかないネズミ。

最初に話題を提供したのが俺だってことを、この二人はとっくに忘れている。



その向こうで、矢野顕子の曲がふわふわと流れていく。

まるで、この町の平和な夜を分かっているかのように。


大窓の外は、まだ21時前なのにしーんと静まり返って、俺たちの脳天気な会話が町中に聞こえているんじゃないかと心配になるくらいだった。



「あ、そうだ。俺帰んなきゃ」


ハリネズミが慌ててリュックを担ぎだした。


「どうしたの。急に」

「猫ですよ、猫」

「猫!?」

「エサやらないと」

「海、お前んち猫なんて飼ってたっけ?」

「拾ったんですよ。昨日、駅で」


またァ!?



「親にまだ言ってないから。俺が帰らない限り、何も食べられないんです」

「だったら、どうして真っすぐ帰らなかったの」


夏井さんがもっともな質問をする。

さっきの会話の名残で、ちょっと呆れ顔。



手際よく、ヘッドフォンを耳にかけなおしながら、ハリネズミは答えた。


「電車降りるまでは、さっさと帰るつもりだったんですよ。でも、何ででしょうね。駅前の信号が赤になって、それ待ってるのが嫌で。渡らなくても来れる方へ足が向いちゃったみたいですね、俺。そういうこと、ありません?」


「さあね。俺は、ないかな」

首を傾げつつ、俺じゃなくて「誰か」ならあったような…と記憶をたどる。



その「誰か」を特定出来るほどの記憶力が、俺には無かった…。




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