第一章 燃える街・陸
ぎしぎしと、激しく軋みを上げながら鉄の山は歩みを続ける。
器用に複数の足を動かす様は生々しく、まるで山を一つ背負ったヤドカリのよう。
よく見れば複数の穴があり窓のようになっていて、洗濯物が干されている等の生活感を感じられる。この鉄塊は兵器だけではなく街としての役割も担っていた。
街は村の監視塔を崩して進入すると停止し、周囲に蒸気をまき散らしながら物々しい音を立てて不可思議な鉄筒を村人たちへと向ける。
それが火薬を用いて人を殺すための凶器であることを、村の誰もが知らなかった。
「とにかく散ってください!」
気づいたジェーンが声を荒げて伏せるが、既に遅かった。
鋼の雨が村に降ったのだ。
複数の鉄筒から爆発音が響きわたると、辺りには鮮やかな紅が広がる。
それはかつての友人で、いまは物言わぬ屍となって痩せた土地に転がるのみ。
硝煙があたりに充満し、悲鳴が村中を支配する。
「終わりじゃ。最初から喧嘩を売ろうと思わないことだった。我々は神を怒らせたのじゃ」
無惨な光景を前に、村長は生きる気力すらも失い、呆然と立ち尽くしていた。
自分一人の命で賄えるなら、捧げてしまっていいとすら思っていた。
「あれは神なんかではありません。人間が作り出した愚の結晶です」
諦める村長だったが、希望はまだ残っていた。
例えどれだけの人が死んだとしても。目の前の敵が、全貌を見渡すことのできないほど巨大な相手だったとしても。
心の折れない者がいた。復讐を遂げようとする者がいた。
「人を固めないようにして散らして物陰に退避させてください」
ジェーンがネモへ言い放つと、彼女は小さく頷いて走っていった。
街が再び砲塔を村へと向けた。もはや狙いを定める必要はない。家屋をまとめて吹き飛ばせば、勝手に死人がわき出てくる。
だが、その砲塔は中央へと寄っていた。
あまりにも狙いやすい巨体が、街と対峙していたからである。
イヴァンの瞳は怒りに燃えていた。温もりをくれた光をかき消す存在が許せなかったから。
「限界まで引きつけましょう。合図を出したら走ってくださいね」
ジェーンはイヴァンの背中へと飛び乗り機会を伺う。
「悪くない乗り心地でしてよ」
彼女の柔らかな質感にイヴァンは驚き、胸の中がざわついた。それが庇護欲であると気づくには、まだ精神的には未熟であった。
そして、再び雨は降る。人を溶かす砲弾の雨。
「今です!」
イヴァンが大地を蹴った。飛び交う致命の一撃を恐れず、ただ街へと前進する。
すぐ側で炸裂する着弾音。聴覚はもはや頼りにならない。
「目指すべきは懐、ですわ!」
鉄の雨には死角が存在していた。それは砲塔の間の隙間部分と、向けることのできない足下。
踵で地面を滑りながら、イヴァンは蠢く脚の中へと入り込んだ。
しかしそれは悪手だったと言うべきかもしれない。
街の下には更に十数本もの脚が格納されていた。
鉄脚の、地面を掴むために鋭く先の尖った爪は杭のようになっている。
一撃でももらってしまえば、彼の腹にはぽっかりと穴が相手しまうだろう。
器用に自身を支えながら、脚はイヴァンに襲いかかる。
のろまに見えるのは、その身体が大きすぎるからだ。
びゅおんと勢いよく空を切る一撃はイヴァンの反応速度を上回り、かわしきれず傷を負ってしまう。
「イヴァンさんっ!」
体勢を立て直そうと抜けられる箇所を探すが、脚は全方位を囲っていた。
早すぎる攻撃を、イヴァンは捌くだけで手一杯となっていた。
「なんだぁあの怪物は」
脚の付け根から数本の縄が垂らされ、男たちが降りてくる。火の街の者だ。
彼等は小さな鉄砲を構えながらイヴァンの様子を窺っていた。
「別嬪さんをつれてるじゃねーか」
男たちの視線は、イヴァンの肩に乗るジェーンを捕らえていた。
「ほれ、お前だけなら助けてやるぞ、代金は身体で払ってもらうがな」
男たちは油断していた。それもそのはずだ、このまま体力が尽きればこの巨人はあっという間に針のむしろとなってしまうだろう。
彼等はジェーンの豊かな肢体が物言わぬ肉塊になることを惜しんだのだった。
ジェーンは悔しそうな顔で手を伸ばすと、男たちの歓声が上がる。
彼等は享楽のためだけに生きているのか。そう考えただけでジェーンの頭の中は沸騰しそうになった。
「ほれ、しっかり掴まれよ」
「ありがとうござい・・・・・・ます!」
男がジェーンの手のひらを掴もうとした瞬間、その腕は両手で大きくひねり上げられた。
「いっでぇっ!」
呻くのも束の間、ジェーンは男の腕を引っ張って力一杯跳躍をする。縄の上部へとしがみつくと、片手しかつかえない男を蹴落とした。
「お陰で足掛かりを見つけましたわ。イヴァンさん! 押してください!」
静止状態のロープをイヴァンが強く押すと、振り子のように大きく縄が動く。
ジェーンは縄の先端へ下がり、他の男たちがいる縄へと飛び移っていく。その様はまるで、空中ブランコで空を舞う道化師のようですらあった。
「捕まえたぞ。不気味な動きしやがって」
飛び移るより先に、男の手がジェーンの身体に巻き付き、抱き寄せるような形になってしまう。
「このまま落としてやろうか!」
男が一括しても、ジェーンは微笑みを浮かべるだけであった。
「一つだけ教えて差し上げます。・・・・・・淑女の身体には気安く触れるべきではありませんわ!」
ジェーンは口から錆びた釘を吐いた。勢いよく飛び出たそれは、男の右目に刺さる。
「ぐあぁっ! この野郎・・・・・・」
男が二の句を継ぐことはなかった。
ジェーンが胸の間に挟んでおいた杭を取り出し、喉仏へと突き立てたからだ。
士気を失った男たちを落とすことは容易であった。ジェーンが男のいる縄へと移る度、地面には穴だらけの肢体が増えていった。
「こちらは粗方制圧完了ですわ。さぁ、この縄で上へ! 強度は十分です
ので」
イヴァンが縄を掴んで上へと跳躍すると、先刻まで続いていた猛攻が止んだ。
脚もまた、根元へと攻撃することはできないようになっていた。外側に対しては攻撃的だが内側は安全な作りになっているらしい。
「イヴァンさんの大きさでは出入り口への進入は無理みたいですわね。私は内側から。あなたは外側から襲撃をかけましょう。こんな鉄くずぼろぼろにしてやるのです」
ジェーンは狂喜の笑みを浮かべていた。人を殺すことに快楽すら感じているようで、イヴァンは複雑な気持ちになる。
「神のご加護を」
そういってジェーンは消えていった。おぞおましい金属の擦れる音。どうやら上の砲塔が可動しているらしい。
そこまで来てイヴァンは気づいた。三射目が、今度こそ村の皆を狙っているということに。
『グガアアァァァァァァァァッ!』
醜人は吼える。これ以上なにも失いたくかったから。新しい世界を見せてくれた少女の笑顔を取り戻したかったから。
戦うことの意味が変わってきていることに、彼はまだ気づいてはいなかった。
或ル醜人ノ話 たつみち @kouryakukoten
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