第一章 燃える街・伍

「私どもにできるのはこのくらいでございます」


 戦のために提供された資源は必死にかき集められた食料と武器になりそうなもの。


「ふふ、こんなに上質な皮鎧を頂けるなんて」


 ジェーンは防具を受け取っていた。女性の皮鎧は男ばかりが戦場にでる火の国で需要はなく、また鋳つぶすこともできないため村に放置されていたのだ。


「しかし修道女殿が戦場に出るなど・・・・・・」


 村長を名乗った禿頭の男は苦い顔をする。


「私はただこの村を失いたくはないのです。もうじき日暮れが早まれば収穫の時期が来るでしょう。豊穣の神は収穫祭をお望みですよ」


 足まわりが邪魔だと判断したジェーンは、修道服のスカートの裾を破り去る。血管が薄く透き通る程の白いふとももが露わになり、村の男達は思わず見入ってしまう。


 それをよしとしない女性陣が男達の長く尖った耳をひねり上げると、誰からともなく笑いが起こった。


「私と村の男衆の半分、それから・・・・・・・」


 村長の隣には外套を目深に被ったうら若き女性が一人。


「私の娘がここに残ります」


 少女は戦闘能力があるわけでも、知略に長けているわけでもなかった。だが、彼女こそがこの村に残された最後の切り札となる。


「何かあれば彼女を差し出します。とにかく時間を稼いで村人には逃げて欲しいのです」


 彼女は名をフィーリといい、黄金色の大地に咲く白百合であると称される程の美貌を持っていた。


 この村の外交は村長が彼女を婚約相手にするという切り札を用いて成立しており、火の街の一番の狙いもこの女性であった。


 つまり、彼女を差し出せば村に平穏が訪れるだろうことも、村長はとうに知っていたのだった。


「時に、商人殿は本当にそれだけでよろしいのですか?」


 一方でネモが要求していたのはこの村の一般的な衣服であった。似たような配色の重ねた布を巻いただけの簡素なつくり。もちろん戦場へ赴くには頼りなさ過ぎる代物であった。


 ネモは再び顔をぐるぐると包帯で巻くと、自らの顔を隠していた。


「あぁ、むしろこれが欲しかったんだ。ボクの武器はこれだけだからね」


 白に潰された顔をそっと撫でる。


 そして、村の人間があえて触れることの無かった箇所に目を向ける。


 佇む巨大な影。日に背いて伸びるそれは、村人をすっぽりと覆ってしまうほど。


 村人はわかっていた。彼こそが、この村を救う最後の希望であると。同時に恐れていた。彼の怒りの矛先がこちらへと向けられたとき、自分たちは虫けら同然に潰されてしまうだろうことを。


 誰も、誰も彼へと言葉をかけることができないでいた。


「うふふふ、あははははは」


 無邪気に駆け寄る子供の姿が一つ。


 保護者とおぼしき女性が慌てて駆け寄ろうとするが、ネモは無言でその足を払った。バランスを崩した女性は顔をしわくちゃにしながらその子の名前を叫ぶが、子供の視界にそれは映っていなかった。


「みて、みてっ!お花の冠だよ! おじちゃんが咲かせた花で作ってみたの、つけてみて!」


 小さな小さな花冠では、醜人の頭にすら乗せることは困難だ。差し出されたそれを受け取ったそれをまじまじと眺めると、思いついたように小指へとはめてみる。


「おじちゃんだと花の指輪になっちゃうね。あははははっ!」


 馬鹿にされた、と最初醜人は思っていた。その態度には怒りさえこみ上げていた。


 しかし、幼女醜人の手の甲にすり寄る姿を見てネモと出会った時を想起する。途端に醜人の心中はとても穏やかなものへと変わっていた。


 険しい断崖のような顔は、表情を出すことが困難である。だがそれでも、醜人は厚ぼったい唇を持ち上げると、薄く口角を上げていた。


「彼にも理解できる心はある。森の民が平原の民と和解できるように、ボクたちと彼もわかりあえるはずだ。そうでしょう?」


 その言葉は村人たちへと向けて放ったものであるが、醜人は思わず心臓に手を当てていた。


 人間が憎い。自らを死の淵まで追いやった彼らを許すことはできない。彼の瞳は怒りに燃えていたはずだった。


 だが人間であるだけで敵意を向け、排除しようとしていた自分は同じことをしていたのではないだろうか。


「改めましてジェーンと申しますわ。あなたの戦いにお供させていただきたく存じます」


 次に歩み寄ってきたのは皮鎧に身を包んだ修道女であった。確か、夜の襲撃で襲われていたのは彼女だったはずだ。


「一緒に戦っていただけますか?」


 醜人は動揺していた。ネモ以外の人間にここまで距離を詰められたのは、初めてだったから。


「信じるかどうかは君次第だよ」


 ネモは醜人へと判断を委ねた。それこそがきっとネモが最も忠誠を誓っているという証だったから。


 醜人の孤高な戦いは、既に一人のものではなくなっていた。


 差し出される手のひらに、今度は人差し指でもって答える。


「よろしくお願いしますね、イヴァンさん」


 醜人は首を傾げる。その名前に聞き覚えは無かった。


「ふふ、先刻そこの押し掛け女房様があなたをそう名付けていたのですよ」


 イヴァン。怪物でも化け物でもなく、虹の少女は自分をそう呼んでくれていた。


 深く、深く頷くとイヴァンはそれを手に取る。


 人と醜人、共にわかり合える可能性をここにいる全ての人は感じていた。


 ぱちぱちぱち。幼女が手を叩いて笑うと一斉に拍手喝采が飛ぶ。


「あなたにかけてみるわ」


「この戦いに勝てたら浴びるほどの酒をのませてやらぁ」


「それにゃ湖一つ用意しないとな!」


「頼りにしてるよ、巨人さん」


 黄色く、温かい光が自らの胸へと集まっていくように感じられる。その日初めて、イヴァンは人の温もりを知った。


「た、大変だぁっ!」


 武装した村人の一人が駆け寄ってくる。武装と入っても少し集めの服に使えそうな農具を装備しただけであるが。


 ともかく彼は必死の形相でイヴァンと村長を遮ると、矢継ぎ早に反し始めた。


「鉄の塊が・・・・・・でっかい鉄の塊が村に向かってくる!」


 ずんっと同時に低く沈むような地響き。もちろんイヴァンは微動だにしてはいない。


 もっと大きな、重い何かが歩み寄る轟音。


「まさか、もう来たというのか!」


 まだ夕刻すら回っていない。下りではあっても日の街のある山から村までは、馬で半日以上はかかるはずだった。


「急いで避難を! できるだけ走れ・・・・・・」


 村長はそこまでで言葉を打ち止めた。


 ぎぎぎっと鈍い音を立てて向かってくるそれは、村と同程度の規模はあるだろう多脚の移動要塞であった。

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