第一章 燃える街・肆

「さて、尋ねよう。君は何者なんだい?」


 眠い目をこすりながら商人、いや、もはやそう呼ぶべきではないだろう。


 偽装した髪を剥ぎ、豊かな長髪をさらけ出した黒髪の少女は、隣に寝転ぶ修道女へと問いかけた。


「巡礼中のただの修道女ですわ」


「押し通せると思っているの?」


「私が嘘だと認めない限り、事実です」


「聖書の代わりに懐に隠しているそれは呪詛が刻まれているようだけど」


 少女の視線は、彼女の胸にかけるロザリオ、その先にあった。


「道端で声をかけたときから気づいていたのですか?」


「いいえ。ただ、敏くて利用できそうだったから」


「利用する相手を間違ってしまったようですわね」


 二人は名もない山吹色の草花の中でまどろんでいた。


 そこは先ほどまで村のはずれの渇いた荒野であるはずだった。


 土を色付け花開かせた張本人は、岩山のように座り込み、寝そべる二人を見下ろしていた。


 修道女はゆっくりと起きると、微動だにしない醜人に手を当てる。


「なんてたくましい身体なのでしょう。きっと彼なら、神も殺せるかも」


 恍惚とした表情でひび割れた肌を撫でる。彼女の瞳が映し出すのは、どこまでも沈むような深淵。


「あなた、綻びの神の信徒ね」


 綻びの神。安寧には混沌を与え、破滅には再生を与える世界の変動を司る者。


 彼の信徒は聖書を持たずに巡礼をし、調和を乱し争いを終結させるという。


「肯定も否定も致しません。しかしあなたの目的と私の目的は、違えるものではないと思うのです」


 空いた左腕を少女へと向け差し伸べる。


 まるで救済を与える天使のような優しさを携えながら。


「ジェーンと申します。あなた達にお供させて頂きたく存じます」


「ここでこの手を振り払ったら、どうなるんだろうね」


「どうもしませんわ。但し、これから起こるであろう戦火の中でうっかり手を滑らせてしまうかもしれません」


「仲間になっても裏切らない保証はないけど」


「これで誓約を行っても構いませんよ」


 舌をぺろっと出せば、そこには漆黒の針が一本。素人目で見てもそのまがまがしさが伝わってくる。


「これを赤い糸を通してお互いの小指に突き刺せば逃げられません」


「あー、それはいいかな。痛いの、嫌だし」


 ジェーンに悪意を持っていないことは理解できた。だがしかし、少女はその手をとれずにいる。


「ボクは彼の所有物なんだ。だからボクが勝手に協力をすることはできない」


 少女の願いは聞き届けられた。それはつまり、少女が醜人に全てを捧げたことを意味している。 


「随分と亭主関白ですこと」


「違う。彼は優しい。ボクがただ、そうしたいだけなんだ」


「言葉に抑揚がないのになんて情熱的なのでしょう。私たちはそういう矛盾が大好きでしてよ」


 全く羨ましい。ジェーンは自分が嫉妬していることに気づき、言葉をのんだ。


「きっと、今夜は荒れますね」


「だから眠ってもらっている。残念だけど、この村はもうダメかな」


 藁の村へ火の民が使いを送ったが、沈黙。滞在を知らせる伝書鳩の連絡もない。


 とすれば、異変が起きていると察することは容易だろう。


 早ければ今晩にも攻めてくるに違いない。


「作物のない平野を逃げたところで、村の者は間違いなく捕まるでしょうね」


「ボクたちの目的はこの村を守ることではなくて火の神の殺害さ。だから、最終手段は考えてある。彼は絶対に殺させない」


 だが厳しい戦いになることは必至だった。少女は強く唇を噛む。


「ではこうしましょう。今回の戦い、私も加わります」


 ジェーンは薄く微笑んだ。ヴェールをとれば、豊かな金髪が豊作の麦畑のように風にそよぐ。


「それであなたが心血を注ぐ主様のお眼鏡に適ったときは、是非火の国までお供させてくださいませ」


「君が男だったらやりやすかったのに」


「女でいて都合がいいと思うときはよくあります。最後に一つ。お名前を教えてはいただけませんか?」


 少女は頬に手を当て、浅く考え込んだ後、初めて名前を口にした。


「ボクはネモ。そして彼は」


 物言わぬ巨体を指さして少女は息を整える。


「イヴァン、イヴァンだ」


「はは・・・・・・はっはっはっはっはっは」


 ジェーンは腹を抱えて笑った。


「それじゃ私達、"匿名たち(アノニマス)"ではありませんか。はっはっは・・・・・・ふぅ」


 最後に腹の底から声を出したのはいつ頃だっただろうと思う。何故か、彼らの存在は彼女を愉快にするのだ。


「よろしくお願いしますね、ネモさん、イヴァンさん」


 ネモはそれを理解できず、ただ黙ってジェーンの様子を見つめていた。

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