第6話 彼女と彼女の母親の話

彼女と彼女の母親の話をしよう。


彼女の母親は、いわゆる「おかあちゃん」タイプである。

強く、時に大多数には柔軟に順応し、大人数の客人には愛想良く大量の料理を振る舞う。

「いいお母さんだね!」というのが彼女の母親に向けられる評であったし、彼女自身もそう思っている。


彼女は長女として育ち、妹が一人いる。

彼女は男の子に交じって虫採りや川遊び、山遊びなど、いわゆる「女の子らしからぬ」遊びに日々興じ、妹はおままごとやお人形さん遊びで、「女の子同士のおしゃべりの方法」を幼い頃から身につけていたようだ。

そんな正反対の二人だったからこそか、彼女に対する母親の態度は中々厳しいものがあった。

いや、彼女の母親を責めることはできないだろう。

野生の獣のごとき彼女は、毎日全身泥まみれになって帰ってくる、漬物石ほどもある大きな石を持って帰ってくる、ポケットに兎の糞が詰め込んである、という謎の行動をとり続けたのだから。

「女の子二人姉妹」という言葉が持つ甘く柔らかい響きに、応えることができなかったのは彼女なのである。

彼女の母親は、「世間の価値観は絶対であり、その価値観にそぐわない人間は異常である」と信じている人間だったのだ。今思えば。

だからこそ彼女の母親は彼女に「お前なんかにはもったいない」「お前にこんな服は似合わない」と、彼女から女性らしいものを遠ざけ続けた。

無理もない話だ。

何より彼女がそれを望まなかった。

きれいな服もアクセサリーも、山遊びには邪魔なのだ。

いや、決して望なかったわけではない。

けれどきれいな服やアクセサリーは、子供に身に着けさせるには高価なのだ。

彼女に渡したところでポケットに入れたまま山に入り、そのまま落としてしまっていただろう。

一度、妹と揃いのワンピースを彼女の母親が手縫いしたことがある。

彼女はそれを着たまま木登りをして、ワンピースの裾を早速破いてしまった。

彼女の母親はそれを見てため息をついた。

「やっぱりお前にスカートは無理だったねぇ」

彼女は

(私にはスカートは無理なんだ)

と思った。


彼女は勉強が好きだった。

自分が知らないことが知れる、知ることで新しい知識にも応用ができると気づいて勉強に夢中だった。

元々小学生の頃から読書が大好きで、時間があれば図書館にこもって次々と本を読んだ。

中原中也、水滸伝、江戸川乱歩・・・ジャンルも年代も無茶苦茶だったが、とにかく文字を体に詰め込んだ。

知識欲で膨大に肥大した少女は、時に年齢にそぐわない発言をしたかもしれない。

懇談会か何かの親が学校に集まる折、彼女の友人の母親が、彼女の母親に

「おたくの子すごいじゃない。うちの子はあんなに勉強しないわよ」

と話しているのが聞こえてきた。

彼女は無邪気に

(私ってすごいの!?お母さんがほめてくれるかもしれない!)

と母親の返答を待った。

彼女の母親の返答は

「ろくなもんじゃないわよ。いらないことばかり覚えてきて」

と唇をゆがめた。

家に帰る途中

「お母さん、〇〇ちゃんのお母さん、今日私ことすごいって」

と話しかけると

「あんなの本気にして恥ずかしい。」

と言われた。

彼女は(やっぱり私はすごくないし、恥ずかしいことばかりしているんだ)と思った。


彼女が、自分が世間の価値観と乖離していると気づき始めたのは、中学生になった頃のことである。

周囲がなんとなく浮き足だって、今まで耳にしたことがない言葉で溢れかえり始める。

なんとかくんがかっこいい、なんとか先輩が告白されたって。

かっこいいと噂のなんとかくんを見てもかっこいいと思えなかった彼女は、なんとかかっこいいと思える人を探して漫画の中にその人を見つけてしまった。

当時はそんな言葉はなかったが、いわゆる「オタク」人生の始まりである。

一転して妹は、「明星」を経て「Screen」でハリウッド俳優に夢中になっていた。

世間の目を何より重んじる彼女の母親が見て、二次元に恋する姉と、ハリウッド俳優に恋する妹を見てどちらが異常と判断したかは言うまでもないだろう。

彼女の母親は、彼女が必死で貯めたお小遣いから単行本やポスターやラミカードを購入するのを見る度に

「またそんな下らないものを買って」

とため息をついた。

次第に彼女は「自分が好きなものは下らないものなんだ」と、欲しいものを口に出さず、可能な限りひっそりとコレクションを増やすようになった。


要するに彼女は「自分は恥ずかしく、下らない存在である」という呪いを受け続けて育ったのだ。

そこには彼女の母親なりの、「世間様に順応できる謙虚な人間になってほしい」という願いがあったのだろう。

実際、彼女の妹は女の子の友達と噂話をし、同じものを見て、同じように感じ、同じ反応をすることで世間にも母親にも順応していたように彼女には見えた。


(私だけが、この世界で異常で恥ずかしく、何もできない存在なのだ)


そんな気持ちは言語化できなままむくむくと育ち、思春期を迎え、けれど恥ずかしい存在であるが故に世間様に当たり散らすこともできず、自分を傷つけるような真似をして自分を罰した時期がやってきて、過ぎていった。


だから、進路を決める時期になり、看護師になりたいと意を決した時も両親に中々言い出すことができなかった。

どうせまた「看護師なんてお前にできる訳がない」と言われると思っていたからだ。

けれどその時の未来に向けた若くて熱い情熱は堪えることができず、涙と一緒にあふれ出た。

意外にも母親は文句を言わず「いいじゃん!」と言ってくれた。

自分がやりたいと言ったことが受け入れてもらえたことが初めてで、彼女は安堵した。

けれど父親は難しい顔をしていた。

「お前、本当にそれでいいのか」

「え?」

「お前は医者になるんだと思っていた。いいのか、それで」

・・・そうか・・・そういう道もあったのか・・・

考えが口をついて出る前に母親がそれを遮った。

「無理に決まってるじゃない、この子に医者なんて」

そうだ、無理に決まっている。

だって、私だもの。


学校では徹底的に縦社会を強いられた。

先輩は神、看護師さんはもっと神。一番下である自分たちは犬以下。

犬以下の存在が神に口答えするなどもってのほか。

そもそも口をきいていただけるだけでありがたいことなのだ。

それでも、恥ずかしく何もできない存在であった自分には、それなりに心地良い環境であった。

犬以下の存在であるということを再認識することで、ようやく存在が許されていた気がしたのだ。


だから、社会に出た時驚いた。


社会は思った以上に広くて、自分を受け入れてくれ、気にかけてくれた。

ある先輩は美容院の行き方を教えてくれたし、ある先輩などは「これから稼ぐんだから、いつまでもそんな恥ずかしい財布使ってんじゃないわよ」と、革製の財布をプレゼントしてくれた。

就職してから知り合った友人は、遊び方とお金の使い方を教えてくれた。

自分がこんなことをして楽しんでいいと思っていなかった彼女は、最初戸惑い、少しずつ大人の懐と視野の広さを手に入れていった。


それでも呪いは解けていなかった。

人生で初めて、友人の結婚式に出るため、今までしたことのない化粧とドレスの試着をしていた時のことだ。

彼女は彼女の母親と妹に付き合ってもらっていたのだが、化粧をした彼女を見て二人は盛大に笑った。

「何それ!」

彼女は張り付いた笑顔で笑い返したが、結婚式には薄くファンデーションを塗っただけで出席した。


そんなことが何度かあって、彼女は着飾る、化粧をするということができなくなった。

いつでもジーンズにパーカー、夏ならTシャツ。

誰に笑われることもない、誰が気にすることもない恰好。

服もジーンズ1本に数着程度しか持っていない。

フォーマルな場にはパンツスーツ。

自分が女性らしい恰好や行為をするのは恥ずかしいことだから。

無理に着飾ろうとすると涙がぽろぽろとこぼれて、喉がきゅうとしめつけられ心臓に穴が開いたようになってしまう。

いつもの恰好で許されるなら、それが自分のためにも相手のためにも一番いいのだ。


それでも彼女の母親は良い母親だ。

料理、洗濯、家の中の家事をくるくるとこなし、自分の食べる分を子供に平気であげてしまう。

自分のことより子供のことを心配し、彼女の祖母が倒れた時も、在宅で最期まで面倒を見た。

「それが世間様の見る良い母親像だからだ」と思ってしまう彼女の方こそ、歪んだ存在なのだ。

世間体より自分を見てほめてほしかった、彼女の歪んだ感情からの感想なのだ。


「あんたは何できない」と言われ続け、何もできない存在だった自分に「それくらい言わなくてもできるでしょ普通」と突然の要望を突き付けられても、何もできず、普通でもなく育ったが故に、彼女は今


「私何もできないからぁ!」


と大きな声で生きている。


何も期待されず、プライドもなければ、傷つけられても一向にかまわない。

「何もできない異常な子」は、社会に出てから一流の対人スキルとして使えるようになった。


下から見ていると分かることが沢山ある。

多くを手にしているはずなのにもっともっととさまよう様は、さながら深海から眺める魚たちの青白い腹のようだ。

「お金と暇がある人は羨ましい」とテレビを見てぶつぶつ呟く母親、彼氏からのプレゼントが気に入らないとぼやく女性、いくら働いてもいいことなど一つもないと酔いつぶれるサラリーマン。

今の生活に不満を言って別の幸せを探していたのでは、いくらお金を手にして、環境の良い職場に変わったところで幸せになることなんてできないのだ。

世間体を気にしてただ大多数の人間と同じ方向を見て、同じことを感じることに腐心する人間は、足元に転がった石ころをダイヤの原石だと気づかず蹴とばし、手元に残る幸せが少ないと嘆くばかりだ。


80台の女性を、その娘が車いすに移している。

女性は足が悪く、動かす度にあちこち痛がる。

そんな母親をなだめながら必死で移乗を試みる娘。

「私が代わりますよ」

と声をかけても

「いいのよ。この子にやらせてやって。こんなこともできないんだから全く。

慣れてもらわないと。看護師さんに迷惑かけてられないわよ、ねぇ」

と母親の方が言う。

今はどうやら、看護師である彼女の方が「世間様」らしい。

娘は困ったように笑ってみせた。

あぁ知ってるこの表情。何もできない自分が心の底から恥ずかしいのだ。

「そんなこと言わないで。とても一生懸命やってくれてますよ。

〇〇さん大きいし痛みがあるから、ここまで動かすのだってお互い大変でしょう。

大したものですよ。

ご家族さん、私移乗のコツを教えますから、一緒にやってみましょう」


青白い魚の腹が、ゆらりと翻った。

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ぴんとこなーす @purupuru44

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