プレゼントはカカオ豆

星野 ラベンダー

プレゼントはカカオ豆

 目を二、三度瞬かせた。ぱちくりと効果音がしそうな程、大きく。

そうする以外に、何も出来なかった。

目線を下にさげ、手の中のものを見つめた。

ピンクのリボンで結ばれた、それ。黄緑みたいな色してて、長くて丸くて。


「あの、これは……?」


 私は目の前にいる彼女に、かろうじてその一言を紡いだ。


「カカオです!」


 彼女は心持ち胸を張ったように、目を大きくした。

やれやれちゃんと説明してあげねば。とばかりに、すっと息を飲む音がした。


「カキクケコのカ、も一度カキクケコのカ、最後にアイウエオのオ……。カカオです!」


 わかっている。それはちゃんとわかっている。カカオがどういうものであるかも。そのカカオから作られるものが、今日という日、最も多く出回るということも。


 月は2、日は14。

カレンダーの日付がその数字を示す本日は、バレンタインデーだ。

言わずと知れた、恋人達による恋人達の為のイベント。


 私も相手がいれば、この日はだいぶ変わったものになったのだろう。早くバレンタインデーになれと願い、しかしいざ近づけばやっぱりもうちょっと待ってほしいと祈るような。そんな甘酸っぱい気分を味わえたかもしれない。が、それはあくまでも想像の中でのお話。現実は塩辛いものだ。


 おもちゃのように可愛らしくて小さなチョコレートを渡す相手は沢山いても、大きなハート型のチョコレートを渡す相手はただ一人としていない。

私は今日、色んな人にチョコレートを配った。

さながら町中でポケットティッシュを渡している人みたいに。


 学校が終わると、私はそのまま親友である彼女の家に行った。

予定が合わず、学校では渡せなかったお菓子を渡そうと思ったのだ。

そうして向かった部屋で、彼女がかしこまった態度で差し出してきたのが、これだった。


「えーっと、ちょっと待ってちょっと待って」


 額に手を当てる。そこの箇所が、何かにぶつけたわけでもないのに妙に傷む。

 そうしている間にも、もう片方の手にある物体は異様な存在感を放っていた。

どうもこんにちは本日の主役です、という声が聞こえてくる気がする。


「……なんで、カカオ?」


 どれくらいそうしていたか。色々考えたいこと、聞きたいことが山のように浮かぶ中で、その一つを選び取れて聞くことができた私は凄いと思う。

彼女はああ、と合点がいったように手をぽんと叩いた。ふん、と鼻息が出る。


「バレンタインデーって、チョコレート渡す日になってるじゃないですか。でも、誰一人として、その全ての原材料であるカカオのことには、話題にすら上がらない! せいぜいパッケージの裏を見て、カカオ、って書いている文字を見て、ああカカオ使われてるんだって思うことしか!

あなたに何あげようか考えたのです。考えて考えて、そこで気づいた! カカオこそが、どんなお菓子よりも気持ちを伝えられるのでは、と! 私からの全ての感謝の気持ちが詰まったものです、どうか受け取って下さい!」


 目眩がした。おかしい。なぜ。昨日お菓子作りのために夜更かしして寝るのが遅かったからか。そうか。いや違う。間違いなく目の前にいる人間のせいだ。


 言っていることはわかる。確かにカカオそのものを全面に押し出した商品は見当たらない。

だがそれが、なんでどうして、カカオを渡そうという思考に繋がるのか。


 気持ち。伝わるだろうか。この世界にどどんとリボンを結ばれたカカオを渡されて、気持ち伝わったよって嬉し泣きする人は、いるだろうか。


 君はにこにこと笑っている。ケースの中に入った結婚指輪を見せられた婚約者のように、最初は混乱していて呆然として、状況がわかったと同時に涙を流す。そういう反応が来ると信じて疑わない目をしている。 


 私は天井に顔を向け、目を閉じた。


 落ち着け。彼女がこういうとんでもないことをしでかす人物だということは、身を以てわかっているではないか。二桁以上の付き合いがあるキャリアを思い出せ。


 だがしかし限度というものがある。

このカカオ、どこで採ってきたんだ。まさか現地に行ってきたんじゃないだろうな。でも彼女のことだ、そう聞いたらなんでわかったんですか、って言いそうだ。

そんな台詞聞いた暁にはいよいよ救急搬送される事態に陥りそうだから、黙っておく。


「チョコレートは」


 ずっと上を向いたまま固まった私の姿に、思っていたのと違うと感じたのか。少し拗ねたような口調で、彼女が口を開いた。


 私は顔をさげ、次の言葉を待つ。目を伏せ、ちょっと尖らせた君の口が、言葉を発す。


「カカオが無いと作れないもの。つまり、一番大事なもの、ってことです。あなたがいなければ、今の私はいない。そういうことを、伝えたかったのです」


 伝えてる。結局言葉で言っちゃってる。意味無い。けど、一番、わかりやすい。


「あのね」


 私は軽く息を吐いた。自分の鞄を開け、中を探る。


「貰ったはいいけど、どうすればいいかわからなかっただけ。でも、とても嬉しいよ。ありがとう」


 君の顔を見て、にこっと笑う。君は安心したかのように息を吐き出し、満面の笑みを浮かべた。


「はい、これ」


 鞄から取り出したものを、君の手の中に置く。


 リボンで結ばれた、透明の袋が二つ。

一つは、今日皆に配ったチョコレートのクッキー。


もう一つは、昨日一番時間がかかったお菓子。


 これに時間をとられたせいで、今日寝坊しそうになったのだ。

難しいとは聞いていたけど、本当に難しかった。何度も失敗した。

家にある失敗作の山を思うと、気分が沈みそうになる。


「マカロン?」


 私は頷いた。


 君は笑った。嬉しそうに飛び跳ねた。涙すら浮かべている。

意味が伝わったのか、単に一番の好物を貰えたことが嬉しいのか。


 十中八九、後者だろう。君はそういう人だから。

でも、その部分が無かったら、君は君じゃない。


 この冬が終われば、彼女は遠くの世界に行く。


 フェアトレードを、もっともっと広げてみせる。

 毎日のようにそう言っていた君は、一歩を踏み出す。そのために、遠くに行く。いずれは、私の手が届かないところまで。


 だけど、私は忘れない。

 バレンタインデーに、君からカカオを貰ったことを。

 大切で、大事な人から貰ったことを。

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