第5話


(一文)



つむぎ。



そう名付けたのは、沙緒だった。



くりくりと丸い目に、意志の強そうな眉。

それにぷっくりとした桃色の頬は、愛らしくて愛らしくて。

近所で評判だった。


いや、叔父としての贔屓目か。と、呆れて見たりもするが、つむぎの甘ったるい声やまあるい桃色の頬は、どうしても人の目を引いた。まるで沙緒の小さな頃だ、と何度も何度も思った。

17になっても桃のような頬をして、さらに仕草がどこか子供っぽかったからだろうか。こうも、幼い姪に妹の姿を見ると言うのは。


そう言えばあの浴衣は、どこにしまったのだろう。母に、聞いておけばよかったか。


自覚している。面影の分姪には甘い。

ましてや、父親は旧友なのだから。


「おーい!カズ!」


おそらく門をくぐって来たのだろうあたりで、つむぎの勢いのついた足音が聞こえてきた。

派手に玄関を開け、こんにちはぁぁ!と言いながら鳴る足音は、夏の暑さももろともしない。


そのまま母屋を走り抜けるようにして、離れに寝室がある父のところへ行った。

とげとげしさも増えすぎると丸くなるらしい。一身に工場を背負い続けた父は、代替わりをしたあと孫への溺愛っぷりに比例してまるくなっていった。


酒屋の前にぶら下がる杉玉を見るたび、これかと妙に納得したりした。



向こうで「おじいちゃん、おひるたべたぁ!?」と呑気なつむぎの声がする。

子供ってのは元気だなぁ‥と思わず呟く。


すると、花笠は「叔父さん、おっさんくさいよね。」とビニール袋を差し出しながら言った。


土曜日になると、花笠はつむぎを連れて家に来る。それが、彼なりの伊東家への優しさなのだろう。でも、それにありがとうとは言えなかった。


敢えて、と区切ると言うことは、線を引くと言うことだ。

つまりそれは、花笠とつむぎが、そして俺が今とは違う何かへと変わってしまう事だった。


庭の梅もつつじも毎年咲くし、松の木は少し背が伸びた。玉砂利はつむぎが遊んでしまうから、ずいぶんと減ってしまった。

それでもなんら変わりなく、ある。


うん。ある。


「なにこれ。」


渡されたビニール袋を覗くと、いくつかの惣菜だった。出来立てなのだろう、まだ暖かい。


「カズもお父さんも昼飯まだでしょ?一緒に食べようかと思って。」

「そりゃぁ、ありがたいけど。なにこの量。」

「だってさあ、つむぎが“かずくんは、これが好き。これもすき。”って言うから。」

「甘やかし過ぎじゃない?」

「この場合、甘やかされてるのはカズでしょ。」

「あぁ、そうね。俺がね?つむぎからね?」


花笠はそうそう!と、ひゃっと笑い声をあげ、家に上がると、つむぎを呼んだ。

つーむー!と呼ぶ声が、柔らかく優しくてほんの少し胸が痛む。


「ほら、ごはんだからね?手を洗おう。」


つむぎに言いながら、慣れた様子で庭の水道をひねった。

加減を考えない花笠が勢いよく出すものだから、顔に跳ねた水につむぎがはしゃぎ、結局派手な水遊びになってしまった。


沙緒ならきっとこの縁側から、「お兄ちゃん!みてないで止めてよ!すぐ無茶するんだから!」と、声を荒げたに違いない。


そんな姿が花笠にも見えたのだろうか、ふ、と縁側を見たように思った。


「‥‥素麺でも、茹でるかぁ。」


楽しそうな親子にボソリそう言うと、「うん!」と二人ハモって来たから思わず笑った。



沙緒。

と胸の中で呼んだ。


(お兄ちゃん、ごめん。)


そう、静かに泣いた妹は、この親子を見れたならほんの少しは安心するのだろうか。



「かずくん!」

「うわっ。つむぎ、お前出て足も拭かなきゃ‥。ベトベト。」

「つむぎ、お素麺とね、あとね。アジフライたべたい。かずくんのも買ったよ?」

「すげー組み合わせだな?天ぷらじゃないのかよ。」


台所にニコニコして付いてくるつむぎは、ワンピースをびっしょり濡らして、タオルを引きずって歩いてる。花笠は多分、着替えを取りに行ったのだろう。

タオルをとってしゃがみこみ、床に跡をのこす足を拭いてやる。へへっと笑ったつむぎの頬がふるっと揺れた。


「つむぎ、ソースかけて食べる。かずくん、つむぎのアジフライにかけてね?」

「‥そっか。俺は醤油だけどね。でも、そしたら魚の味しないって、怒られたなぁ。昔。」

「お魚のあじ?」

「そうそう。だから、何にもつけない方がいいってさ。」


ほら、着替えておいでと立ち上がるとくりくりの目が、キョトンとして俺を見上げた。


「どうしよう。お塩でなら、いいかなぁ?」


あ。


と、声が出そうになってゴクンと飲み込んだ。

ほーら、つむぎ!着替えなさい!と花笠が呼ぶまで俺はつむぎの頭を撫でた。


「つむぎは賢いな。多分、俺の知ってる中で一番賢くなるよ。」


首を傾げた彼女は、あ!っと濡れたワンピースをつまんで、花笠のもとへ走っていった。




つむぎは、今年10歳になる。

年の割に幼いのは、きっと母親に似た頬や仕草のせいだろう。


それから、アジフライに塩なんて言い出すのは多分、父親に似たのだ。



あと10年。


つむぎが二十歳になったら、酒を飲もう。


つむぎと花笠、俺。

それから、将太さんを呼んで。















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彼岸花 おととゆう @kakimonoyuu

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