第5話

 ばたばたと、せわしない足音が聞えて来た。叫び声が迫ってくる。

 もう、この部屋に入って来るのは間違いない。

 下を見た。妹が、ひぃひぃ言いながら、涙目で煙突を登っている。

 

 ああ。

 

 妹と目が合った。

 彼女にぼくは笑いかけた。


 念の為に四美子を連れて来て、良かった。

 胸を暖かい物がよぎる。

「四美子。きっとお前は、ここを登り切るのは無理だ。それよりも、あの地下への階段を使った方が良いよ」

 ぼくは優しく四美子に語り掛けた。すると彼女は涙目になりながら言う。

「やだ、やだ。お兄ちゃんと一緒がいい。だって登れるもんっ」

 そう言い張る彼女の手を、ぼくは少しだけ足を動かして、蹴りつけた。

 四美子の顔が、一瞬驚きに染まった。そして、火のついていない暖炉に落ちていく。

「頑張れ、四美子。きっと地下から逃げられる」

 応援の言葉をかけると、ぼくは煙突を登った。

 隠し部屋のドアが、開く音がした。

「よくもやってくれたな」

 母さんの声。そして四美子が泣く声と共に、引きずられる音がした。

「いやあああっなんでっなんでっひどいぃぃぃぃぃぃおにいちゃああああん」

 四美子の絶叫を下に、ぼくは登る。

 珍しく、四美子の泣き声はすぐに収まった。代わりに、激しい音が足元で聞こえてくる。

「どこだ、どこだ三葉。次はお前の番だ」

 あたりにある物全てをひっくり返すような音が聞こえてくる。本棚、地下へのドア、きっとあらゆる怪しい場所を探しているんだろう。ああ、四美子が時間を稼いでくれて、本当に助かった。

「殺してやる」

 ぼくは登り続ける。

「ぶった斬ってやる」

 空が、近づく。

「なます斬りにして殺してやるからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 煙突を、出た。


 ぼくは屋根の上に出た。そこは本当に、「ホン」で見た通りの綺麗な光景があった。

 沢山の家があった。

 青い空があった。

 カラフルな建物で視界があふれている。

 誰かの笑い声が沢山聞こえてくる。

 気持ちいい風が体を優しくなでる。

 汗が冷たくて気持ちい。

 甘い香りが鼻をくすぐる。


 なんだ。

 

 家の外は、やっぱりいいところじゃないか。

 そう思い、ぼくは下に降りる事にした。

 早くこの外の世界を味わいたいから。

 

 屋根の下を見る。そこに、見覚えのある物体があった。

「こうつうあんぜん」と書かれた地下のホンの表紙に乗っている、謎の物体だ。四つのゴムの輪っかを下に、大きな金属の体を支えている物。それが、眼下にある。

 あの上に飛び下りれば、死ぬことはない。直感でそう思い、ぼくは飛び下りた。


 衝撃が足に走る。痛い。

 けれど、金属板が飛び下りる衝撃を弱めたのかもしれない。

 ぼくはその物体から飛び下りた。


 そして、辺りを見渡す。

 素晴らしい光景だった。

 人が沢山いる。

 家が沢山ある。

 ああ、やっと。やっと、ぼくの世界が始まるんだ。

 ついに、ぼくはあの家から出られたんだ。

 そんな事を考えると嬉しくなり、ぼくの足は弾んだ。

 絵で見たよりずっと綺麗な「花」の横を通り抜け、真っ黒な「道」を通ってゆく。

 いつの間にかスキップしていた。

 そして、真っ白な石で作られた場所に辿り着く。そこにいた人々が、ぼくをみてぎょっとした。

「き、君」

「?」

 見ている人の一人、初めてあったはずの男の人が、いやに馴れ馴れしく語りかけてくる。

「全身、真っ赤じゃないか! 一体どうしたんだ」

 その瞬間、ぼくの頭の中を、動かなくなった父さんが駆け巡った。

 思わず走り出した。白い石の床から走り出し、黒い道に乗り出した。

「ま、待って! 何をしているのっ」

 女の人の叫びが後ろから聞こえて来た。

 何かぼく、悪いことをしたかな。そう思い、周りを見回した時。

 ぼくは気付いた。

 ぼくがさっき踏みつけた「物体」が、ぼくの目と鼻の先に迫って来ているのを。

 「こうつうあんぜん」と書かれたあの本の表紙にあった物体。それよりずっと大きいものが、目前にあった。

 そして。

 ぼくの体は空を飛んでいた。物体にぶつかられたのだ。

 地面を何度も何度も転がった。全身に激痛が走る。

 けれど、物体は止まらない。横たわったぼくに向かって迫って来る。その物体のガラスの向こうに、目を大きく開いて何かを叫ぶ男の人がいた。ぼくをみて驚いている。

 驚きたいのは、叫びたいのはぼくなのに。

 ああ、家を出なければよかった。やっぱり、家の外は危険だったんだ。

 ぼくは何も悪い事をしていないのに、こうやって酷い目に合っている。

「助けて」

 いつの間にか口から、言葉が出ていた。

「兄ちゃん、姉ちゃん、四美子、助けて」

 物体は、もうぼくの目の前に迫っていた

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

四人兄妹が次々と失踪する話(全5話) ヒガタニ @ymnt2327

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ