アンタゴニストに与えられるは、罰か、救いか?
機械竜が、あたしの身体を擦過して飛び去っていく。
だけどあたしの身体はこれっぽっちも傷つかなくて、つんざくような金属音がこの身を通して響く。
機械竜はガラスを散らしながら店舗を体当たりして巻き込んでいき、果てはガラスの外へと飛び出していった。
手に持った赤黒い長剣は、血で滴っている。先ほどの兵士を刺した時にこびりついた血だった。まさか、中身が眼鏡の女の子だとは思わなかった。
また、手を出してしまった。前の妖精の時は親友の
日和を害するであろう妖精をすべて殺すことが、あたしの願望だったのだろうか。そんな願いを知って、日和は許してくれるだろうか。先輩すらも殺してしまいかねなかった、あたしのことを。
早く逃げたい。自分の汚い部分が表出するこの場所から、この怪物から、逃げてしまいたい。
だけど、身体はこれっぽっちも言うことをきかなかった。
『これは貴様が選んだ、貴様自身の姿だ』
いつか聞いた声がする。
違う。あたしはただ親友を助けたかっただけで。人を殺す気なんかなくて、手を血で染めるつもりなんかなくて。
『どうだか。私には、いまでもフィアンセを独占したい欲望が残っているように感じるぞ』
フィアンセ……。
コウモリの怪物が、日和を指して呼んでいた言葉。自分の分身ながら、その事実が恥ずかしかった。
確かに、あたしは日和とずっと一緒にいたかった。それは、果ては彼女と同じ場所で暮らして、彼女のそばで一生を過ごすということ。つまり、フィアンセと呼ぶあの怪物があたし自身というのも、間違いとは言い切れないのだろう。
実際、あたしのあらゆる願望や欲求は、すべて日和につながる。そして、あたしが彼女への願望を抱き続ける限り、怪物は止まることなんてない。
『だが、貴様にそれを止めることなど出来ないだろう。貴様がそれを失えば、貴様の中の存在意義すら死んでしまうからだ』
否定できなかった。
あたしには日和しかなかった。
あの日からずっと、彼女が心の支柱だった。だから、彼女が先輩と仲良くするあの姿を見て、それが揺らぎそうになった時、あたしはとても怖かった。日和が遠くに行っちゃうんじゃないかって。
『自分を認めろ』
身体が言うことをきかなかった。
認められなかった。認めたら、自分の醜さを見てしまうから。
『しっかりと向き合え』
向き合いたくなかった。向き合ったら、自分の醜さで心が壊れそうだから。
『私を信じろ。フィアンセを、あの女を信じろ。たとえ貴様がどれほど醜く穢れていようと、二人は絶対に助けに来る』
目の前に、コウモリの怪物の姿が立っていた。。
今も残っていた、かつてのあたし自身。取り除かれたあとも何度も見た、あたし自身の幻影。
「異端個体、二体追加、殲滅開始」
長剣の血を払って、大きく開かれたビルの穴を振り返る。
下から二人の少女が高く駆け上がってくる。純白の魔法少女と、漆黒の怪盗少女。
「いくらなんでも、これは横着すぎませんか?」
「横着とは失礼だな。せっかく穴が空いてるんだ。正面から入ってくよか、ずっと早くて確実だよ」
「まあ、そうでしょうけど……あっ、例の
「じゃあ、早速始めるか」
まさか、来てくれるなんて思ってなかった。だけど、同時に来てほしくなかったとも考えていた。
また刺してしまうかもしれない。今度はあたしの大事な親友を、殺してしまうかもしれない。
「おい、怪物! お前から、
日和の妖精である怪盗少女シャドーが、怪物に向けてナイフを向ける。
止められなかった。妖精を殺さなければいけない使命感があたしを衝き動かし、彼女を長剣で貫こうとする。
ほぼ同時にシャドーが寸前のスライディングでかわし、背後に回り込む。
「スパイダー!」
小さく歯車の噛んだ音。
背後から網のように大きな蜘蛛の巣が覆いかぶさる。
しかし、それは絶対に効かない。あたしが、すべての妖精を殺すと決めたから。あたしの願いは、全ての妖精を無効化する力へと変換される。
蜘蛛の巣が、一瞬で鱗粉と化す。振り返ってシャドーの姿を認めると、彼女はすでにリーチから離れていた。
シャドーの中でなにかが叫んでいた。
『
日和の声だった。怪物が一瞬揺らいで、動きを止める。
その隙に、なにかが強く背中を殴った。
「シャイン、
背中から、重い鎧が剥がれていくような感覚。
『正直あなたにとっては癪だろうけど、それでも私は救うよ』
怪物はぐるりと振り返り、長剣を振るう。
シャインは大腿ホルスターのデバイスを庇って一歩後じさり、それをかわした。
もしかしたらと身体を動かすと、わずかながら怪物の身体が揺らいだ。剣先がぶれて、シャインの身を大きく外す。
胴ががら空きなその身に、
「シャドー、遠隔機能!」
シャドーが左手に持ち替えたナイフを高く投げ、怪物の右肩にデバイスを叩きつける。
途端、手から柄の感触が消えた。いつの間にか、右手に固く握っていた柄が消えていた。
「なるほど。ケース持ち相手にはこう戦えばいいのか」
背後に視線を向けると、左手に長剣を提げたシャドーがいた。怪物の視線が鋭くなるとともに、ニヤリと口元に皮肉な笑みを浮かべる。
「すまないな! こいつは盗ませてもらったよ!」
『いいから! 早く、解除!』
「ああ、うるさい! 言われなくても分かってるよ!」
手早く歯車を回して、スロット横のスイッチを押した。手元から離すとともに、赤黒い刀身が消滅する。
空からナイフが舞い降りてくる。デバイスを左手に持ち替えてから、ナイフの柄を手繰るように右手の中に戻し、ぶらりと手を下げる。
身体から鱗粉が散り始めた。それでも、得物を失くしてもなお、怪物の動きは止められなかった。
右手が大きく膨れ上がり、手の中にあたしのデバイスが形成される。そのままシャドーに向けて駆け出して、それを叩きつけようとした。
「ブラッド、
「ゼブラ!」
足元で轟音が湧く。視界の端のシャインが、とっさに床にナックルダスターを突き立てて、大きく穴を形成していた。
踏み込むはずの足が空を切る。すれすれで体勢を直すが、すでに目の前に姿はない。
「バット、
上から声がした。
上階のバリケードの端に足を引っ掛けた、シャドーの姿。
視線の先から、勢いづけてなにかが飛んでくる。一方はナイフがデバイスをまっすぐ狙い、もう一方は確かめる前に視界から消える。
怪物はデバイスを腕で庇い、黒い刀身を鱗粉として消滅させた。その時だった。
「
背中にふたつの感触。
距離を離して、二人が声を合わせて叫んだ。
「
怪物の手からデバイスが離れ、身体が軽くなる。ふらついたまま、穴へと足を踏み外して逃げ場を失くす。背後のデバイスがぴたりと身体に密着し続け、あたしの元の感覚と身体を取り戻していく。
怪物は叫んだ。
それは最後の抵抗で、声にならない声だった。
赤黒く重い鎧は消え、身体は元に戻っていた。
ようやく自由を得た元の姿は思ったよりも疲労が溜まっていて、その場にふっと尻もちをつく。
『お疲れ、
「……どうも」
とっさに手を取って、床穴から足を抜く。怪物の時は特に気にしなかったが、上階から小さな砂礫がぱらぱらと降っていたり、ビルに大穴が空いているのが、いまになって怖くなってきた。
空からシャドーが降ってきて、ふたつの柄を拾う。まもなくしてシャインからデバイスを受け取ると、あたしから盗ったデバイスともども懐に入れた。
「早く脱出すんぞ。ここにいると、いますぐにも瓦礫の下敷きになりそうだ」
「夜空さんはシャドーが運ぶのですか?」
「まあ、そうなるだろ」
「じゃあ、わたしも一緒にいいですか?」
「……与太言うな。君は自分で飛べるだろ」
シャドーはあたしをがしりと抱える。身長もちょうど同じで、彼女が日和なのだと思うと、こんな状況でもなんだか照れてきた。
『シャドー』
「なんだよ」
『さっきの発言、ひどくなかったですか?』
「あいつはからかって言ってるだけだから。おい夕実、飛ぶぞ」
「……へ?」
空の向こうへと駆けて飛び出した。
いくらがしりと腕で強く掴まれてても、地に足がつかないまま空に投げ出される感覚は不安になるものだ。
「ヒッ……」
「怖いのか?」
「っな、なわけない! ちょっとびっくりしただけ!」
背中の黒い翼によってゆるやかに滑空し、やがて体勢も安定してくる。
妖精の姿なら一瞬で降りられるはずだし、これでも気を使ってくれてるんだろうか。
「……ごめんね、日和。あたし、日和を助けようとして、こんなことに」
『何いってんの。実際助けられたし、わたしも全然怪我してないし、結果オーライじゃん?』
怪盗少女の堅物な顔からお気楽な調子が出て、おもわず噴きだしてしまった。
「……そっか。怪我してなくて、よかった」
「あとは、ベノム隊をどうにかするだけか」
ゆっくりと地に降り立ち、あたしの身もゆっくりと下ろされる。先に降りて待っていたシャインと合流する。
「遅かったですね?」
「そりゃ、人を抱えて降りてんだから……」
「別に、わたしが抱えて降りてもよかったんじゃないんですか?」
「まだからかってんのか?」
「…………」
ぷいっと背を向けて、ステッキの柄をいじる。元の
「ごめんね! シャイン、急に機嫌悪くなったみたいで」
「は? なんで――」
『待って、すみません! いま元に戻ります!』
錆びた機械のようなぎこちない動きでナイフの柄を回し、スロット横のスイッチを押して元に戻る。
「すみません! うちのシャドーがっ!」
「いや、いいよ。元はこっちがアレだったし」
「それから……ついてきてくれて、ありがとうございました! おかげで夕実も元に戻せました!」
「手近な人を救ってこそのヒーロー、でしょ?」
二人は見つめ合って朗らかに笑う。
幸せそうな顔が、あたしにはちょっとだけ寂しい。
自分のなかの感情をごまかしたくて、それでもまた醜い怪物にはなりたくなかった。自分の存在を確かめるように、はっきりと声を出す。
「
「ん、なに?」
彼女の顔が、こちらに向く。
かつての噂とはほど遠い、優しげな顔。
「今回のこと、ありがとうございました。この貸しは必ず返します」
「えっ、いやいいよ! 何事もなく元に戻ったなら、私は別に――」
「いえ、絶対に返します! 貸し借りもすべてなくなって、そしたらあたし、絶対に光先輩に勝ちますから!」
「は、はあ……」
勝者の余裕とでもいいたいのか、天然なのか、呆けた顔が返ってきた。
ともかく、自分のなかでちゃんと答えを出せてよかった。
これ以上日和を心配させたくないし、もう二度とあんな危険なデバイスを使うわけにはいかない。だけど、それでもできることをやるつもりだ。
「あれ、いま光先輩って……」
「いい加減、堅苦しいと思っただけです。親友の……知り合いですし」
「じゃあ、私も。これからもよろしくね、夕実さん」
やっぱり自分が恋敵であるという自覚がないのか、光先輩はどこか嬉しそうにしている。それでもまあ、別に悪くはないかなと思う。
視線をそらして、静まった道路の先を見た。通行人は全員石像と化していて、それがあまりに不気味だった。
ふと、遠くからの唸るモーター音。しばらくして、円筒形に四脚をつけたようなロボットが向かい側から現れる。
その上には、変なショットガンを持った甲冑の騎士が乗り出していた。
「なんか、
「えっ、機島くんって……知ってたの?」
「前に助けてもらったことあるし。あれ? あいつ、あんたたちには言ってなかったの?」
「言ってないよ! 今日までずっと言われてなかった!」
光先輩が、愕然とした様子で詰め寄る。
向かってくる方へ、手を振ってみる。ものの見事に無視された。
四脚ロボットがドリフトをかけて、目の前で停止する。機島は軽快に降りると、片手にクロスボウみたいなショットガンを提げて肩を落としていた。
「……俺らは来た意味なかったみたいだな」
『残念だったわね、クロユキ。かっこいいところが見せられなくて』
『白馬の王子様作戦、大失敗』
「してねえよ、そんな作戦! まあ、無事ならなんでもいいんだ。あとはベノム隊だが……」
デバイスからの二人の幼い声に平然と対応している。
妖精は宿主の鏡映しと言われるが、とすると機島は潜在的に幼女なんだろうか。しかし、そういう考え方をしてしまうと、あたしは潜在的にあの変態コウモリになってしまうので口をつぐんでおいた。
「ベノム隊のうちの二人は、空飛んでどっか行ったよ」
「……会ったのか?」
「うん。石化させるやつと、機械竜使うやつ。片方がメカドラゴで、もう片方がキャプテンだかなんとか」
「ベノム……」
言ってから気づく。もしかして、さっき戦った女の子が、石化の元凶か。
軍人のような制服を着た、幼い眼鏡の子。
「それで、これからどうするの? なんかみんな、石化しちゃってるけど」
「さっき言ったキャプテン――ベノムを生きたまま捕まえる。そして、脅してでも元に戻させる」
怪物から戻ったいま、落ち着いて。
その言葉の意味を、咀嚼しようとする。しかし、途中であの眼鏡の女の子が脳裏に一瞬蘇る。
ふと、考えてしまった。
彼女はなんのために戦っていたんだろう。捕まって石化を解いたあとは、どうなってしまうんだろう。相手が人間だと気づくと、そんなことが途端に恐ろしくなってきた。
彼女たちを捕らえて街の人を元に戻した先に、いったいなにがあるのか。
想像しようとして、途端に恐ろしくなってきた。
ヒーローであるためのふたつの歯車 郁崎有空 @monotan_001
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