ただ静かにクロスする、誰もが誰かのために戦うこと 3
食事も終えて、レーションのゴミも片付けて移動する。
あの怪物がいつまでも私たちを見つけない保証はない。そして、あの赤黒い怪物がどこから襲ってくるかも分からない。念のため、上からも下からも逃げ場の確保できる三階エスカレーター前で待機することにした。私は上り側に、メカドラゴは下り側に立つ。
あの怪物が飛行能力や跳躍能力に長けているかは分からないが、先ほど見た以上のものがなければ下の階からやってくる可能性が高い。そして、いくら知能に欠けた怪物だとしても、わざわざエスカレーターを逆流してやってくる可能性は低い。それは、ただ獲物を狩る存在にはあまりにも非効率な行為だからだ。
そして、私はあえて怪物に遭遇しやすい地点を選んだ。
それはあの怪物が規格外で、そんなものに私が大事な仲間を差し出すわけにはいかなかったからだ。
メカドラゴには「奴がどんな能力を持っているか計りかねている」という、半信半疑の可能性で理由をつけて下り側を担わせた。しかし、あの怪物がわざわざ屋上から攻めてくる可能性は低いだろう。
つまるところ、私はメカドラゴを庇ったということだ。本来ならば、リーダーである私より、右腕である彼女にここを担わせるべきだったのだろう。そういうところが甘いのだと思いながら、それでも私は仲間を犠牲にはしたくなかった。
エスカレーター前の手すりで、アタッシュケース型
『こちら、〈メカドラゴ〉』
ためらいがちに、声が途切れる。心配になり、向かい側で張るメカドラゴの背中を見つめる。
「どうしました?」
『……
「ないということはないでしょう。
『ごまかされないっす。あたし、姐さんの右腕なんすから』
声に凄みが混じって、言葉が詰まる。明るい彼女のらしくない様子に、思わず怖気づく。
抑えたような、それでいて昂ぶるような感情を隠しきれない声で、メカドラゴが続ける。
『分かってるんすよ。姐さんとても優しい人っすから、仲間より自分が前に出た方がいいって思ってるんすよね。でも、もうちょっとあたしを頼ってくれたっていいじゃないすか。あたし、姐さんの右腕のつもりなんすから』
彼女の真剣な声色に、答えを出しあぐねる。
どう言えば、彼女が納得してくれるか。どうすれば、彼女が信頼するにあたる私でいられるか。
逡巡するうちに、スピーカーから彼女の優しいため息が聞こえてきた。
『姐さんを必要としてる人が、ちゃんとここにいるんすよ。あたし、姐さんが死んだら生きてけないっす。だから、自分から身を投げる真似なんか、しないでください』
「……どうしたものか」インカム越しの彼女に、軽く苦笑する。「分かりました。何かあったらすぐに呼びます。そしたら、すぐに援護をお願いします」
『当然っすよ! あたし、姐さんの右腕なんすから!』
にひっ、といたずらっぽい笑みがこぼれるのが聞こえる。ようやく安心したのか、向こうから通信が終わる。
まったく、本当に優秀な部下だと思う。
向かい側から、メカドラゴが∨サインをしているのが見えた。私は軽く手を振ってから、すぐさまハンカチを取り出し、外した黒縁眼鏡のレンズを拭き始める。かっこ悪いところを見せたことへの、照れ隠しのつもりだった。
ちょうど眼鏡を拭き終わったところで、通信が入る。メカドラゴをちらと見ると、彼女もこちらを見て首を振っていた。
『こちら、〈スプラッシュ〉! 白銀のドレスの女を下水道で確認!』
「白銀、ドレス……〈シング・スノウ〉!」
『あれが例の
なぜシング・スノウは、わざわざ下水道なんかに来たのか。ふと、嫌な予感が頭をよぎる。
「逃げてください! そいつ――」
『あいつ、デバイスを取り出した――あ? あっ、しまっ』
ピキリと反響した音を立てた直後、スプラッシュの通信がぶつりと途切れる。
液状化状態のスプラッシュの身に何かがあったのだ。おおよそただ事ではない。
あの怪物だけじゃない。シング・スノウまでもが、こちらを狙っている。そもそもあの怪物の生みの親は管理妖精であるシング・スノウだと分かっていたはずだから、警戒すべきが怪物だけではないことははじめから明らかだったのだ。
緊張が張り詰める。デバイスとアタッシュケース型可変武器を両手に構えて、一層警戒を強める。
そういえばナガレテングが、怪物とは別の二人の妖精に追われていると言っていた。つまり、最低四体は脅威がいる。上り側にも下り側にも、敵の襲撃が考えられるということ。
「メカドラゴ。そちら側の警戒もお願いします」
『えっ、シング・スノウはさっき下水道で確認されたはずじゃ……あっ、』
「ナガレテングが屋上で二体の妖精を確認していたはずです。彼が簡単にやられるとは思えませんが、一応警戒を――」
『あ、姐さんっ! 敵の反応っす!』
「どこですか!」
「あたしらとちょうど重なった地点……建物内っす!」
下からきしむような足音が聞こえる。
音の先を確認するため、すぐさまバリケードに乗り出して下階を見下ろす。二階下のエスカレーターから、例の赤黒い怪物が赤黒く光る長剣を提げて、ゆっくりと上ってくる姿を捉えた。
「メカドラゴ! 怪物が下から!」
『了解っす! でも、いまのあたしら妖精態じゃないのにどうして……』
「分かりません。それでも、何かしら異常な事態が起きてるのは確かですから――」
突如、背後に気配を感じる。
振り返ってそれを確かめると、目の前には銀色のドレスの女――シング・スノウが立っていた。
シング・スノウはにやにやと嫌な笑顔を浮かべ、手に提げたステッキの歯車をゆっくりと回す。何かを仕掛けてくるつもりだ。
『ワスプ・
可変武器にデバイスを装着し、ライフルに変形させる。瞬時に鱗粉に包まれて、自分の身体が装甲に包まれた蜂の兵士と化す。
すぐにコッキングレバーを引いて、目の前の女に何発か射撃する。しかし、女の身体はびくともしないどころか、弾を呑み込んで平然としている。
さらに射撃を試みようとして、通信が入る。
『姐さん! なにやってんすか!』
「なにって……だって、目の前にシング・スノウが――」
『いませんよ、そんなの!』
「えっ……」
疑って瞬きすると、視界からシング・スノウが消失する。目の前には、その先の砕けたアパレルショップの商品棚があるだけだった。
嵌められた。そう悟って、即座に振り返る。稼働するエスカレーターの流れに乗って、怪物が目まぐるしい速度で駆け上がってくる。
「異端個体、一体確認。殲滅開始」
怪物の口から、低く呟かれる。すぐさま背後に退きながら、銃撃を開始する。
インカムから更に通信が来る。
『こちら、〈ナガレテング〉! 〈マキナ・シャイン〉と〈シーフ・シャドー〉が動き出した!』
「まさか! なにがあったんです?」
『二体だったはずの妖精が、六体に増えてこちらを妨害している。しかも、なぜか弾がまったく通った様子じゃない……』
「ひとまず撤退してください! シング・スノウがまたなにか仕掛けてきているのかもしれません!」
通信を続けながら、怪物から一定の距離を取ってライフル弾を当てていく。しかしそれは、周囲の店舗やエスカレーターのバリケードを壊すだけで、怪物にはただの気休めにしかならない。
いまある装備では厳しいことは確認済みだった。それでも、妖精の能力のなかでひとつでもなにか効くものがあるかもしれない。事実、こいつへのスパークの目くらましは効いていた。
『ワイヤー・
思索した通りに、鉄線を形成する。目の前に瞬時に編み上げられた複雑怪奇なフェンスの箱は、怪物の身体を囲んで閉じ込めていく。
怪物の動きが止まったところで、続けてデバイス画面に触れる。
『ベノム・遠隔機能』
怪物をまっすぐ捉え、引き金を絞る。
ベノムの能力は、一般人相手には一発で都市ひとつ分ほどの効果を発揮する。しかし、妖精または
紫の軌跡は怪物を目指して、その赤黒い身体へと当たる。息を呑んで、距離を取ってそれを見つめる。
確かに怪物は石化した。
しかしそれは、遠隔機能時の被弾部のみで、その部位もすぐさま元通りに戻る。それと同時に、周囲を囲むフェンスが一瞬にして
可変武器とデバイスを提げたメカドラゴと合流する。さいわい、まだ妖精になってはいない。
「姐さん!」
「メカドラゴ! 先に上階へ退いててください! この怪物、やはり妖精のみを狙ってるみたいです!」
「でも、姐さんは……」
「あなたが逃げる隙を作ったら、後から行きますから!」
「ダメっすよ! あたしさっき、自分の身を投げないでって――」
「信じてください。私、大事な右腕を置いて、死ぬつもりなんかありませんから」
余裕なふうに、左手で∨サインを作った。
メカドラゴが少し心配な様子でエスカレーターへと駆け出した。上階へと上がりきるのを確かめようとする一瞬の隙に、怪物が間近に迫っていた。
「ブラッド、遠隔機能」
腹部へと、赤い長剣を刺し貫かれる。痛みとともに、装甲を纏う身体が一瞬で霧散して、妖精態が解除される。しかし、元の身体に戻っても、長剣はなおも身体に刺さったままだった。
ごぼりと、口から血が吐き出される。口の中が鉄の味で満たされる。
痛みに低くあえぎながら、はねた血で汚れた眼鏡の向こうを、赤い無感情の怪物を睨む。
こんなところで終わるわけにはいかない。私を必要としている人が、待っているから。死なないって、誓ったから。
インカムのスイッチを入れて、通信を入れる。
「こちら、〈キャプテン〉」
「あっ、姐さん! もう終わっ――」
「……メカドラゴ。あとは、頼みます」
『えっ……姐さん? 姐さん!』
すぐに通信を切る。
彼女は私の一番の右腕だ。
私は右腕の使い方をよく知っている。彼女は私の身になにかあれば、ためらいもなくどんな手段でも取ってくれる。そういう有能な人間だ。
怪物に向けて、侮辱するように大げさにせせら笑う。
「あなたの負けです……この、薄汚い怪物め」
景気づけに、吐血混じりの唾を怪物の顔にふっかける。怪物はなおも無感情な顔に、赤みがかった唾液に構わずこちらの死を見届けようとしている。
上階から、ガラスの割れる大胆な音。けたたましい金属音や破砕音が続き、続けて上階へと続くエスカレーターが破壊される。
上から降ったのは、巨大な機械仕掛けの足。そこからさらに巨大な金属の塊が急降下。降下してすぐ、突き上げるように両翼部からジェットを噴き上げた首長の機械竜が現れる。
装甲を銀色に反射させた機械竜の両眼が赤く光る。
『貴様は禁忌を犯した。お前は、死刑だ』
「異端個体、一体追加。殲滅対象更新」
私の腹部から、剣が引き抜かれる。
血を噴き出した傷跡を押さえながら、通信を入れる。
「メカドラゴ……すぐに、私の収容を……」
『……なに? 生きてるのか?』
「ええ……今すぐ、手当して、くれれば……」
『……よかった』
一瞬だけすするような音を聞いてから、機械竜がブースターを噴射して、怪物にまっすぐ肉薄する。怪物は巨体を前にしても物怖じする様子なく、長剣を構える。
視界が霞むなか、巨体が私の身体の上を通り過ぎる。機械仕掛けの腹部が開き、私を鮮やかに呑み込んだ。
内部の通路を通して柔らかいコクピットの後部座席へと迎えられ、目の前の座席を確かめる。すぐさま、前に座っていたメカドラゴが振り向いた。
「もう……心配したんすから……!」
「でも……ちゃんと、生きて、帰ってきましたよ……」
「なにいってんすか! 姐さん、めっちゃ死にそうじゃないですか! ……待っててください、すぐにメディカル
見ているか見ていないかは分からないが、彼女を安心させるように笑いかける。それをするのが精一杯で、そのまま安堵で意識が遠のいていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます