ただ静かにクロスする、誰もが誰かのために戦うこと 2

 街は石化した人で溢れ、人の声はどこにも聞こえない。

 電柱やガードレールに衝突した車や事故を起こした車が時々見かけられ、静かななかで異様にクラクションが鳴り響く。

 それはまるで、なんの前触れもなく来た世界の終末のような。そんな光景だった。

「誰もいませんね……」

 横で歩いている、左右にヘアピンを交差させたショートボブの女子。同じクラスの飛田ひださんは、俺の向かい隣に立つ広野光ひろのひかるの手を繋いでいる。

 夜空よぞらから散々愚痴を聞かされていたし、ずっと監視して見てきたが、本当に距離感がカップルのそれだった。しかし、直接話を聞いて、こうしてほぼ毎日見ていると、なんだかもう慣れてしまっている自分がいた。

 思慮深げな顔をしていた広野光が、ふと飛田さんの方を見やる。

「日和ちゃん、『眠れる森の美女』って知ってる?」

「王子様のキスで呪いが解けて目が覚める、ってやつですよね。わたしは『イバラ姫』で覚えてましたけど……」

「そっちはグリム版だね。『眠れる森の美女』はシャルル・ペローっていうフランスの詩人のバージョンでね。そっちはグリム版にない後日談があるんだ」

「へえ。そっちだと、その後どうなるんですか?」

 興味津々で上目遣いをする飛田さんに、広野光もどこか活きいきとしている。

 状況があれなのに、だいぶ呑気だなと思いつつも、実際手詰まりだから止めたところでどうしようもない。

「ええとね……実は婚約した王子の母親が食人い鬼でね。王子が留守の間にその母親が料理長に頼んで、王女と子供二人を食材にして食べようとするんだよ」

「えっ……」

 飛田さんの笑顔がぎこちなくなる。広野光はその様子を不思議そうに見つめている。

 童話のことなんかよく知らないが、その話題でいきなりそんな血なまぐさい話を嬉々としてする、この先輩の気が知れなかった。普通だったら、百年の恋も冷めるというやつだろう。

 実際そうなってくれたらこちらの心象的にありがたいと思いつつも、同時に夜空のことを思い出して複雑な気分になる。

 さすがに俺だって、友人の気持ちを知ってまで裏切る真似はしたくない。それだったら、あいつと飛田さんを結びつけたほうがずっといい。

「でも、そこで料理長が機転を利かせて、よく似た動物の肉料理を出してね。あとでこれに気づいた母親が怒り狂って王女たちを殺そうとするんだけど、逆に自分の用意した毒溜まりの大桶に入って死んじゃうっていう。だいたい、そんな流れ」

「な、なるほど……」

 明らかに引いている。それでも手は離さないのだから、本当に一途というか、夢見がちというか。

 広野光は今になって察したのか、ごまかすようにわざとらしい笑いを浮かべる。

「……ごめん。でもこれ、あくまで別の国の人のバージョンだから。『イバラ姫』の後日談ということではないから」

「いえ……興味深い話で良かったです」

 気まずいなか、広野光が無理やり話を続ける。

「てか、そういう話じゃなかった。あの童話で、魔女の魔法で王女の呪いが解けるまで、城のものすべてが眠らされるところあるじゃない。あれみたいで不気味だなっていう話で……」

「でもあれ、ちゃんと呪いが解けてみんな起きたじゃないですか」

「まあ、そうだけどね……」

 そう言いながらうつむいて、少し言いよどんだようにしている。

 俺はしびれを切らして、思わず謹んでいた口を開く。

「あのベノムとかいうやつをひっ捕らえて脅して解除すればいいだけの話だろ。さっきも言ったが、戻す方法もなく人質を石化させるようなことはまずねえよ」

機島きしまくん……」

「……それ、本当にできるの?」

「やるしかないだろ」

 思わず強い口調になり、二人が口をつぐむ。

 言ったあとでフォローするべきかと悩んでいると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえる。フェイスメットで顔を覆った兄貴が、俺たちを見守りながら後ろでバイクを押していた。

『じゃあ、まずはあの赤い妖精パーマーを探さないとね。あの様子じゃ、ベノム隊を皆殺しまでありそうだし』

「待ってください。あの人たちがどうにかできない相手を、私たちがどうにかしろと?」

『まあ、無理だろうね。情に訴えたら万に一つということもあるだろうけど、そんな保証のできない賭けに命を投げ出せる?』

「それは――」

「できます」

 飛田さんが広野光から手を離して、懐からナイフの柄とデバイスを取り出す。

 いつの間にか、彼女の目つきに鋭さが加わっていた。

「前に妖精になったあと、夕実ゆうみってば、しばらく気に病んでたんですよ。別に、自分が悪いわけでもないのに。だから、もしあれが夕実だとしたら、早く止めないと」スイッチを押して、デバイスを起動する。「わたしの大事な親友ですから」

「日和ちゃん……」

 兄貴の方に視線をやると、うかがえない表情の代わりに肩をすくめていた。

 飛田さんのデバイスから声が聞こえる。

「君はさっきの話を聞いてたか? ボクたちが敵わない相手が太刀打ちできなかったんだから、ボクたちがどうにかできるわけがないだろ」

「だけど、誰かが苦しんでるならそれを助けないと。それがわたしが先輩に言った『ヒーロー』だから」

「力で負けるようなら、なにも助けられないんだぞ! それを分かって言ってんのか?」

「だから、わたしの命を賭けるよ。情に訴えて、勝てる可能性があるのなら」

 シャドー、と小さく唱えるのを聞く。

 デバイスの上部スリットからカードが弾き出される。カードを指で挟んで引き抜き、ナイフの柄に備わったふたつのスロットのうちのひとつに叩き込む。

「これはあくまでわたし個人の勝手な判断です。だから、もしわたしのワガママに賛同できなければ、先輩たちはわたしに構わずベノム隊の方に回ってください」ウルフ、とまた唱えてカードを出す。「わたし、夕実を助けに行ってきます」

 引き抜いたウルフのカードを、柄のもうひとつのスロットに叩き込んだ。

再構築リ・ストラクチャリング!」

 スロットに備わった歯車を回す。輝きを放つ妖精鱗粉パーマーチャフが飛田さんを包み、再構築される。

 シルクハット型の飾りピンを髪に飾った、仮面の怪盗少女。そこに狼のような獣耳と鉤爪と尻尾が備えられ、鋭い目つきとともに獰猛さが表れる。

「まったく……死ぬほど厄介な宿主だな」

『あなたとわたしはよく似てる、そうでしょ?』

「本っ当、自分の欲深さを恨みたくなる!」

 シャドーが踵を返して走り出す。

 足を止めて、ついその後ろ姿を視線で追っていると、

『それで? ユキくんたちはどうするの?』

 兄貴にそう訊かれて、息が詰まるようになる。

「俺は……」

「私も行きます」

 広野光がアタッシュケースを下ろし、三分割されたステッキを取り出す。それから、それを組み立て始める。

「私たちは『ヒーロー』ですから。それに、日和ちゃんにかっこ悪い姿を見せたくないです」

 大腿ホルスターからデバイスを取り出し、画面に指で触れ、シャイン、ゼブラと唱える。

 上部スリットから弾き出されたカードを抜いて、歯車の柄を半回転させて側面にふたつのスロットを晒す。そこへ、一枚ずつ叩き込んだ。

「再構築!」

 柄を戻して、その身が妖精鱗粉に包まれる。そこにフリルの舞う純白の魔法少女が再構築され、白黒ストライプのマント、銀の大型ナックルダスターと蹄鉄が飾られる。

 くるりとマントを翻し、左の手のひらに右拳を軽く打つ。

「なるほど。意外と悪くないですね」

『それじゃあ、夜空さんを助けに行ってきます!』

 飛田さんの後を追い、蹄鉄を鳴らして走り出す。

 一瞬呆気に取られてから、開いたまま置かれたアタッシュケースを閉めて拾い上げる。

 彼女たちの判断は、決して堅実なものじゃない。さっきは敵として判断されなかっただけで、もし下手に刺激してあの怪物の攻撃対象に選ばれれば、たとえ敵わなくても後戻りができなくなる。

 それでも……。

『それで、ユキくんは決まった? 僕はユキくんの判断に従うつもりだけど』

「……行くわ。飛田さんに怪我でもさせたら、あいつがめんどくさいだろうからな」

『相変わらず、素直じゃないね』

「うるせえ。……ああ、その前に」

 アタッシュケースを下ろして、懐からデバイスを出す。操作して兄貴にデバイスを投げ、形成されたショットガンを上方に向けて両手で構える。

 視線の先には、赤いマスクの狙撃手が狙撃銃を構えていた。

 兄貴が俺の視線を追って、大げさに驚く。

『いつの間にあんな反応――』

「おおかた、瞬間移動系の妖精パーマーだろ。つうか、あの英雄狂いの女、あいつをどうにかするとか言ってたんじゃねえのか?」

『失敗したか、嵌められたか。どのみち、あまりいい状況じゃないことは確かだね』

「まあ、夜空んところに行く前のウォーミングアップってところだ。手早くやんぞ」

 相手が撃つところに合わせて、引き金を絞って左側の地面に転がり込む。相手のライフル弾は上手いこと相殺され、破片は地に届く前に失速する。今度はちゃんと両手で構えたため、特段手を痛めることもなかった。

 ハンドグリップを動かして再装填しているところに、兄貴の手に持ったデバイスからやかましい声が聞こえてくる。

「クロユキ! どうして反誕リ・バースしなかったの?」

「銃口向けられたまま、呑気にベルトつけてられっかよ!」

「マモル、君も反誕したらどうだ。君だって狙われてるんだぞ」

『ああ、分かってる――あれっ?』

 兄貴がうろたえる正体を、俺もすぐさま理解する。

 瞬く間に、捉えていた狙撃手の姿が消えた。俺はすぐに周囲を見回して、どうにか姿を捉える。しかし、その頃には時すでに遅く。

 銃声が響く。

「兄貴! 伏せろ!」

 兄貴はバイクを持っている。とっさに転がせても、端末妖精デバイスパーマーを反誕するためのバイクを犠牲にする可能性がある。どのみち、俺が弾き飛ばすにしても間に合わない。

 兄貴は少しためらいながらもバイクを横に倒して、その場から転がって離れようとして――


臨界機能エリクシード


 電子音声とともに、瞬く間に目の前に影が差す。異形の三つの背中。それは武者鎧のようなものや、獣のように毛深いものがある。

 中央の一本角の怪物が手にした大剣を大ぶりに払い、狙撃手の銃弾を蒸発させる。そいつは安堵の息をついたようにしてから、すぐさまこちらを振り返る。

「君、大丈夫?」

「な、なんだお前!」

「えっ……」

 本能のまま、すかさずショットガンを突きつける。しかし、予想に反して、そいつはどこかショックを受けたような反応をしていた。

 右側の二本角の怪物が、狙撃手に視線を向けたままため息をつく。

「当たり前だろ。オレたち、もう人間じゃねえんだから」

「出るのは確か、三年ぶりだったっけ。こういう反応は初めてだったけど、地味にクるね……」

「ほら、お前んとこのお嬢が見てんだから。くっちゃべってないで役に立ちなよ」

 左側に立つ八本足の毛深い怪物が足元を蹴りつけて、中央の怪物が渋々向き直る。

 二本角の怪物は狙撃手に向けて、太い腕に備わった二本のレールから、銃弾を放つ。しかし、その先の狙撃手の姿は一瞬で消えてしまった。

「外れたね」

「ちげえわ。あいつ、テレポートしてんだ」

「お嬢でどうにか出来なかったみたいだから、テレポートとはなんか違う気がするけどね」

「てか、お前もなんかやれよ。なんか、できることないのかよ」

「武器が八本足の空手しかないからね。せいぜい壁の役目を頑張るよ」

 アスファルトに手をついたままの兄貴を見る。しかし、こちらには見向きもせず、唖然とした表情で怪物を見上げている。

 兄貴にも、想定外のことだったらしい。

「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

 女性の声がして振り返る。

 視線の先に、全身に黒く細身の甲冑を覆った、黒い斑点を透かした赤いマントの怪物。腕にはテントウムシ柄に金縁を張った赤い盾をつけている。

 さらに背後にもう一体、紫の武者鎧に大鎌を持った怪物が着いてくるのに気づいた。

「……マジか」

 幾度もの予想外の不意打ちを食らわせられ、気づけば俺の腰は抜けてしまっていた。

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