KISS OB BLACK BERRY

橘りゅうせい

KISS OB BLACK BERRY

 それは、見棄てられた家に特有の煤けたような建物だった。

 部屋には、少し黴臭い匂いと、そして、キナ臭い硝煙の匂いが漂っている。


 オレゴン州デシューツ郡ベアズホール。


 地名のとおり、熊やエルクが人間より多い土地柄だ。

 いちばん近い人家からは、軽く十キロは、離れた森林地帯である。

 由香は、窓に近づくと、顔を晒さないように注意しながら、ショートボブの髪をかきあげ、外の様子を伺った。

――瞬間、頬を張られたような衝撃と、乾いた炸裂音、そして、木の壁に銃弾が喰いこむ鈍い音が同時に響いた。


 思わず頸をすくめ、窓際から後ずさる。


 ガラスの破片が掠めたのか、白いシャツの左袖が血で赤く染まっているが、緊張のためか痛みは感じない。

 射ちこまれたのは、これで三発。銃声は、比較的軽いものだった。おそらく5・56ミリ、いわゆるNATO弾と云われる銃弾を使用した、アサルト・ライフルだろう。

 由香の手が無意識に、ヒップホルスターのグロック17をまさぐる。頼もしい味方だが、アサルト・ライフルが相手では、いささか心もとない武器だ。


 改めて部屋のなかを見渡す。

 二十年近く使われていないはずだが、テーブルや家具は、依頼者によって、引っ掻きまわされた形跡がある。

 猟小屋として使われていたらしく、壁ぎわにガンラックがあったので、中を改めた。

 ラックを開くと、スコットのフライロッド。ハンガーに掛かった、フィッシングベスト。L.L.ビーンのハンティング・ジャケットが目に入った。

 ジャケットを退けると、12ゲージのショットガンと、ウィンチェスターM-70が、棚には、緑と黄色の古ぼけたレミントンの弾薬箱が無造作に置かれている。


(なんとか切り抜けられるかもしれない……)



          *



――三日前。

 由香の事務所を、ひとりの男が訪れた。

 男は、セルフレームの眼鏡をかけ、ブリオーニのチャコールグレーのスーツを身につけ、鏡のように磨かれたジョンロブのストレートチップを履いていた。

 そして、ボストン訛りの気取ったしゃべり方で、高飛車に仕事の話をはじめた。

「君の評判は聞いている。元PMC(民間軍事会社)の腕利きで、荒っぽい仕事も難なくこなすそうじゃないか。

なに、簡単な仕事だ。わたしの父が残したCD-Rを回収する……たったそれだけ。まあ、多少、妨害が入るかもしれないから、武器は携帯したほうがよいだろう……」



          *



「FUCKIN' SHIT!! 糞オヤジめ。何がだ!」

 由香は、ウィンチェスターの機関部を点検しながら毒づいた。

 ショットガンは、錆びが酷く使い物にならない。

 ウィンチェスターは、たっぷりガンオイルが点してあったので、どうやら作動はするようだ。あとは、弾丸が駄目になっていないことを祈るばかりだ。


 着弾の位置と周りの地形から推測して、射手は、百メートルほど離れた、向かい側の丘の斜面から射っているようだ。

 罠の可能性もあるが、小屋の前に停めた車は見棄て、裏口から出て、大回りして逆襲するほかに、生き残る道はないだろう。


(――と、その前に確認しなくちゃ)


 依頼者は、確かめそこねたフォトスタンドが怪しい。と言っていた。

 ラックにあったフォトスタンドを、フレームから外すと、依頼者の言ったとおり、CD-Rが滑り落ちたので、写真に一瞥いちべつをくれ、一緒にポケットに入れる。

 テーブルを移動させ、ショットガンを丘のほうに向けて固定する。フィッシングベストの背中についていた、ランディングネットの太い紐をほどき、オイルを染みこませ、弾丸を込めたショットガンまで、導火線がわりに2メートルほど這わせた。

 導火線に点火すると、由香は、ハンティングジャケットを羽織り、こっそり裏口から外に出た。

素早くブッシュに駆けこむと、身をかがめながら、ジリジリと丘に向かって進む。


 小屋から十メートルほど離れたところで、激しい銃撃音が炸裂した。これで小屋にいると錯覚してくれるはずだ。

 案の定、丘の方からタン、タ、タンと、銃声が弾ける。

 サプレッサーは装着していない。

 仮に誰かが聞いたとしても、猟期なので、通報する者はいないと踏んでいるからだろう。


 小屋の裏手は、エゾマツや、カエデの森が続いている。

 由香は、ブッシュに分け入ると、すぐに獣道を見つけ、なるべく茂みに触れないように進む。

 このあたりには、ポイズンオーク(漆の一種)が自生するので、露出した肌に触れると、酷いかぶれで、厄介なことになるからだ。

 下生えのなかに、たわわに実るブラックベリーを見つけ、思わず口に入れると、甘酸っぱい香りが口にひろがった。

 先ほどの銃撃で、おおよその位置は掴んでいる。由香は、大きく斜面を迂回しながら、敵の姿を探す。


 そのとき二十メートルほど下方に、不自然な動きを見つけた。

迷彩服を着た敵が、物陰を伝わり、ジリジリと由香がいた小屋の方に向かっていた。

「動かないで! ライフルで狙ってるわよ」

 ウィンチェスターのボルトを引きながら、由香が叫ぶ。

「銃を下に置いて……オーケー。手を上げて、ゆっくりこっちを向きなさい」

 敵は、ナイツ・アーマメント製のアサルト・ライフル、M-4 SR15を、ゆっくりと置いた。軍用のSR16の民間モデルだ。

 そして、由香の方に向き直り、アーミーキャップを外す。

 プラチナブロンドの髪が、陽光に輝いた。


「シンディ……!」

 由香が絶句した。シンディ・マクラフリン。

 迷彩服を着た女は、由香の大学時代のルームメイトだった。

 ブロンドの髪。モデルも顔負けのスタイルに、いかにもアイリッシュらしい、意志の強そうな青い瞳。

 シンディは、にっこりと由香に微笑んだ。



          *



――六年前。

「なんでよユカ! どうして出ていくの? わたしのことが嫌いになったの?」

「そうじゃない。けど……シンディ。ごめん」


 ユージーンは、州で三番目に大きな都市。オレゴン大学の街である。

 昔からゲイには寛容な街で、レズカップルを白眼視する住人はいない。

 ふたりは、大学構内の掲示板の、ルームシェアの貼り紙を介して知り合った。シェアは、アメリカの学生間では、比較的ポピュラーなスタイルである。

 由香は、親の遺産で、フライフィッシング、ハンティング、コンバット・シューティングを趣味に、気楽なキャンパスライフを謳歌していた。

 一方シンディは、子どもには、まずナイフの研ぎかたを教えるようなこの州で生まれた。

 初めてライフルを撃ったのは、八歳のときだ。

 ふたりは、週末のたびにキャンプや釣りに出かけ、やがて、愛を確かめあうようになった。


「だったら、あやまったりしないで!」

「ごめん。あたしは、あたしが何を出来るのか、それを確かめてみたいだけ。

あなたが嫌いになったわけじゃないの」

「わかった。さよならユカ……」



          *



 由香は、ウィンチェスターを構えたまま、斜面を下りる。相手が元恋人でも、いささかも油断しない。戦場で身についた習慣だ。

「シンディ、久しぶり。会いたかったわ。相変わらず綺麗ね」

「あなたも素敵よ」

「この茶番は、あなたが仕組んだのね……でも、なぜ?」

「あなたが好きだったからよ」

 そう言いながら、シンディは、ジャケットの懐から、素早くシグ・ザウエル P-228を抜いた。

 由香は、一瞬早く、ライフルから手を離し、ヒップホルスターからグロックを抜き射った。

 シンディがトリガーを引く前に、由香が放った弾丸が腕を掠め、シグが弾き飛ばされた。

「どうして外したの? あなたの腕なら殺せたはずよ」

「なんでそんなに死に急ぐ必要があるの?」

「わたし……病気なの。もう長くないって宣告された……どうせ死ぬなら、あなたに殺してほしかった」

「お断りよ。あなたは逃げてるだけ。同じ死ぬなら誇りを持って戦って死になさい。あたしが最後まで見届けてあげる」

 由香は、シンディを抱きしめると唇を寄せる。

 お互いに激しく相手を貪り、キスが終わるとシンディが言った。


「いつ、おかしいって気付いたの?」

「そうね。その前に……隠れてないで出て来たら?」

 由香が背後の茂みに向かい、声をかけると、ひとりの男が姿を現した。

 由香に仕事の依頼をした男だった。

「兄さん!」

 シンディが小さく叫んだ。

「お兄さんを利用して、あたしに依頼したのが失敗だったわね。彼は、あなたに死んでほしくなかった……だから細工したの」

 由香がシンディに写真を見せた。

 そこには、優しそうな父親と一緒に、幼いシンディと兄が写っていた。


「ひとつ訊いていい? なんでライフルで射たなかったの?」

「375 H&Hでは、威力がありすぎる……それに、あなたが射ってくるとは思わなかったから、ライフルを構えたのは、あたしのミス。グロックが間に合わなければ、あたしがヤバかった」

「どういう意味?」

「お兄さんは、よっぽどあなたに死んでほしくなかったのね。ライフルの撃鉄が下りないように細工がしてあったの」

「あの短い時間で、そこまで調べたのか。さすが一流のプロだ」

「お兄さま。お世辞はいいから、少し後ろを向いていてくださらない?」

 いたずらっぽく由香が言った。

「なぜ?」

 由香は、返事のかわりにシンディにキスをする。

 兄は、咳払いをしながら後ろを向いた。

「由香のキスは、ブルーベリーの味がするわ」

「いいえ。ブラックベリーよ」



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