6. YELLOW MAGIC INVENTION

 時は言葉通りあっという間に過ぎ、約束の当日。

 晴美達は一日の授業を終え、三人で揃ってコンピュータ室に向かい、共に教室に入った。

「一週間のご無沙汰だね」

 いつの間にか先に来ていた松木は三人を見てそう言った。

「……そりゃせんせがこの教室使わせてくれなかったんだもの」

 由卯はぼそりと呟く。

「一週間の成果、見せにきました」

 一方、晴美は堂々とした態度で松木に向かって言い切った。

 千智の方は黙ったままではあるが、気持ちとしては晴美と同じであろう。

「ああ、よろしく楽しむよ」

「……はい」

 相変わらずのん気そうな松木に、晴美は真剣な顔で答えた。

 その一言に多くの思いを込めて、目の前に見える道を進むために。

 三人は目を合わせ、首を縦に振った。

 これからの事に言葉は必要ない。

 やれることをやるだけだ。

 この三人で。

 今ここで。


 晴美がミニキーボードをセットすると、他の二人も端末を操作して設定を確認し、手の端末を空中に振り、それぞれの楽器を『召喚』した。これで楽器の準備は完了した。

 音響は無線通信で由卯の端末を通し、殆どを自動で調整するようにしてある。余計な手間やミスを減らす為のように思えるが、ただ楽器が買えなかったように、アンプやら何やらを用意する事が出来なかったが為の苦肉の策でもある。

 各自で試しに音を鳴らしてみると、どの楽器も特に何も問題は無いようだった。

 練習したときと何も変わらない。

 そしてまた三人で目を合わせ、頷いた。

 由卯がシンバルを叩き、リズムを刻み始める。

 それに頼りに、千智がキーボードを弾き、イントロメロディを奏でだした。

 別の世界に足を踏み入れてしまいそうな不思議な旋律に、ドラムの律動が乗る。

 望むと望まずとも、その足はメロディの風と共にどんどん先へと進んでいく。

 やがて、高い風の旋律と律動にもう一つの低い風が合わさる。

 千智の音と晴美のミニキーボードによる音が重なり産まれた、鍵盤をたたき付けたような重い音。それが合わさり、交差した場所であり、一つの世界を開き生み出したその証だ。

 軽やかに高い風は舞い、その風をより高みに飛ばす合いの手になる低い風。

 二つの風は律動の導きに従い、共に駆けていく。

 まだ拙いながらも低い風があるからこそ、高い風はより高みへと行ける。

 高い風の示す先があるがこそ、拙い風でも共に駆ける事ができる。

 どれも外せない。三つの元素で作られた世界。

 風はどこまでも行く。

 時には低く飛び、時にはまた高く飛ぶ。


 ――そして風は訊く。自分を知っているかを。

 そして風は名乗る。自分は風だと。

 そして風は告げる。風が吹くと。

 そして風は誘う。共に踊ろうと。

 そして最期に風は言う。魔法はここにある、だから踊ろうと――。


 高い風はまた低く飛ぶ。より高く飛ぶ為に駆け飛ぶ。律動が導くその先へ。

 拙い風はしくじるも風は飛び続ける。風が風を引き、二つの風は共に行く。

 高い風は軽やかに舞う。様々な色を見せて飛び続ける。

 低い風は駆け続ける。律動の駆けるその先へ。

 風は飛び続ける。どこまでもどこまでも。

 風は駆け続ける。どこまでもどこまでも。

 そして風は止まる。高みからその下へ。

 そして律動は止まる。風と共に。

 風は止まる。全てを終えて。

 律動が終わらせる。何もかもを。

 そして世界は終わる。風と共に。

 はじけて消えた。



 何かの音が聞こえた。晴美の耳に小さくも断続的に続く音が聞こえていた。

「……ん」

 何の音かと、ぼんやりとした頭で晴美は考える。何かと何かがぶつかる音。高い音。文字にするならパチパチという音。そうだ、これは拍手の音だ。

「あ……」

 我に返った晴美が顔を上げると、目の先には一人、拍手をしている松木の姿があった。

「いやよかったよ、みんな」

 拍手をしながら松木は演奏していた三人の元へと歩いてきた。

「……せんせ、その拍手、逆にイヤミに聞こえます」

「ん、すまん鼓。別にそんなつもりはなかったんだが」

 由卯の言う事を聞き、拍手を止める松木。そして軽く頭をかいた。

「しかし、ほんと中々だったじゃないか、なあ琴坂?」

 話題を変えるように松木は千智に演奏について尋ねた。

「かぜ……」

 だが、当の千智は呆然と立ち尽くしているだけだった。

「おーい琴坂?」

「え、あ……あ、はい」

 松木の二度目の呼びかけでようやく千智は現実に戻ってきた。

「大丈夫か? 保健室とか行くか?」

「い、いえ、大丈夫です」

 心配する松木だが、千智は見る限りでは大丈夫そうだった。

「……音楽、魔法」

 晴美は小さく呟きながら、先ほどまでの光景を思い出していた。

 とにかく演奏を合わせようと思いながらも、手の動くがままに全てを任していた、つもりだった。

 途中から感じていたものは『風』だった。見たなんてモノではなく、自らが風になっていた。

 低い風。それと共に飛ぶ高い風と、律動。

 それと溶け合い、一つになり、飛び続けていた。

 それこそ、永遠に続くかのように。

「どうだった鈴野?」

「あ、先生。あの、わたし……ちゃんと演奏できてましたか?」

 声をかけられたついでに、晴美は松木に尋ねた。『風』になっていた覚えはある。だが、その間に練習した成果は見せられていたのだろうかと。

「ああ、三人とも一週間でここまでやれるとはね。間違いなく見せてもらったよ、君たちの音楽魔法」

 松木のその返答を聞き、晴美の表情がパッと明るくなった。

「あ、ありがとうございます!」

 そして思わず頭を下げた。

「いやいや、色々な意味で礼を言うのは……というより、謝るのは先生の方さ」

 バツが悪そうに松木は続けた。

「教室利用禁止とかの中でほんとよくこれだけの無茶に乗ってくれたよ、ほんとすまない」

「……はーい、せんせしつもん。何で練習にこの教室使っちゃダメだったんですかー」

 由卯は手を挙げ、授業中のように松木に問いかけた。

 特に理由も聞かされずにダメと言われていたのだから気になって当たり前だろう。

「……あー、いや実はそれはワザとなんだよね」

 目を逸らして答える松木。

「ワザとぉ?」

「自主性を高めるためというか、ワザとでも逆境に立ち向かって来てくれたらより良い成果を出してくれるんじゃないかなって思ったのさ。だから謝るのは先生の方だと」

 頬をかきながら松木は言うが、ひどい事だった。まだちゃんと言ってくれるだけマシではあるのかもしれないが。

「わー……せんせ、ほんとヤな大人だ」

 由卯の率直な感想。まあこっちも幾らかは穏やかな言い方ではあるかもしれない。

「大人ってのはそういうもんさ」

「……あっ、もしかして音楽室もマッキせんせの仕業?」

「いや? そっちはノータッチだ」

「なーんだ。そっちもだったらいかにもな立ち塞がる何とかみたいだったのに」

 相変わらず由卯の例えはよくわからないというか、微妙なものだった。

「ま、今日はこの辺りでお開きとしようじゃないか。皆も疲れてるだろうしね」

「確かに。一曲だけだけどなんか凄く疲れたからなあー。ねえチサ?」

「……ええ、そうね」

 逃げるようにも聞こえなくない松木の言葉だったが、由卯は素直に乗ることにし、千智も実際に疲れを感じていたのでそのまま相槌を打った。


 三人とも疲れを感じているのもあって、そそくさと片付けをし、とっとと教室を出て行く事にした。

「えと、じゃあ先生、今日はありがとうございました」

 そう言い残し、晴美は三人のうち一番最後に教室を後にした。

「ああ、じゃあな鈴野」

 多分聞こえてはないだろうが、一応の別れの言葉を松木は告げた。

「……ふぅ」

 そして椅子に腰掛け、一息をつけた。

 あの日、晴美が初めてコンピュータ室に姿を見せた日と同じように。

「鈴野、琴坂、そして鼓、か……」

 松木は三人の苗字を口にし、今日三人が見せてくれた『成果』を思い出していた。

 拙い部分がありながらも何かを感じさせるものがあそこには存在していた。

 ただ『音楽魔法』と言うだけでは済まないような何かが。

「……運命、なんだな。きっと」

 またしてもあの日と同じような事を呟いて、松木は遠くを見つめた。

「さて……。いつ打ち込みを教えるかだな……」

 今年一年も閑職のつもりだった部も忙しくなりそうだ、とも思いながらも松木の顔は笑っていた。それは言葉では言い表しきれない程の意味が込められた笑顔だった。



 部活を終え、晴美達三人は妙に重く感じる身体を引きずるようにして校舎を後にした。

「あー……ほんとつっかれたー」

 そして下校中、由卯が本当に疲労を感じさせる声をあげた。

「うん、なんかこう、ね……」

 うまく言葉として表現できないが、疲れたという意を述べる晴美。

「んー。なんていうか、その、なんだろ?」

 疲れからきているのか、うまく頭の回らない由卯。

 とにかく理由はハッキリしないが、皆疲れていた。

「もー、今日は帰ったらとっととお風呂入って、ベッドに直行だね」

「わたしもそうしようかなぁ……」

 それでも仲良くお喋りを続ける晴美と由卯だったが、千智はというと口を閉じたままだった。

「ん、チサどうしたん?」

 妙に静かすぎる千智を見て、由卯は声をかけた。

「ううん何でもないの、放っておいて」

「ふーん……」

 由卯は首を傾げつつも、千智の言うままに何も聞かない事にした。

 何か思う所があっての事なんだろうと踏んだからだ。

「……琴坂さん」

 晴美の方は妙に千智が気がかりだった。

 疲れの関係もあってか、何かに悩んでいるみたいだからだ。

 とはいえ、声をかけたところで晴美が何かできるわけでもないと思っていた。

「……っと、信号変わっちゃう。じゃあボク今日はこの辺で! 二人ともまたね!」

 いつの間にか見慣れた交差点の所まで歩いてきていたようだ。

 由卯は点滅する信号を見てそのまま駆け出していった。

「あ……。もう、由卯ちゃんったら……」

 元気そうな由卯を見て、あの分なら今日の疲れもあまり関係無いように晴美は思えた。

 去っていった由卯を見届け、自分も帰ろうとしたところで、突然誰かが立ち塞がった。

「ふへ……?」

 晴美が顔をあげると、そこには千智の姿があった。

「あ、琴坂さん……」

 知らない間に晴美を先回りしていたのか、とにかくそこに千智は立っていた。

「あの……?」

「……ねえ、鈴野さん」

 千智の口が開いた。

「は、はい……」

「……少しいいかしら、話したい事があるの」

 晴美にそう問いかけてきた千智は何か神妙な雰囲気だった。

「え、別にいいけど……」

「……じゃあ、ついてきて」

 晴美の言葉を聞くと、千智は幽霊みたいな足取りで先を歩いて行った。

「う、うん……」

 千智の様子を心配しながらも、晴美はそのまま千智の後をついていく事にした。

 住宅街を探索するかのようにしばらく歩き続け、ふとした所で千智の足が止まった。

 目の前にはこじんまりとした家が建っていた。まあ特に特徴という特徴も無い普通の家だ。

「琴坂さん、ここは?」

「……私の家」

 千智はぼそりと答えると、またついてきてと言わんばかりに歩き出した。そして、家の門扉を開け、千智は鞄の中から鍵を取り出すと、玄関の扉を開けた。

「入って」

 晴美に向かい、千智は言った。

「あ、でも……」

「誰もいないから、心配しないで」

 場合によっては余計に心配するような一言を告げる千智。

「うん……お邪魔、します……」

 一旦ついて来てしまった以上、ここで帰る事が出来るほど晴美はキモが座ってはいなかった。


 晴美は玄関を開け、千智の家へと上がらせてもらう事になった。

 千智の家は外見通りに中もごく普通の家だった。

 廊下を抜け、階段を登って、千智の部屋に行くと、そこはアップライトピアノが置いてある以外は殺風景な部屋だった。一応、机やベッドなどの家具も無くはないが、他には目立つようなモノは特に置いてはいなかった。

「使って」

「どうも……」

 どこからかクッションを出され、晴美はそれを千智から手渡された。

 とりあえず下に置き、その上に座る事にした。

「えっと、それで琴坂さん、話って……?」

 二人きりで居るとずっと黙ったままでいそうな気がしたので、晴美は自分の方から尋ねてみた。わざわざ家に連れてきたと言う事は結構な事の話なのだろうとは感じられた。

「……鈴野さん。貴方、以前私が言った事覚えてる?」

 すると、逆に千智の方から問いかけてきた。

「へ?」

 何の事だか晴美にはさっぱりわからなかった。

「以前、私が鈴野さんが必要だって言った事」

「あ……」

 だが、言われてみて晴美は思い出した。

 初めて千智が晴美の家に来た時の帰り際に言った言葉だ。

「私は、私がやる事に鈴野さんは必要な存在だと思っていた。でも、それは私の思いあがりだったって、今日鈴野さんと演奏した後にわかったの」

「だって、アレは琴坂さんがいたから……」

「謙遜しなくていいの。アレは……『音楽魔法』は先生か鈴野さんが居てこそ出来る事よ」

「そんな。わたしは結局ヘタッピなままだったし、リードしてくれたのも琴坂さんだもの」

 晴美は千智が言い回しとかその辺りの事で拘ってるのかと思い、自分は大した事はしていないと主張し続けた。

「……いいえ。私が一人でどれだけ演奏をしようと、鈴野さんとで先生の前で演ったような、心に直接訴えるような事は出来なかった。どれだけ上手くやろうと私自身は何も出来なかった。私は一人でも出来ると思っていた。でも、私は鈴野さんのようにはなれかった。そして『教授』にすらも……」

「……『教授』?」

 ふと、聞きなれた単語が出てきて、晴美は思わずオウム返しをした。

「そう、鈴野さんも知っているでしょう? YMOのメンバーであり、TONG POOの作曲者でもある『教授』……」

 遠い目をしながら千智は言った。

「鈴野さん私はね、自分は『教授』の生まれ変わりだと思っていたの。今日の今日までは」

「……えっ」

 あまりの千智の突飛な言葉に晴美は何とも言えなかった。魔法だなんだと言っているのだから同じようなものではあるかもしれないが、それでも晴美の理解の範囲を超えていた。

「あるクリスマスの日、私はあるピアノ曲を聴いた。その頃のあまり音楽を知らない私でも、とても綺麗な曲だと思った。聴き続けてるうちに、私は何かもが溶けていくような気分になった。それで気が付くと私の前で誰かがピアノを弾いていた。それが『教授』だったの」

「え、それって……」

 千智の言う事は、かつての晴美が経験した事にとてもよく似ていた。

「そう『音楽魔法』よ」

 まさかの繋がりだった。

 ただ趣味が似ているだけでなく、同じ様な事も経験していた。晴美には驚きの言葉だった。

「でもね、その頃の私はそうは思わなかった。曲を聴いているうちに私はそのピアノを弾いている『教授』と全てが溶け合っていくように思えた。何で私がこんな所にいるのか、そして何故音楽をやっていないのか、って考えた程にね」

 千智は壁際のアップライトピアノを見て言った。

「両親が仕事であまり家に居ない事も『教授』と同じだと思い込んだ理由なのかもしれない。それでどうしてもワガママを言って買ってもらったのがこの電子ピアノよ」

 晴美がよくよくそのピアノを見ると、確かに電子ピアノではあった。

「本当はちゃんとしたピアノが欲しかった。でも、ワガママで買ってもらったからには文句は言えず、このピアノで『教授』が弾いたという曲を探しては無我夢中で弾いた。私は『教授』なのだから、と」

「で、でもなんでそんな話をわたしに……?」

 晴美は千智に訊いた。

「鈴野さんとの出会いは運命だと思ったからよ」

「う、運命……?」

 運命。晴美にとってその言葉は松木からも聞いた言葉だった。

 しかし、千智からもそんな事を聞くとも思わなかった。

「あの日の夕方、私は音楽室でピアノを弾いていた。……家の電子ピアノでなく、グランドピアノを弾きたかったから。多くの曲を弾いて、最後に『ジムノペディ』を弾いていた時、鈴野さん貴方が現れた」

「あの時はたまたまというか……」

「いいえ、私はそうは思わなかった。鈴野さんが見せてくれた『音楽魔法』。あの稚拙ながらも全てが溶ける感覚のあるもの。アレを感じた時、鈴野さんも生まれ変わりだと思ったの」

「いやだから、わたしは別にそんな」

 晴美がいくら否定しようと、千智の言葉は止まらない。

「だからね、鈴野さん。私は鈴野さんを利用するつもりでいたの。私自身で『教授』を……。YMOを再現する為のね」

「……え? りよ……え、えええっ?」

 突然の千智の告白だった。

「言ったでしょう、私は生まれ変わりだと思っていたって。だから私は拘った。『教授』が左利きだと言うなら、私は左手も使えるよう練習した。『教授』はジャージが嫌いというなら、洋服のまま授業で走ったりした。ヘルメットを被って学校のピアノを弾いたと言うなら、私もどうにかヘルメットを手に入れて自分でバリケードを作ってピアノを弾いたわ」

 どうやらこの辺りが由卯が言っていた『とんでもない事』のようだ。晴美が聞く限りでも中々にとんでもないというか、実は『教授』からしてとんでもない人間だったらしい。

「だから私は由卯が邪魔だと思っていた。由卯が嫌いというわけじゃないけど、私の計画の邪魔になるような事ばかりするから……」

「あ、それであの時とか……」

 晴美からしても心当たりの多すぎる事ばかりだった。

 あの微妙な空気もそんなところから来ていたようだ。

「由卯も由卯でドラムは上手いけど、私が鈴野さんに感じたようなものは何もなかった。いや、私が何も感じようとしなかったのかもね……」

 ふと晴美には千智の声が少し震えてるように聞こえた。

 いや、気のせいではないのかもしれい。千智の身体は少し震えていたのだ。

「私は鈴野さんに近づく為に音研に入った。そこで松木先生も私と同じような事を考えているのを知ったわ。だから相乗りさせてもらう形で、由卯の事も受け入れていくつもり、だった……」

「え? いま松木先生も、って……」

 聞き間違いかと思い、晴美は千智に聞き返した。

「いいえ……本当よ。私程かは知らないけど、あのベースのパートを一番演奏しやすく編曲してあった時点で間違いではないはず……」

 段々とすすり上げるような声になっていく千智。

「それで……私が鈴野さんと由卯とで色々話したり、練習したりしてるうちに何かズレを感じ始めて、疑問にも思うようになったの……」

 由卯の家に初めて行った時の夕方の千智の弱気な発言もそんな理由だったようだ

「それで今日の演奏の後で思い知らされたの……。私は……私は……『教授』の生まれ変わりでもYMOでもなんでもない! 才能も何も無い! 追いかけてたつもりだったものは幻想だったのよ!」

 そしてついに千智はボロボロと泣き出した。

 千智の張り詰めていた糸が切れた瞬間だった。

 そのきっかけは晴美だったかもしれないが、いつかは崩れてもおかしくない虚栄だった。

 晴美に抱きつき、大粒の涙を流し、感情のままに泣き、そして叫んだ。

「琴坂さん……」

「鈴野さん、私もう何をすればいいのかわからない! わからないの! わからないのよ!」

 小さな子供のように千智は泣いた。

 がむしゃらに泣いた。

 わんわんと泣いた。

 それは、既に居ない『教授』という幻想の仮面を被り続けた一人の少女の素顔だった。


 しばらくの間、千智は泣き続けた。

 そしてようやく静かになった頃、晴美は声をかけてみた。

「……落ち着いた、琴坂さん?」

 その声を聞いてか、千智はようやく顔を上げた。

「うぅっ……う……」

 晴美がポケットティッシュを差し出すと、千智は受け取り鼻をかんだ。

「……うぅ、ごめんなさい鈴野さん……私、私……」

「泣いてスッキリするなら好きなだけ泣いた方がいいよ」

 なんでもない言葉だが、今の千智には晴美が女神か何かのように思えた。

「うぅん……。ほんとごめんなさい、変な所見せて……」

 千智は再度鼻をかみ、どうにか気分も落ち着いてきたようだった。

「いいっていいって」

 頬を小さくかきながら晴美は言った。あまり良くは無い部分もあるのだが、それらが崩れた結果がアレだと思うと、責める気にはなれなかった。

「それに私、鈴野さんを利用だとかひどい事も……ぅ……」

「確かに利用ってのはちょっと、ね……」

 眉をしかめ、複雑な顔をする晴美。千智がやろうとした事の気持ちもわからないでもなく、実害と言えるようなモノもあまり無いのだが、利用だとか言われてあまり良い気分でいられるものじゃない。

「もう私……なんであんな……」

 後悔の念に悩まされ、千智はさめざめと泣く。

 初めてあった時の凛とした少女姿はそこにはなく、どこか昔の自分の姿と重なるものを晴美は感じた。もしかしたらあの千智は別に道に進んだもう一人の自分であったかもしれないのだ。

「……でも、一緒に目指すってのなら別にいいかな」

 そんな千智に晴美は呟いた。

「へ……?」

「何も知らないで利用されるなんて嫌だけど、わかっててやるのなら話は別かなって」

 踊らされるではなく、自分から踊り始めるのならそれでいい。晴美はそんな風に思っていた。

「鈴野さん……」

「琴坂さんも回りくどい事しないで最初から言ってくれればくれればよかったのに」

「だって……生まれ変わりなんて、『教授』の思想と反する上に、言って信じてもらえるような事でもないでしょう……。私だけが信じてた事だから……」

 千智の信念というか考え自体がめんどくさかったようで、その結果が今の有様のようだ。

「……それもそうだけど」

 祖父母に『音楽魔法』の事を話して信じてもらえなかった事を晴美は思い出した。思えば由卯の方も説明し、経験もしたのだが、未だにちゃんと信じてもらえているかはわかっていない。

 それを思うと、晴美は千智がそうした気持ちもわからなくはなかった。

「でも、琴坂さんも見たんだよね、音楽魔法」

「え、ええ……」

「わたしも先生に教えてもらうまでは琴坂さんと同じで、自分だけが信じてた事だった。でも、音楽魔法は確かにあった。たとえ生まれ変わりは無くても、魔法はあった。それじゃダメなのかな?」

「けど、私は……」

 自分が信じていたものが勘違いだったと思うと、千智は素直に受け入れる事ができなかった。

 一度崩れたものを元に戻すのは容易ではない。

 それが人の心に関係するとすれば、丸々同じ形に戻る事はまず無いだろう。

 そんな千智に向かって晴美は言った。

「……一人じゃなくて、みんなでやろうよ」

「え……」

「わたしもわからない事ばかりで、一人きりだったら音楽魔法どころか音楽すらわからなかったと思う。でも、松木先生や由卯ちゃん、それに琴坂さんと会ったから知った事もあるし、今日の音楽魔法だってやれたんだもの」

「でも……」

 だが、千智は曖昧な返事を繰り返す。まるで、以前の晴美のようにだ。

「一人より二人がいい、二人より三人がいい、って言葉もあるし、一人でやろうとするより三人で協力すればもっとうまくいくと思うんだ」

 一方の晴美は、積極的に言葉を続けた。

 人の心は崩れるだけじゃない。より強く固くもなる。

 晴美の心もそうして少しずつ、本当に少しずつながら強くなっていたのだろう。

「YMOも一人二人のユニットじゃなくて、三人のユニットだよ。琴坂さんだけじゃ出来るわけないのも当然だって」

「ん……」

 恥じるように千智は俯く。

 ――音楽だけなら、曲を演奏するだけなら、たとえ一人でもフルバンドを演る事はできる。しかし、千智が……晴美達が求めているのはそれだけじゃない。かつて在ったYMOという伝説自体に憧れ、陶酔し、時には過激な手段に出る事もある、それがファン――愛好者であり、好きという事だ――。

「……好きなら好きでいいんだよ。みんなでその好きを追っかけようよ。わたしも一人でYMO好きでいたけど、出来る事なら話し合う事のできる友達が欲しかった。だからさ、わたしと……わたしと由卯ちゃんとで友達になろうよ、琴坂さん」

「とも……だち……?」

「そう、運命とか利用とか同じ部員だからとかじゃなくて、好きなモノが同じだけの友達」

「私、そんな資格は……」

「友達にそんな事は関係ないよ。琴坂さんは由卯ちゃんとも友達でしょ?」

「由卯とは、その……」

「わたしともそういう感じでいいんじゃないかな。堅苦しく考えないでさ。それで、わたしと琴坂さんは同じものが好き。それだけでいいじゃない」

「鈴野……さん」

「友達になろう。……ううん、友達からはじめよう、琴坂さん」

 晴美はそう言って言葉通り手を差し伸べた。

「それで話そう。二人ででも、三人ででも」

「鈴野さん……ごめんなさい。ごめんなさい、私……私……!」

 晴美の言葉を聞き、千智はまた泣いた。そして謝った。

 多くの意味を込めて謝った。

「そして、ありがとう……」

 その込められた意味の一つである言葉を千智は小さく呟いた。

 偽りは無い。心からの言葉だった。



 それから晴美と千智は本当の意味での友達となった。

 その事を由卯に話した際の千智の態度は、晴美からしても以前とあまり変わらないように見えた。多分元々ああいう感じの性格だったのだろう。

 千智が考えていた事と同じように、松木もYMOの再現を考えているらしいという事については、三人で話し合い、そのまま乗り続けようという事になった。

 由卯は、面白そうだからそれでいいじゃない、と適当な返答ではあったが、別に否定する理由も無いからこのままやろうよ、ということになった。あの日、音楽魔法自体を経験……見られたかどうかについては、晴美も聞いてはみたがうまくはぐらかされてしまった。

 千智の方は、吐き出せるものを吐き出したからか色々と吹っ切れたらしく、たとえどう言われても『教授』が好きである事には変わらない、いや変えるつもりはない、という結論に至ったようだ。先日、左手で『教授』のサインを練習している所を晴美は見かけたりもした。

 晴美はというと、今すぐは無理ではあるが、楽器の購入を考えていた。

 自分の意思で入部した音研部。その部においてもあくまで自分の意思で先生の意図に乗り、行けるところまでその階段を登り続けようと思った。YMOという果てない伝説に少しでも近づく為に。少しでもその軌跡を追体験する為に。

 そんな風な事を晴美は夜空を見つつ誓った。


 夜空を照らす丸い月は何も言わないが、その輝きは何時の時代にも変わらないものだった。

 たとえどんな未来でも、そこに在ると信じる限りは。

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東ノ風インベンション 座間久人 @zamahisato

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