第12話 犬

 庭で洗濯物を干していたときだった。

「あの……」

 声のほうを向くと、小学生低学年くらいの男の子がこちらを見ていた。

「お客さんかしら?」

 洗濯物を干すのを止めて、男の子に近づく。

「その……なんでかわかんないけど、いつの間にかここに来てて……」

 しどろもどろになりながら喋る男の子。彼はランドセルを背負い、腹を押さえ前かがみになっていた。

 と、男の子の腹がもそりと動いた。

「あっ、こらっ!」

 慌てて押さえつけようとするが、それを意に介さず腹の中身はパタパタと暴れた。そして男の子の首元から出てきたのは、成長しきっていない子犬だった。

「あら、かわいい。あなたの?」

 尋ねると、男の子は諦めたように服から子犬を出し、首を振った。

「違うよ。拾ったんだ。拾ってくださいって段ボール箱に入ってて……」

「捨て犬を拾っちゃったのね」

「うん。でもうちのマンション、ペット禁止で、お母さんもお父さんも元の場所に戻してきなさいって言って……」

「それで困ってたわけね」

 屈んで男の子の目を見る。雨の中、子犬を拾ったこと、両親に飼うのを反対されたことが見て取れた。それと同時に、簡単には捨てたくないという意思も感じられた。

 正直なところ、よくあることだ。数百年生きてきてこれに類する悩みを持ち込まれたことは多い。

 だが、よくあることだといっても解決方法が簡単なわけではない。幸運ではどうしようもないこともあるのだ。

「ねえ、どうすればいいと思う?」

 男の子が控えめに尋ねてくる。子どもの頭で相当困っているのだろう。

「そうね……代わりの飼い主を探してあげたらどうかしら」

「代わりの?」

「そう。あなたが飼えないのだったら、その子は元の場所に戻すか保健所で殺処分になるわ。そんなの嫌でしょ」

「い、嫌だ!」

「なら、この子を幸せにしてくれる飼い主を探すのが一番じゃないかしら。……ちょっと待ってて」

 店に戻ると、商品棚から犬の絵柄が織られたビーズ細工のブレスレットをとって男の子の元へ戻る。

「これ、いい飼い主が見つかりますようにのお守りよ」

 そう言って、男の子の腕につけてやる。

 犬を飼うことはできなくても、飼い主を見つけることはできるだろう。

「あの……僕、お金持ってないけど……」

 もとよりお金は期待していない。だから子どもの客にはこう言うのだ。

「願いがかなったら、また来てね。そのときに、あなたが大切だと思うものを持ってきて。それがお代でいいわ」

「大切な……もの?」

「なんでもいいわ。ただし渡してもいいものね。でもまずはその子犬の新しい飼い主を見つけないと。そのブレスレットはね、幸運をもたらすけれど、願いに対して努力しないと何にも力を出さないの。だから子犬が生きられるかどうかはあなた次第よ」

 男の子はブレスレットを眺め、決心したように握りこぶしを作った。

「僕、がんばる! 飼ってやれない分、幸せになれるように新しい飼い主探すよ!」

「がんばってね」

「うん!」

 幼い顔だったが、その顔には決意が現れていた。


「犬はいい。うちで使い魔として調教してもいいんじゃないか?」

 夕食を彼女の部屋へ運びに行ってそうそう、そんな言葉を投げかけられた。彼女ほどの魔女になれば、今日何が起きていたかなんで見なくてもわかる。

「そんなこと延々とするつもり? 第一、あなたそんなこと言って使い魔なんて持ったことないじゃない」

「あるよ。一度だけな。君と出会う前の話だ」

 まずい。これはタブーに触れてしまう。

 魔女は動物を使い魔に持つ。それは魔女界で生まれた動物かもしれないし、人間界で生まれたものかもしれない。ただ、魔女界で生まれた動物は寿命が長いのに対して、人間界のものは短命だ。人間界の動物を使い魔にするには魔力を分け与える必要がある。それでも魔女界の動物に比べると短命なのだが。

 とにかく、彼女の前で歳の話はご法度だ。私のトラウマがそう言っている。

「ま、拾った人が飼い主探しは鉄則でしょ。ついでにいうと、うちに犬を調教する余裕はないからね」

「ああ、私には君がいるからな。今更犬を使い魔にするつもりはない」

 暗に自分が使い魔扱いされていると読み取れるが、案外間違っていないので「そうね」で済ませた。


 それから数日後、店の奥の織り機で商品を作っているときだった。

 来客を告げるベルが鳴ったのが聞こえた。

 店へ出てみると、この前の男の子が入ってきていた。

「あら、いらっしゃい」

「飼い主、見つかったんだ!」

 男の子は笑顔で写真を見せてくれた。それにはこの前の子犬と新しい飼い主であろう女性が映っていた。

「よかったじゃない」

「うん。それで、大切なものなんだけど……」

「この写真でいいわよ」

「えっ!?」

 男の子は心底驚いた声を出した。

 驚くのも無理はない。写真なんていくらでも撮れるから。しかしこの写真は、新しい飼い主を見つけ、安堵と喜びの念が感じられる。それは魔女にとって金銭と同等の価値があるのだ。

 少年は少し迷っていたようだが、やがてこくりと頷いた。

「いいよ。この前のお代、その写真でいいなら」

「ええ、もちろん」

 少し名残惜しそうに見た後、男の子は写真を手渡した。その行為が、その写真が大切なものだという裏付けになっている。

「ありがとう、お姉さん!」

 カランカランと店のベルが鳴り、男の子が去っていく。

 男の子を手を振り見送ると、私はまた商品づくりに戻ったのだった。

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魔女として生きる 楸 梓乃 @shino7

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