ブレイン ジャック Ⅱ

宝泉 壱果

第18話 失踪

 俺と編集長は、取るものとりあえず病院に向かった。

 茂さんの奥さんから迫編集長に電話があった。どうやら救急隊員とはすぐに連絡がついたようで、奥さんも病院に着いたところだという。場所は倒れた場所から近い、民間の総合病院らしく、容態が安定したら別の脳神経内科のある病院に移るだろうと言われているという。

「……脳神経内科って、編集長まさか」

「今のところ、ジャック障害の疑いが濃厚だと」

 編集長の声が、いつもよりこわばっていた。

 二人でタクシーに乗り込み、茂さんの奥さんから聞いた内容に、俺は耳を疑った。

「でも、もう茂さんはジャックを使っていません、今さらそんな」

「そんなもくそもあるか。茂が用心深いことは俺も知ってる、あいつが自分から危険を犯すなんて思っちゃいない。だが、医者がそう言うからには、その線で調べてもらうしかねえだろうが」

 編集長はそう吐き捨てて、寝起きの髪をかきむしる。

「俺たちが行ってもなんの助けにもならねえかもしれない。だが、茂がどうしてあんな通勤にも関係ないところに、早朝から向かったのか。誰かと会っていたのか。それとも連れていかれたのか……とりあえず何でもいいから、聞いて回るしかない」

 そうして到着した病室で、眠り続ける茂さんと俺は対面した。

 点滴が繋がれ、他にも脳波を測定するためのコードが頭に繋がれ、どういう意味を示すかわからない波形が、心拍数とともにモニターに写し出されている。

 行儀よく上向きに寝かされている顔に、傷ひとつない。顔色は多少血の気がないものの、その表情は苦しさなど一切にじませておらず、ただ眠っているようにしか見えない。

「わざわざ、すみません」

 茂さんの側につきそっていた女性は、彼の妻、多田恵おおためぐみさん。はじめて会ったが、話に聞いていた通り細く小柄で、可愛らしい印象の女性だった。彼女がいつまでも若く見えるのが茂さんの自慢であり、のろけのネタだったが、その通りの見た目だ。

 どうせなら、山のような熊男が真っ赤に照れながら紹介してもらいながら、彼女とは対面を果たしたかった。

「ご無沙汰しておりましたが、このような形でお会いすることになるとは……容態はどうですか?」

「はい、今のところまだ脳は大丈夫そうです。どうして昏睡状態になったのかは、これから調べないとわからないようです」

「……そうですか」

「あの、彼は?」

 恵さんが俺の方を気にしているのに気づき、すかさず名前を名乗る。

「ああ、あなたが。主人がよく話をしてくれていたんです、こんな場所で言うのもなんですが、お会いできて嬉しいです」

「こちらこそ、茂さん……多田さんにはお世話になってます」

 俺が言い直せば、恵さんは微笑む。こんなときでも、気丈な女性だ。

「恵さん、こんな状況で悪いが、少し話を聞かせてもらってもいいですか」

「ええ、私に分かる範囲でしたら」

 病室で話し込むのもどうかと思い、看護師に声をかけてから、恵さんをつれて広い休憩室に場所を移した。

 まず編集長が確認したのは、茂さんが倒れていたという場所についてだった。杉並区にある、小さな緑地公園の一角、散歩に人が行き交う遊歩道から、少し林に入ったところで倒れていたのだという。

 茂さんの自宅は世田谷区だ、編集室のある新宿に向かうのに、方向が違う。出社すると家を出た茂さんが倒れたと知らせを聞いた恵さんも、まさかどうしてそんな場所にと疑問に思ったという。

「誰かに会う約束をしていたとか、そんなことは言ってましたか?」

「いいえ、今日は編集室にこもりきりになる日だから、憂鬱だとぼやいていたくらいですから」

 ああ、それは茂さんらしい。編集作業よりも取材の方が好きな茂さんは、仕事中もそういうことはよく口にする。事実、締め切りを控えて、今日はどの記者も原稿の仕上げや校正に追われている。

「あの、実は処置をしてすぐにお医者様から、主人は『ジャック』障害の疑いがあると言われて、使用状況を聞かれたんです」

「ジャック? だが茂はすぐに使うのを止めて、社の支給スマホに……」

「ええ、だからそう伝えたんですが、救急から連絡をもらって確認にきた警察官にも、そう伝えたんですが、後でジャック担当の警官がくるからって」

 ちょうどそれを聞いていたとき、俺たちしかいない面会室に見知った顔が入ってきた。

「マキちゃん先輩」

「恩田……」

 先頭に黒崎刑事、その後ろに恩田。制服を着た警官が一人つきそっていた。恩田は部屋に入るやいなや、俺の姿をみつけたようだ。いつもより遠慮がちに、駆け寄ってきた。

「藤文舎勤務の多田さんと聞いて、まさかと思ったんですが、やっぱり……」

 茂さんの話は、恩田も名前は何度か俺から聞かせている。せがまれて仕事の同僚の話をすれば、おのずと出てくるくらい茂さんはなにかと世話をやいてくれていた。

「ジャック担当刑事がくると、今ちょうど聞いたところだったんだ。おまえがそうだとは」

「正確に言うと違うが、こいつが行くと言ってきかなかったんだよ。今は重複している捜査のために、たまたま都合がついたというのと、あまり捜査員についての情報を知られたくない」

 協力を要請しておきながら、こちらがメディア関係者だということでの警戒は、怠らないらしい。いくらか不快感がないわけではないが、今は情報の共有ができることを優先するしかない。それは編集長からもあらかじめ言い聞かせられていることだ。

 黒崎がそう事情を告げ、制服の警官に部屋を用意するよう指示する。そして面会人が出入りするここじゃ不味いと、場所を変えさせるから少し待つように指示され、俺と編集長はしばらく待つことになった。

 その間、医師には恩田が、そして妻である恵さんへの聴取は黒崎が行い、手分けして確認を済ませると病院の会議室を借りた。

 面子は黒崎、恵さんと編集長、それから俺。恩田は電話をしながら最後に入ってきて、黒崎に耳打ちをしている。

 そこで聞かされた事実に、俺は耳を疑う。

「今、恩田が本部に確認をとった結果、多田氏のジャックの通信記録によると、本日六時三十分ちょうどに、VR通信が使用されているそうだ」

 それに異を唱えたのは、恵さんだ。

「そんなはずありません。主人は、絶対に使わないって約束してくれたんです、それに電話は持っていたんですよ、どうしてジャックなんか……」

 妻である恵さんがそう言うのももっともだ。茂さんは現場こそ見てはいないものの、三浦陽がどうなったか、よく知っているのだから。絶対に茂さんがジャックを使うはずがない、そう思うのは彼女だけでない。

「だが、記録は確かだ。ジャックの端末はどこにありますか?」

「……家に置いたままだと」

「すぐに確認したいんですが、警官を向かわせても?」

 恩田がそう聞き返すと、恵さんははっとして頷く。

「娘が、ちょうど連絡をもらった時に学校に行く前で、家で待機してるってきかなくて、家にいるはずです」

 書斎の引き出しに仕舞うのを、見たという恵さんは、鞄からスマホを取り出して自宅に電話をかける。

「あ、志穂? お母さんだけど、ちょっと確認してほしいことがあるの……」

 父親の容態が心配なのだろう、恵さんは電話の向こうの娘に、茂さんの意識が戻らないこと、だが命には別状がないことを伝えてから、ジャックを探すよう急がせた。

 しばらく沈黙が続いたのち、電話口から返答を受けたようで、あきらかに肩を落とす恵さん。通話を切ると、どうにも困惑した様子だ。

「端末機はどこにもないそうです。充電器はあったそうなのですが、端末はどこにも。仕事に使っていた予備の鞄も開けたそうですが、見当たらなかったようで……」

「そうですか、搬送されたときには耳にジャックは装着されていませんでしたし、多田さんの所持品の中にもなかったそうです」

「……じゃあ、誰かが茂さんのジャックを持っていったのだろうか?」

「マキちゃん先輩、それは今、近い交番の巡査が通報者と接触して、発見状況を詳しく調べてもらっています。確実なところは救急隊員からの証言で、装着されていなかったのは確認済みです。今は意識喪失者の対応として、それは必須マニュアルですから間違いはないかと」

「本当に、ジャック障害……なのか? 危険を冒してまで使うはずがない」

「落ち着け、眞木。それを調べないかぎり、誰にもどうにもできない。医者によると茂は命に別状はないっていうんだ、今は茂の回復を待とう」

 意識が回復する可能性は十分あるという説明があったという。それだけが救いだ。

 恵さんも、編集長の言葉に涙をこらえながら、何度も頷いている。

 そうだ、辛いのは茂さんであり、その家族だ。彼らのためにできることをしなければならない。

 ちょうどそのとき、恩田の携帯が鳴った。だが要件だけ聞くとすぐに通話を切り、厳しい表情を浮かべた。

「……どうした恩田?」

 上司である黒崎の問いに恩田は返答を躊躇する。それと同時に、俺の方に一瞬だけ視線を向け、黒崎の腕を取って俺たちのそばから離れる。

「なんだってんだ?」

 編集長は部屋の隅に移動し、声を潜めてやり取りをする二人を見守りながら、俺に聞いてくる。だが俺に聞かれても分かるはずもなく、肩をすくめるしかなかった。

 しばらくして戻った黒崎が、思いもかけないことを口にした。

「付近の監視カメラ画像を分析したところ、多田氏が映っていたそうだ。その映像で多田氏の側に女性がいたそうだ」

「女性?」

「ああ、最初に公園の入り口付近で、公園のカメラに男女の姿が映っていた。発見現場近くのではないが、事情を知っているのはその女だが……」

 編集長と恵さんが顔を見合わせる。俺もまた、それがどういうことなのかと次の言葉を待つ。

「画像処理の結果、それが片桐紗羽だと判明した。今日、片桐紗羽は?」

「片桐くんだと? 彼女はまだ出社してはいなかったが……おい、眞木」

 編集長に呼ばれ、はっとして手帳を広げる。

 手帳のカレンダーには、紗羽の助手を引き受けることになった日から、自分の予定とともに紗羽の予定も書き込んでいる。ここのところ変更につぐ変更のせいで、真っ黒になったカレンダーのうち、今日の枠には、締め切り間近なため自分のもので元からびっしりだ。その合間に、横線で消した予定がある。

「……タキ製薬に再びアポイントを取ったんですが、向こうの事情で再び延期になっています」

 そうだ、再三の要請にようやく応じてくれたのはタキ製薬の広報で、あらかじめ送っておいた質問に社長からの返答をもらえるという手はずだった。向こうから延期の申し出があったと紗羽に聞かされていたが、ここのところの事件に追われてその後の延期日程は確認していない。

 手帳から顔をあげると、編集長がスマホを取り出して電話をかけている。

「迫だ、片桐くんは出社しているか? ああ、急いでくれ」

 編集長が電話を片手に返事を待っている間にも、再び恩田の方にも呼び出し音が響く。

「なんだと?」

「本当ですか、それ?」

 二人がほぼ同時に叫んでいた。

 いったい、なにが起きている? そんな二人を見守るしかない、俺と恵さん。黒崎もまた通話が終わるのをじっと待つ。

 そして渋い表情の編集長と、同じく恩田は電話を切る。

 恩田をちらりと見てから、編集長から口火を切った。

「片桐くんが時間を過ぎても出社していないそうだ。念のため宮地から電話をしたが出ない。移動中かもしれないが、引き続き連絡を取るよう伝えた」

 黒崎が電源は入っているのかと確認すれば、入っているが電話に出ないという。留守電にもならないとのことだった。

「彼女はフリーの記者だ、連絡がとれないということは滅多にないのだが……」

 編集長の眉間に深いシワが入る。

 続いて黒崎が鋭い視線を恩田に向け、それを受けて恩田が頷き報告を始めた。

「交番巡査からの報告なんですが、通報者はマラソン途中だったそうで、通報前に女性と言い争っている多田さんを見かけたようです」

「目撃者へ、片桐紗羽の人相確認はしたのか?」

「村越課長から、巡査に写真データを送ったところですから、すぐに折り返し連絡が入ると思います」

 刑事である二人のやり取りに、俺は思考がついていかなかった。

 紗羽と茂さんが社外でわざわざ会う必要性など、取材以外であるのだろうか。忘れている取材予定、打ち合わせなどの見落としがなかったか、恩田の報告を聞きながら俺は再び手帳をめくる。

「それから目撃者は、二人の様子が気にはなったものの、公園を回ったようです。その後周回して戻ったところ、同じ場所でれている多田さんに遭遇したという流れのようです」

「言い合いというのがどの程度かが問題だな。他のカメラの画像解析は?」

「まだです、近所のコンビニとスタンドなどからも映像を集めているところだそうです。好感度のカメラで表情が撮れていれば、なにを話していたのか判別できるんですが」

「片桐紗羽から直接話を聞けるのが一番なんだが……」

 黒崎の言葉に、俺はスマホを取り出して紗羽の携帯番号を呼び出す。

 なにか事情があって出られなくとも、履歴を残せば折り返し連絡をくれるだろう。それとも、電話に出られない状況なのだろうか。

「どうだ、眞木?」

「……ダメです、呼び出しはしているようですが、出てくれません。自動的に留守電に切り替わってしまいます」

「やっぱり、出ないか」

「もしかしたら、出られないとかじゃないですよね。彼女はここのところ俺と行動を共にしていたから、九条に目をつけられたとか」

 編集長もまた同じ心配をしているのだろう、いっそう眉間の影が濃くなる。

「もしそうならば、一刻も早く探さないと。なあ恩田、警察で保護してもらうわけにはいかないのか?」

「参考人としてなら可能ですが、それにまだ失踪したとは確定してませんし……あ、ちょっと待ってください」

 恩田は再び鳴った電話を取る。

 するとしばらく相づちを繰り返したのち、電話を黒崎と代わった。なにか聞かれたくないことでもあるのか、黒崎は電話を持ったまま廊下に出てしまう。

「おい、なにか分かったのか?」

 そう恩田を問い詰めれば、重い口取りで言った。

「目撃者の確認が取れました。多田さんと一緒にいた人物は片桐さんでした」

「本当に、紗羽さんだったのか……どうして」

「やはり理由は本人に確認するべきでしょう。別角度のカメラに、二人の会話が読み取れそうな画像がありました。唇の動きから会話内容の解析をしていますので、それ次第では片桐さんを参考人として捜索ができます」

 参考人、捜索。それらの言葉には、様々な意味が含まれている。だが今はそうも言っていられない、早急に紗羽と連絡がとれるのなら、警察の力を借りるのが最善だろう。

「頼む、恩田。これ以上何も起きてほしくない」

 あれほど辛くあたった恩田に、俺は恥も外聞もなく頭を下げた。

 恩田は俺の姿に驚いたような顔を浮かべたが、すぐにいつもの彼女らしい笑顔を浮かべた。

「もちろん、全力を尽くします。任せてください!」

 

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