栄えある自宅警備員

黒羽カラス

第1話 自宅警備の心得

 休日の昼近い午前中、父親は広々とした居間にいた。黒い本革製の座椅子に背中を埋めて大きな窓の外に見える庭を眺めている。

 大自然を凝縮したような景観が広がっていた。繁茂する緑の中央には苔むした岩が異彩を放つ。天辺てっぺんには小ぶりな松が生えていた。根は極端に太い。しなやかな幹は天に昇る竜のようであった。

「悪くない」

 満足した様子で飴色のサイドテーブルに手を伸ばす。置かれていた湯呑を掴むと鼻に近付けた。深く息を吸い込み、微笑んで口に含む。少量を数回に分けて飲んだ。

 空になった湯呑をテーブルに戻す。勢いが付いて硬い音がした。

「……行くか」

 苦み走った表情で立ち上がる。重々しい足取りで居間を出た。

 艶やかな光沢を帯びた廊下を静かに歩く。幾つかのドアを通り過ぎた。

 眉間に強張りを見せた状態で父親は一つのドアの前に立った。右の掌を羽織っていたガウンの裾で拭う。ノブを掴んで一気に開けた。

 贅を尽くした数々の調度品が壁際でひしめき合う。奥まった窓の近くには天蓋付てんがいつきのベッドがあった。臙脂色えんじいろのジャージを着た娘が俯せの姿勢でいた。気ままに脚をぱたぱたと打ち付けている。

「あー、少し話がある」

 父親の声で脚が止まった。読んでいた文庫本を閉じて顔だけを向ける。明らかに目が据わっていた。白い頬はほんのりと赤く、薄い唇を尖らせる。

「ノックしてないよね?」

「いや、それよりも話が」

「ノックは部屋に入る時の最低限のマナーだよね?」

 少し強い言葉で念を押す。

 父親は渋々と部屋を出た。ドアを閉めたあと、改めてノックをした。

「どうぞ~」

 陽気とも取れる声に促され、父親は部屋に入っていった。

「話がある」

「それはさっき聞いた。で、なに?」

 娘は文庫本の続きを読みながら素っ気なく返す。

 父親は柔和な顔を作った。

「今日は天気がいいぞ。散歩はどうだ?」

「行かない」

「散歩は有酸素運動だから、ダイエット効果も期待できるぞ」

「身長162センチ。体重56キロ。BMI値21の私には必要ないよね?」

 早口で返された。父親は言葉に窮して、あー、と間延びした声を出した。助けを求めるような目を周囲に向ける。

「家具が増えたように見えるのだが」

「買えば増えるよね」

「小遣いで買えるとは思えない。バイトでも、しているのか?」

「してないよ」

 娘は文庫本の頁を捲った。

 訝しげな表情で父親は娘に近づく。

「まさか、人様に言えないようなことで金銭を得て」

 文庫本が大きな音を立てた。掌で叩き付けるようにして閉じられたのだ。同時に父親の口も封じた。

 娘は上体を起こした。ベッドの上に胡坐あぐらいて父親と向き合う。

「バイトはしてないけど以前から株はやっていたし、今はちゃんと働いているよ」

「それは本当なのか? 大学を二年で中退して、引き籠もり状態になっていたんじゃないのか」

「半年くらいは計画を練っていたからね。そんな風に見えただけよ」

 呆れたような顔で娘は言った。

 その言葉が信じられないのか。父親は疑いの目を向けてきた。

「……仕事の内容を教えてくれないか」

「別にいいけど。自宅警備よ」

 父親は立ち眩みを起こしたかのようによろめいた。

「……それを世間では引き籠もりと呼ぶ。まさか、私が社長だから将来は安泰あんたいとでも思っているのか?」

「考えたこともないわ。それと警備の仕事を甘く見過ぎね」

 反論しようとした父親を手で制した。

「警備だからって物々しいと息苦しくなるわ。生活の中に溶け込んだ状態で安全を守るのが、真のプロってもんでしょ」

 娘は片方の膝をぴしゃりと叩いた。得意気な顔を父親に見せ付ける。

「いや、もういい。お前の考えはよくわかった。父さんが頑張って会社を大きくするよ」

 悲しそうな顔で笑うと父親は丸い背中で部屋を出ていった。残された娘は大きく伸びをした。

「無理解な親を持つと苦労するわ」

 娘はベッドから下りた。ポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。

「定期連絡の時間ね」

 部屋のドアに鍵を掛けた。その足で木目の美しい箪笥たんすへと向かう。上から二番目の抽斗ひきだしを引っ張り出し、半回転させて押し込んだ。

 微かな振動のあと、箪笥毎、床に沈み込んだ。空いた穴からは銀色の箱のような物体が迫り上がる。観音開きのドアが開くと娘は躊躇なく乗り込んだ。壁にある操作盤の『B5』を速やかに押した。

 ひっそりと地下に降りた。通路を歩くと反応して明かりが点く。突き当たりのメタリックな扉の前で生体認証を済ませると全貌ぜんぼうが明らかとなった。

 一目では数え切れないモニター画面が一面に整然と並ぶ。

「自宅警備員の皆さん、おはようございます。定期連絡の時間です」

 娘の一言で全ての画像が切り替わる。首回りの緩いTシャツや毛玉のできたニットワンピースを着た年齢不詳の男女が映し出された。

「こちら大山支部の横山です。庭を巡回していたナノマシーンのコオロギが故障しました。新しい物を支給してください。それ以外に異常はありません」

「わかりました。開発部に連絡して新しい物を用意します」

 澱みない遣り取りが続いた。全員の報告を聞き終えると娘は笑みを浮かべた。臙脂色のジャージ姿で胸を張る。

「皆さんの働きに感謝します。今後も自宅警備員の誇りを胸に、生活に溶け込んだ活躍を大いに期待しています」

 画面越しに盛大な拍手が送られた。


 娘は部屋に戻るとベッドに寝転がった。文庫本を開き、時に尻を掻きながら自宅警備に努めるのだった。

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