第5話 痛むのは、私の心。

目が覚めたら、私の痛みはなくなっていた。


柊花は薄く瞼を開けた。真白い天井、真白い壁。カーテンも音も、香りもすべてが真白に染まっていた。

「…?」

ゆっくりと呼吸をしてみる。

―…ここはどこだろう。何故、誰もいないのだろう。私の、大切な人たちは?

目が覚めて、ベッドにたった一人きり。

死にたい。

いつしか、そう思うことが自然になってしまった。

偶然に目にした、洋服のベルト。柊花はベルトを首に巻いた。そして、徐々に力を込めていく。ぎり、と首の柔肌を締め付けていく。心臓の音が大きく、目の前がちかちかと点滅していくような感覚。寝転んだベッドのシーツに皺が集まっていく。

「…は…っ、」


「柊花?起きたの?」


突然扉が開き、そこに文乃が顔を覗かせた。

「…!?」

柊花が大きく咳き込むのを聞いて、文乃が心配そうに駆け寄った。

「どうしたの!?柊花、」

そして文乃は気付く。柊花の首の痣に。

「…今、何してたの。」

「…。」

文乃は柊花の首にそっと触れる。労わるように痣をなぞった。柊花は呼吸の息苦しさからなった涙目で、文乃を見つめた。

「もう一度、聞くけど。今、何してたの?」

「…独りが怖かったの。」

ポトン、とバスタブに落ちる水滴のように些細な一滴の言葉。だがそれは表面張力を破るには十分な一滴だった。言葉が、感情が、心が溢れていく。

「文乃。お願い、傍にいて。私が死のうとしたら、止めて。」

無感情だった瞳に涙が浮かび、やがてぽろぽろと頬を伝って零れた。肩が震えている。心にほんの少しの風が吹くだけで酷く痛む。

文乃は傍らに落ちたベルトをベッドの下に投げ捨てると、柊花を強く抱きしめた。そして柔らかい髪の毛に、顔を埋める。

「ごめんね、柊花。もう離れないから。あなたを絶対に死なせたりなんてしない。」

僅かにくぐもった声が柊花の鼓膜に直接響いた。柊花が自殺を図ったのはこれが初めてではない。



あれは痛みを失くした直後の頃だったと思う。

「柊花…?私、文乃だけど…。」

いつ話しかけても、返事は帰ってこなかった。文乃はそれでも、扉に向かって話しかけた。

学校の授業の事や部活の事。傍から見れば、他愛もないことばかりを話し続けた。


文乃は無理にでも明るい声で柊花に声をかけた。返事は返ってこないものだと思っていたら、今日は扉がほんのわずか開いた。嬉しかった。だけれどそれは、全てが杞憂に終わる。隙間から柊花の顔が垣間見え、文乃は一瞬動けなくなった。


無表情。


何の感情も見られない顔だった。

「文乃…?」

「あ…柊花、あの。」

言いたいことは沢山あったはずなのに、全て消え去ったかのように言葉にならなかった。

「…久しぶりだね。」

「うん。」

「部屋の中…、入ってもいい?」

「…。」

数秒の沈黙の後、柊花は扉を開けた。

「どうぞ。」

「あ、ありがと。」

文乃が入ると、カーテンは閉められて暗く、そこは以前の部屋とは思えないほど荒れていた。本も、制服も、ペンや時計のような小物は壊れていた。

「見苦しくてごめんね。」

柊花は淡々としていた。でもよく見ると、腕や首。頬にも引っ掻いたような傷が散っていた。それは苦しみ全てをぶちまけたかのように、幾重にも重なっていた。

「気持ち悪いかな。」

「…え…。」

先に沈黙を破ったのは柊花だった。

「私は気持ち悪いよ。」

柊花は笑っていた。

「痛くないの。不思議だよねえ。」

そう言って、床に落ちていた小物ケースのガラス片を拾いあげる。カーテンから洩れる家の前の街灯の光が差して、きらりと光った。そしてその鋭利な切っ先を手首に向け肌を傷付けた。その戸惑いのない動作に、文乃は悲鳴を上げた。

「やめてっ!柊花!!」

ガラス片を握って奪う。それは文乃の掌にも深く食い込んだ。

「文乃、痛いでしょ?やめなよ、」

「痛いよ、バカ!!」

二人の血に染まったガラス片を部屋の隅に投げ捨て、文乃は柊花を抱き締めた。

「痛いに決まってるじゃん。それは柊花も気付いてないだけで同じことなの。だから、もうやめて!」

文乃は泣いていた。わんわんと声を上げて、幼子のように。その様子を柊花は戸惑いながら見つめた。そして、おずおずと文乃の背に手を添えた。

「ごめんね、文乃。」

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WORLD END. 真崎いみ @alio0717

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