第4話 光を紡ぐ者。
蝶々夫人は、アメリカ海軍士官に見初められ嫁ぐところからストーリーが始まる。
文乃が氷上で花が開くかのように、ゆっくりと瞼を開けた。そして滑り出す。リンクを縦横無尽に広く使い、舞台はまるで青く果てしなく広がる海のようだった。
結婚は海軍士官にとって、ただの戯れ。蝶々夫人は赴任先の妻に過ぎず、任期を終えると彼女を置いて国へと帰ってしまった。
夫の愛を信じ続け、その愛を以て3年もの間、蝶々夫人は子を身籠りながら待ち続けるのだ。
文乃の下に広がる氷は、海軍士官と蝶々夫人を隔てる海。華麗な連続スピンは十五だった蝶々夫人を、十八の若い母親になるまでの時間を刻ませるようだった。健気に待ち続ける蝶々夫人を、文乃は感情豊かに演じた。
柊花は文乃の演技をずっと見つめていた。文乃は、柊花にとって柔らかな光だ。
フュギュア・スケートは柊花にとって、才能と上手く一致した産物だ。誰よりも早く滑りの勘を得て、練習さえすればどこまでも高く飛べた。上手くジャンプを決められると嬉しくて、気持ちよかった、だが、どこにでも妬みや嫉妬は生まれる。
『もうそんなに滑れるんだから、私の気持ちはわからないよ。』
わかるわけもないし、わかりたくなかった。氷上で気持ちをわかってほしいのなら、表現をしてから言え。中途半端な滑りをして、甘えるな。
心が荒んだことがあった。才能が疎ましく感じたこともあった。
初めて文乃に出会ったときのことだった。
「あなたの才能があったら、世界はすごく美しく見えるんだろうね。」
まるで自分を神さまみたいに見つめ、キラキラと目を輝かせた。その瞳を濁らせたくなくて、柊花はこの氷上であがくことを決意した。
今まで氷上では奇異な視線しか感じたことがなくて、思わず聞いたことがある。
「文乃は、私に嫉妬しないの?」
とんでもなく傲慢に聞こえる質問を、文乃は不思議そうな表情をして答えてくれた。
「嫉妬は、対等な人とじゃないと沸かないんだよ。」
「…私と文乃は対等じゃないの?」
文乃はいたずらっ子のように笑った。
「どう思う?」
「質問に質問で返さないでよ。」
視線を逸らそうとして、文乃に頬を両手で包まれた。そして前を向くように、固定される。
「今は対等じゃない。でも、私はすぐに追いつく。待ってて。追い越しちゃうから。」
突き刺すような光ばかりだった世界に、柔く温かい光が満ちた。その光が、文乃だ。
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