ワルツ・ワルツ・ワルツ

フカイ

掌編(読み切り)




ヨハン・シュトラウス二世の『ブルー・ドナウ:美しく青きドナウ』はオーストリアの国民にとっては国歌のように大切にされている音楽であるという。欧州の中心にあって、中世からの古い歴史を持つこの国は、その地勢的状況から何度も他国・異民族に蹂躙されてきた。


『ブルー・ドナウ』は、そもそもオーストリア皇帝の園遊会のために作られた作品であるが、その美しい旋律と、魂を鼓舞するような三拍子のリズムは、そもそもの目的を離れ、オーストリア国民の民族意識を高めるために繰り返し繰り返し演奏されてきた。


そんなシュトラウスの名作が、新たな解釈を与えられ、世界にもう一度燦然と輝いたのは、2001年の宇宙空間においてであった。


スタンリー・キューブリック。


その前世紀最後の天才映画監督は、『2001:a space odyssey(2001年宇宙の旅)』の撮影期間中、ずっと、カラヤン指揮、ベルリン・フィル演奏のこの『ブルー・ドナウ』をスタジオにかけ続けていた。この曲の持つ雄大なヴィジョンと、魂の深淵をふるわすような力を、自分の映画に取り入れたかったのだという。


キューブリックは、この壮大な人類の叙事詩映画を『言語的理解を廃した映像体験』と呼んでいる。説明的な科白や展開を省き、いわゆる物語というものを一切排除した映画。


この「言葉(言語)」でしか語りようのない物語は、それ故に彼にとっては、頭脳でしか理解され得ない表現手段だった。キューブリックにはそれが許せなかった。彼の手にはムーヴィー・キャメラと音楽があり、そのどちらもが、いわゆる「言葉」とは別のメディアだった。「言葉」=「頭脳」から離れたところで、彼には語るべきテーマがあった。


そして映画は完成する。


多くの批評家は、「難解である」とこの映画を位置づけ、もっぱらその特殊撮影の技術的側面を賞賛した。


その公開から60年ちかい時間が過ぎた。現実の2001年はとおに過ぎ去った。まるで無彩色のコマ落としフィルムのように味気なく。


映画の中で、真空の宇宙空間を「オリオン号」と名付けられた優雅なスペースシャトルが、ラグランジェポイント(月と地球の重力の均衝点)に浮かぶ、宇宙ステーションに接近するシーンがある。


両者は同じように回転運動を行いながら、ゆっくりと接近してゆく(その回転運動は、宇宙ステーションの機体内部に、遠心力による擬似重力を発生させるためだ)。ステーションにドッキングしようとしているオリオン号は、ステーションと等速回転しないとその細いランディング・ゲートに進入できないのだ。


真空のため、全く音のない宇宙空間。そのなかで、巨大な青い地球をバックグラウンドに、まるで白鳥のように優美なオリオン号と、白いドーナツのようなステーションが、互いにゆるやかに回転しながら接近してゆく。


―――『ブルー・ドナウ』を聴きながら。


その、ため息の出るような美しい情景は、もはや言語的理解を超えている。実際に70m/mのシネマスコープフィルムで、圧倒的な大画面でこれをみると、その美しさに呆気にとられ、本当に息をすることを忘れてしまう。


そして、気がつく。


美の根元とは、に圧倒的なのだと。人間存在など如何に瑣末なものなのかを、キューブリックは教えてくれる。


後に、キューブリックは語っている。


ワルツ。円舞と呼ばれるこのダンスにふさわしい音楽は、どのような状況に於いても回転運動を求めるのだ、と。


その回転運動体が、例えスペースシャトルと宇宙ステーションであっても、そこにワルツがかかれば、運動体と音楽はシンクロし、えもいわれぬ調和ハーモナイズが起こるのだ、と。それは神の持つ美しさなのだ、と。


そういえば、中近東のある宗教では、白いロングスカートをはいた男たちが、夜を忘れて踊り続ける。リズムに合わせてくるくると回りながら。その中で彼らは自我を捨て、ある種のトランス状態に入って、神に近づくのだという。


そして我々日本人も、ある夏の晩、集まっては円を組み、伝統的な踊りを舞いながら、先祖を迎える。


我々の住む惑星は常に回転運動を行っており、そしてこの地球自体も太陽の周りを延々と回り続けている。そして、太陽系さえも大銀河の大いなる軌道上を回っているのだ。


回ること。

それは、宇宙の真理に通ずる小径なのかもしれない。


ワルツ・ワルツ・ワルツ。


ヨハンはきっとそのことを知っていたに違いない。

彼の奏でる交響曲はどれも高貴で繊細でありながら、同時に悪魔的デーモニッシュな魅力を秘めて、人をとりこにするのだ。それはきっと、遥かな未来世紀においても変わることはないだろう。







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