第3話

板橋区、某所。3階建てのアパートの2階、角部屋。そこに、大柄な男たちが出入りしている。背中には警視庁の文字を背負いながら、行ったり来たりを繰り返す。マンションの一階部分にはブルーシートが張られ、押し寄せているマスメディアや野次馬の目から、とある個所を覆っていた。

そんな中へ、一つの車が入る。規制線を手帳を見せて通り過ぎ、車をマンションの近くへ止めた。スーツに身を包んだ男がひとり、運転席から降りる。

「まったく、バイクで来れないってのはなんだかなァ」

ひとりごちながら、男――新島一秀は階段をトントンと警戒に登っていく。「201号室」のドアの前で制服警官に敬礼すると、白手袋をはめながら中へと入っていった。中には、見知った広い背中がある。少しよれたスーツ、ぼさぼさの髪。彼の上司だ。

「倉さん、お疲れ様っす」

「おう、新島。お疲れ。また事件か。どうなってんだこの国は」

「毎回言ってますよねそれ」

新島は、上司の倉谷にけたけた笑ってみせる。まるで事件現場とは思えない気楽さは、彼らの職業病ともいえるだろう。現場は女性の部屋だった。あまり女っけはないが、特有の「匂い」がする。女の匂いだ。新島は現場を見まわしながら、ふと思い出したように背中側にいる倉谷へ声をかけた。

「あ、そういえば、今日新人来るって知ってました?」

「新人?」

「組対から移動になったやつっすよ。倉さん、指導担当デショ」

「だるいなおい……。その新人、どこにいるって?」

「さあ」

明らかに面倒そうな倉谷の言葉に内心くつくつと笑いながら、新島は肩をすくめる。実のところ、倉谷班にはしばらくの間新人が入ってきていない。ふつう、捜査一課の刑事は1個班10人程度で編成されている。だが、二人にとって生来の面倒くささと、昨今の人手不足も伴って、倉谷班には今、三人しか在籍していない。ちなみに、最後の一人は年がら年中所轄を飛び回っている仕事熱心な藤槙凌である。

倉谷と新島は、ずいぶん長い間二人で捜査を担当している。本来であれば良好なパートナーシップが築かれていてしかりだが、両人ともある種「諦観」的な人間であるが故、お互いの行動にはほとんど干渉しない。倉谷は大きくため息をこぼした。

「新島お前なあ」

「お呼びですか?!」

新島に文句の一つでもと開いた口は、二人の背後からそれを大きくしのぐ大声でかけられた声にその先を失った。二人は反射的に腰に手をやりながら――そこには拳銃があるわけだが――振り返った。

そこには、背の高い男が立っていた。ルックスはあまり刑事には見えない甘めのそれ。はっきりと響くテノールの声は刑事よりも医者や教師のほうが向いていそうだ。しかしここにいるということは、そう、おそらくは。

「び……っくりしただろうが馬鹿!」

「すいません」

「お前が新人の、名前なんだっけ」

「はっ。安西千秋、二十八歳であります!」

二十八。新島と倉谷は心の中で同時に同じことを思った。若い。キャリアだろうか、と思いいたって、倉谷はさらに面倒さを感じて顎を掻いた。

「ふーん。俺、倉谷総一郎」

「新島一秀」

「よろしくお願いします」

律儀に礼をする安西を見もせず、倉谷と新島は被害者のほうへと足を向けた。新島はベッドの上で亡くなっている女性に一度手を合わせると、にっこりと笑顔を浮かべて倉谷と安西のほうを振り返った。

「んじゃ、俺は別現場行くんで、こっちは倉さんと千秋チャンに任せますンで~。よろしくっす~!」

止める間もなく、彼は外へと出ていった。残されたあっけにとられている安西は、はっと意識を戻すと今かけられた言葉に眉をひそめた。

「ちゃん……?!」

「まったくあいつは……。んじゃ、よろしくな安西」

「……はい!」

いつものこと、と、さほどの興味もなさそうに倉谷は言う。被害者は、ベッドの上に眠るように寝かされていた。安西と倉谷も手を合わせ、鑑識作業の終わった遺体を見ながら倉谷が安西へ声をかける。

「で、現場の状況は」

「あ、ハイ。被害者は玖村真理、二十八歳。職業はホステス、勤務先はクラブアルカディアという名前のキャバクラだったようですけど、最近は長期で休んでいたようです。一人暮らし。死因は首を絞められたことによる窒息死。死亡推定時刻はついさっき。本日の十三時から十四時の間です」

「凶器は」

「えっと、鑑識の報告によれば、索状痕からして、素手で絞められたようだと」

「ほお? それにしては随分綺麗に寝かされてんな。吉川線はないし、暴行の痕跡も、ないようだが。抵抗できなかったってことか。物取りか?」

「財布や貴金属がないようですので、その線が濃厚かと」

彼女――玖村真理は、たおやかな茶髪をベッドに横たえ、シルクのピンク色のパジャマの乱れもほとんどない。気になることと言えば、この部屋には多くのひも状のもの――ベルトだの、リボンだの、引っ越し用らしき紐だの――があるのに、凶器を使わず素手で締められているということだった。

そして、彼女の遺体は明らかに死後、「寝かされている」ように見えた。

携帯電話の着信音が、二人の耳に届いた。倉谷のものだ。ポケットから取り出し、耳へあてる。

「倉谷」

『新島です』

「なんだよ」

『そっちのヤマ、近くの公園で不審者の男性を確保しました。金品を所持しているようです。来てもらえます?』

「あー、了解」

また盛大な溜息をこぼして、倉谷は立ち上がる。その様子に、安西は小さく首をかしげた。

「新情報ですか」

「ってーか、犯人が逮捕されたってよ」

「えっ?!」

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リラの咲くころ 仲野識 @shikinakano

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