虚弱き翼にも夢がある (2)
<前回のあらすじ>
本編より3年前の大陸新暦305年2月。“境界都市”テルミナを“霧の街”ジーズドルフ軍による大規模侵攻が襲った。
ジーズドルフ軍の百騎長として参戦した“月白の
虜囚となった彼女の元に世話係として現れたのは、ガルーダウィークリングの少年スイだった。
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「何ですか?これは」
スイに渡されたモノをじっと見つめて、クラリーチェは顔をしかめた。
彼女が両手で広げたのは露出度の高い、きわどく煽情的な衣装だった。水着か下着と言っても良いくらいの。
「えっと・・・・・・ドレイクの正装・・・・・・じゃないの?」
クラリーチェの顔色をうかがうように少年はたずねた。その表情には期待の色が見え隠れしている。
「そんなわけありません」
ぴしゃりと元女男爵は答えた。
(まあ、こういう衣装を好まれる方も少なくはないのですが・・・・・・)
リプレイ『聖戦士物語』『with BRAVE』のレーシィや小説『蛮王の烙印』のミルヴァがそれに該当する。ドレイクの中でも特に真面目な性格と思われる彼女たちがそういう衣装をしているのだから、正装というのはともかくとして露出度の高い衣装もドレイク社会ではさほどおかしくはないのかもしれない。それに肩や背中を露出しているのはー普通のドレイクは服を着るのに翼が邪魔になるー合理的ですらある。腹や脚を露出する理由にはできないが。
「どなたがそんな事をおっしゃったのですか?」
「エディン先輩。魔動機文明期の文献だとそうなってるって」
困った先輩も居たものですね。クラリーチェはため息をついた。
「それはそういう娯楽作品です」
魔動機文明期、特に末期では蛮族の脅威など遠い昔の概念となっていたが、それゆえに娯楽作品の題材として好んで用いられた。
特にドレイクは美形の悪役として重宝され、時には主役たる英雄に勝るほどの人気があったようだ。何しろ、紙の上の蛮族は読者を殺したり奴隷にしたりはしないのだから。学者の中には、このような娯楽作品は蛮族が人族からの警戒心を弱めるために広めたプロパガンダの一環だったのではないかと唱える者すらいる(エディンはそれは考えすぎだと思っているし、クラリーチェもそんな話は聞いた事もない)。そういう娯楽作品の挿し絵では、ドレイクの女性は(時には男性も)セクシーな服装で描かれることが常であった。
「殿方向けの作品であれば特に。そういうものでしょう?」
「そっか・・・・・・」
あからさまにがっかりした様子のスイを見ると、なぜかクラリーチェの心にふつふつと怒りが湧いた。
「いけません。そんなことでは」
「?」
きょとんとした少年に向かい、クラリーチェはまるで説教をするように言った。
「あなたは、私にこれを着て欲しいのでしょう?」
「んーと、そりゃ、まあね」
クラリーチェの顔と衣装の間を視線を往復させて、頬を紅くしながら少年が言った。
「ならば、私を殴りつけてでも言う事を聞かせるべきです」
バルバロス社会では強者こそ正しい。どんなに無茶苦茶な要求でも強者がああしろこうしろと言えば弱者は従うしかないのだ。
「えー・・・・・・」
スイは困惑した顔をクラリーチェに向けた。
「バルバロスとはそういうものです。まあ・・・・・・」
きっぱりと言ったあと、クラリーチェは口調を和らげた。
「私よりずっと強いなら、殴りつけるまでもないですが」
スイはすっかりしょぼくれた表情をして、言った。
「・・・・・・例えば、ヤーハッカゼッシュとか?」
「もちろんです。あ、でも」なぜか弁明しなければいけない気分になりながら、クラリーチェは続けた。
「私がヤーハッカゼッシュ様とそういう関係というわけではありませんよ。美しいモノを愛でるだけなら人族の奴隷で十分ですし、逆に対等な関係としては女男爵だった私ごときでは決して釣り合いません」
「そっか・・・・・・そうなんだ」
露骨なまでにうれしそうな顔をするウィークリングの少年に、クラリーチェは微笑ましさすら覚えた。まったくこの子ときたら。ヤーハッカゼッシュ様さえライバルでなければ私を落とせるとでも思っているのだろうか?
「もしもの話、ですよ?あなたが私を打ち負かせるほど強くなったなら」
水着っぽい例の衣装を自身の胸に押しつけて、クラリーチェは悪戯っぽく笑った。
「この衣装、着てあげてもいいですよ」
「・・・・・・ホント?」
「いいですとも」
実のところ、クラリーチェは少年を対等な存在とはこれっぽっちも思っていなかった。一応、自ら戦う意志と術を持つ戦士である事は認めてはいたが、今のスイの実力はボガードや人族の一般兵士よりは強い、という程度のものでしかない。魔剣を失ったとは言え元ドレイクバロネスであるクラリーチェとは格が違いすぎた。
「わかった!クラリーチェに勝てるようになるまで頑張るよ」
「精進なさい。期待していますよ」
クラリーチェにしてみれば、成人女性が小学生の男子に『オレと結婚しようぜ』と言われるようなもの。微笑ましいとは思えど、本気にするわけがなかった。
「ところで・・・・・・何故この服を?」
「あ、ごめん・・・・・・えっと」
「全く、そこからまず説明しないかい」
声の主と思しき、ダークドワーフの女性がドアの影からひょこりと顔を出した。
「あ、母さん」
「お母様?」
確か、ガルーダウィークリングであるスイは、実母を殺した冒険者に拾われたと聞いたが。
「ロンバルディーニ卿。スイの養母のデューネ・ガルドナにございます」
丁寧な礼をしたデューネに、クラリーチェも答礼した。
「初めまして。御子息にはお世話になっております」
「ウチの馬鹿息子が、お世話どころか御迷惑をかけているんじゃないかと」
デューネはクラリーチェの持っている例の衣装にチラリと目をやった。
「いえ、そんなことは・・・・・・まあ」
・・・・・・たまに?とクラリーチェが苦笑して言うと、スイの母は笑って頭を下げた。
「ロンバルディーニ卿。ネリス・ヘルシェル議長がお会いしたいと」
「なるほど、それで正装ですか。しかし・・・・・・」
囚人服のまま面会も問題だが、スイの例の衣装はもっと問題だと女男爵は思った。
「私がちゃんとしたお召し物をお持ちしました。お手伝いしますよ」
本来のドレイクは、大きな翼が邪魔になるので普通の人族用の服は着られない。多くの場合、紐で引っかけたりボタンやベルトで留めるため、一人で着るのは難儀する。
しかし生来の魔剣を失った状態のクラリーチェは翼がかなり萎縮してしまっているので、人族用の服でも着られなくはない。実際、虜囚としての服はそれだ。だが、デューネはあえて普通のドレイク用の服を持ってきたようだ。
「お心遣い感謝します。・・・・・・スイ?」
何か期待している風のスイに向かって咳払いをするクラリーチェ。
「スイ。あんたはとっとと外に出て、待ってな」
「ちぇっ」
少年は肩をすくめると、そそくさと出て行った。
「ごめんなさい。思ったよりあなたのお友達が頑張っていたものだから」
「いいえ。お招きいただき感謝します」
元女男爵はテルミナ議長に一礼した。誰であれ、強者には敬意を払うべきだ。特に、自分を苦もなく打ちのめした相手には。
クラリーチェが捕縛され、魔剣を没収されてから一ヶ月が経過していた。初日の戦闘で痛撃を与えたにもかかわらず、ジーズドルフ軍は退く事なく果敢な突撃を繰り返してきたという。それもようやく撤退したため、議長は捕虜との面会を考えたのだった。
「さ、楽にして」
ネリスがベンチに腰掛けると、クラリーチェも向かいのベンチに腰を下ろした。議長が二人の間にあるテーブルの上で、カップに紅茶を注ぐのを見ながらクラリーチェはたずねた。
「それで・・・・・・私はいつ処刑されるのです?」
そう言いつつも、議長に自分を処刑する気はなさそうだとクラリーチェは感じていた。何しろ、牢から出されたのに手錠すらかけられないのだから。
そして呼び出された先は、市庁舎裏の庭園の四阿。庭園の柵は人族の子供ですら乗り越えられそうで、さあ逃げ出してくれと言わんばかりだ。
クラリーチェの事情からして逃げ出してもジーズドルフには帰れないと踏んでいるのか、それとも逃亡を図ってもすぐに拘束か抹殺できるという自信か。あるいは両方か。
「どうしても、って言うんじゃない限りはしないわよ。別に、無意味な殺戮をしたわけじゃなし」
「・・・・・・そうですか」
テルミナに攻め入ったのは無意味な殺戮ではないのだろうか。
「では・・・・・・?」
「捕虜交換はどう?貴女の格からすれば、大した人数を取り戻せると思うのだけど」
議長の提案に、クラリーチェは顔をしかめた。
バルバロスに『生きて虜囚の辱めを受けず』などという思想はない。いや、トロール族あたりならば捕虜になる前に自害するかもしれないが。
まあ、人蛮の戦いにおいては、人族は捕虜にすれば奴隷にできるため追い詰められた人族が捕虜に甘んじることはよくあるものの、その逆はあまりない。捕虜の蛮族などせいぜい拷問して情報を聞き出して殺してしまうのがほとんどだ。
「・・・・・・それだけは」
「イヤ?」
「嫌・・・・・・というより」クラリーチェは渡されたカップに視線を落とした。
「ヤーハッカゼッシュ様は私ごときに価値を見い出さないと思います」
「そうかしら?」
議長は紅茶をすすると、言った。
「男爵級のドレイクといえばひとかどの戦力でしょ」
「戦の初日で罠にかかって捕虜になるような愚か者でも、ですか?」
「気にしない気にしない。それが若さってものじゃない?」
ネリスは朗らかに笑った。嘲笑するような笑いではなく、温かみのある笑い。
「私たちだって、若い頃はいろいろやらかしたわ。どうかしたらそのまま死んでた」
「ドレイクの場合、本来二度目はありませんから」
「そういう考えもあるか」
人族や、比較的穢れの少ないバルバロス(コボルドやラミアなど)であれば、殺されても(必要な部位さえ残っていれば)数回は蘇生が可能だ。
しかし、魔剣のあるドレイクであれば穢れが溜まりすぎて蘇生を試みてもアンデッドになってしまう。物事には何事にも例外というものがあるにはあるが。
「だったら、第三の選択肢はどう?」
「・・・・・・それは?」
続く議長の言葉に、クラリーチェは目を丸くした。
「テルミナ市民になるってのはどう?」
「・・・・・・本気ですか」
「来る者は拒まず、よ。ウチには、ジーズドルフ出身のバルバロスなんて掃いて捨てるほどいるわ。それに」
「それに?」
「さすがに今すぐ、というわけにはいかないけど。魔剣を返してあげてもいいわ」
「・・・・・・正気ですか?」
クラリーチェは思わず議長の正気までも疑ってしまった。
「正気よ。何のために守りの剣を使用してないと思ってるの」
「・・・・・・それとこれとは話が違うと思います」
ひょっとして、これは『あんたごときがいくら暴れようが、秒殺してやる』という遠回しの脅しなのではなかろうか。
「まあ、魔剣は話半分としても、その前の提案はどう?」
「・・・・・・提案ですか」
「あら、命令のほうがよかった?」
「無礼を承知で申し上げますが、貴女でもヤーハッカゼッシュ様に勝てるとは思えません」
バルバロス同士の覇権争いであれば、負けた戦士が勝者に降るのは珍しいことではない。クラリーチェも、この時点でネリスの軍門に降っても恥ずべき事ではなかった。
だが、彼女は原則に忠実だった。彼女自身が負けても主君は負けたわけではない。もしも主君すらネリスに敗れるようなら、屈しても仕方がないというところだ。
「厳格ね。まあ、保留と受け取っておくわ」
ネリスはクスリと笑った。
「・・・・・・保留、ですか」
「あなたは、千年も生きるんだし。しばらくゆっくり自分を見つめ直してみるのもいいと思うわ」
クラリーチェは、牢から小さな宿舎に部屋を移された。
「監禁から軟禁に変更・・・・・・というところですか」
ひとりごちて椅子に座ると、部屋の掃除を終えたスイが声を掛けてきた。
「これからしばらくは母さんが毎日来るから、何か必要なら、母さんに言って」
「どういうことです?」
「明日から俺、出かけるんだ」
「冒険者になる、だそうですよ」またはじまった、と言わんばかりのデューネ。
「・・・・・・」
クラリーチェは非常にいたたまれない気持ちになった。
「申し訳ございません、私が余計な事を・・・・・・」
平謝りする女男爵に、デューネはひらひらと手を振った。
「いえいえ、冒険者には一度ぐらいなっとくべきじゃあるんでさ、この街じゃ」
「しかし・・・・・・」
「しっかり手綱を握れる奴に頼んであります。まあ、とはいえ」
ダークドワーフの女性は肩をすくめた。
「望みが叶う前に、馬鹿息子は音を上げると見ますがね」
以前にも述べたとおり、ほとんどの人族はLv5か7くらいで伸び悩んでしまう。ウィークリングであるスイもおそらくはその辺で伸び悩んでしまうに違いない。
そうなるだろうと、思われた。
(つづく)
境界都市の半蛮族 碧野氷 @aonoao_83
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