これは夢の中の話。


1人の婦人が大きな屋敷の縁側に座っていた。

白髪を後ろにまとめ上げ、かわいらしい帽子をかぶっている。

時おり吹く風は冷たく、コート、ファーマフラー、手袋などをして、しっかりと防寒していた。

婦人は庭を眺めていた。



庭は煉瓦のブロックで10の区画に区分けされていた。手前の5区画のうち、左から2、3、5番目の区画には玉砂利が敷き詰められており、枯山水のように模様が描かれている。

残りの1、4番目の区画には小高く土が盛られており、それを覆う苔によって小さな丘をなしていた。


後列には、それぞれの区画に収まるようにして岩が大小合わせて7、8つくらい並んでいた。

特に中央には一際 目立つ大きな縦長の岩がその存在感を示している。

空いたスペースには前列と同様にして、左から1、2、4番目には玉砂利の模様が、3、5番目には苔が生い茂っていた。

岩の後ろは瓦屋根の漆喰塀で囲まれており、その向こうには竹林が顔を覗かせている。


真ん中のいちばん大きな岩と、いちばん右の区画にある2番目に大きな岩の上にも苔が生えている。

そして、それぞれの岩の上にはほのかに雪化粧が施されていた。

岩の脇からは彼岸花が伸びており、緑と白、灰色の世界に赤い華を添えていた。


だが、不思議だ。

彼岸花は9月頃に咲く花であり、今は1月の下旬である。

本来なら花が咲くはずもない。

しかも、この1週間 雪は1度も降っておらず、岩の上に雪が積もることもありえない光景であった。

(本当、不思議よね)

(あの人があちら側の仕事をしてるからかしら)

(きっと少し影響を受けてるのね)

(まさか、都内にこんな場所があるなんてね)

婦人は庭のおかしなところに気づきつつも、特に気にすることはなく、庭の景色を楽しんでいた。



「お待たせしました。」

不意に右手の後方から女性の声がした。

その声に振り返ると、この屋敷の手伝いが控えていた。

着物に身を包み、頭に手ぬぐいを巻いている。

年齢は20代くらいに見える。

(たぶん、わたしよりも年上なのよねぇ)

そう思いつつ、婦人は手伝いに向き直った。

「急がせちゃったかしら?

ごめんなさいね。」

婦人の謝辞に手伝いは答える。

「いえ、こちらこそお待たせしてしまい、申し訳ありません。」

「いいのいいの。

さ、行きましょう。」

そう言いつつ、婦人は立ち上がった。

「どうぞ、こちらです。」

婦人は手伝いのあとをついていった。



先ほど婦人がいた場所は母屋である。

縁側から渡り廊下を通り、離れへと向かう。

襖を2つ、3つ開けてもらいながら奥へと進むと、目的の人物がいた。

婦人を屋敷へと招いた、この館の主人である。

手伝いは婦人から帽子、コート、マフラー、手袋を受けとると、一礼してから退室していった。


主人は女性だった。

切れ長の瞳が凛々しい印象を与える。

ウェーブのかかった黒髪をざっくばらんに後ろへまとめ上げ、花魁が着るような派手な着物を着崩していた。

あぐらを崩し、片足を立てた体勢で座り、巻物に筆を走らせている。

畳の部屋は適度な温度が保たれており、寒く感じることはない。

明かりはついておらず、女主人の手元にある燭台だけが部屋を照らしていた。


女主人はちらと婦人を見ると、視線を巻物へと戻し、手を動かしながら口を開いた。

「すまない。

先ほど終わらせたんだが、間違いを見つけてしまってな。

もう少しかかりそうなんだ。

オレが呼んだのに、悪いな。」

はっきりとした口調で婦人に話しかけた。


女主人は、ずっと昔から魂の管理に関する記録の手伝いをしている。

婦人はそのことを知っており、今している記帳も、それに関わることなのだろうと察していた。

女主人から、この世では嗅いだことのない、心地のよい香りが漂ってくる。


「大丈夫よ、気にしないで。」

婦人は全く気にとめていなかった。

むしろ、いつも完璧主義のような雰囲気を出しているこの主人の、意外な一面を見れて嬉しく思っていた。

女主人に慌てた様子はないが、正確に素早く筆を動かしていく。

「もう少しで終わる。

少し待っててくれ。」

「ええ、わかったわ。」



女主人の様子を見ながら、婦人は昔のことを思い出していた。

初めて会ったのは20歳前後だっただろうか。

当時の女主人の顔は、今でもはっきりと覚えている。

それもそのはず。

当時も今と変わらず、女主人は20代後半のような若々しい顔をしていた。

(あれから約50年か…)

(わたしはすっかりおばあちゃんになっちゃったわね)

(年をとるわけよね…)

そんなことを考えていると…。

「おい。」

不意に女主人から声をかけられた。

気がつくと、女主人は記帳が終わったらしく、まっすぐ婦人を見ていた。

女主人の後ろでは、先ほどとは別の手伝いが巻物をまとめていく。

「そんなつまらないことを考えるなよ。」

手伝いが巻物を持って退室すると同時に、女主人は少し悲しそうにしながら切り出した。


(あら、考えが顔に出てたかしら?)

「ごめんなさいね。

でも、あなたと知り合ってからの時間は、わたしの中ではとても長いものよ。

あなたにとっては少しの間かもしれないけれど。」

婦人はやんわりとした雰囲気で答えた。

「いや、オレも300年弱しか生きていない。

オレも君という友人はかけがえのないものだ。」

女主人は、自身の感情を隠すことなく伝えた。

「ありがとう。

わたしも、あなたはかけがえのない友人よ。」

女主人の気持ちを嬉しく思い、婦人は素直に返礼する。

その様子を見ながら女主人は少し考え込んだ。

やがて、ためらうようにして婦人に話し始めた。


「オレも、元は人間だ。

いや、今も人間のままだ。

ここの連中だって長生きしてるが人間だ。

大半の人が、人間は80年くらいが人生だと考えているがそうじゃない。

もっと長く生きることもできる。

その事実を知っていることと、その覚悟があれば人はいつまでも生きていられるんだ。

なあ、君は既にオレたちという事実を知っているから、あとは覚悟だけなんだ。

オレたちと、もっと一緒に人生を歩んでくれないか?」

その言葉に、婦人の心は跳ね上がった。

(この人は、こんなにもわたしのことを大事に思ってくれているのね)

女主人の気持ちを、婦人はとても嬉しく思った。

(でも…)

「ごめんなさい。

わたしは既に決めているの。

『普通の』人たちと同じように、わたしは寿命を全うしたいと思っているわ。」

朗らかに笑う。

婦人の気持ちは、とうの昔に決まっていた。


「そう、か。」

女主人は、残念そうにしていた。

「一緒に生きてくれる友人が欲しかったんだがな…。」

消え入りそうな声で、そう呟く。

婦人の耳には入っていないようだった。

「わかった。

変なこと言って悪かったな。」

気持ちを切り替えるかのように、女主人の口調はいつもの、はっきりとしたものになった。

「いいえ、大丈夫よ。」

婦人は、少し申し訳なさそうにしていた。


「あらためてようこそ。

久しぶりに会えて嬉しいよ。

ゆっくりしていってくれ。

ウチに客が来ること自体が、すごく久しぶりなんだ。

手伝いの連中も、すごく気合いを入れて料理をしていたぞ。」

そう言いながら、女主人が自ら襖を開けて、婦人を案内していく。

「あら、それは楽しみね。

期待しているわ。」

婦人も楽しそうに応じた。



案内されながら、婦人はたわいもないことを聞いていく。

「あの庭、すごくステキね。

とても素晴らしかったわ。」

「ああ、あの庭で待ってたのか。

いいだろう。

オレの自慢の庭なんだ。

食べ終わったら、また見にいくか?」

庭の景色を思い出しながら、婦人は答えた。

「ええ、ぜひお願いするわ。」

「わかった。

縁側に暖房と机、座布団を用意させておくよ。」

そう言いながら、女主人は歩を進めていく。


いずれ婦人が死んだとき、女主人は婦人の名前を書くのだろうか。

(身勝手だけど、もしそうだとしたら嬉しいわ)

(でも、今は余生を楽しみたい)

(残りが長くても短くても、楽しまなくちゃね)

そのような思いを馳せながら、婦人は女主人のあとをついていくのだった。

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眠旅 明日葉 @akenoha

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