最終話「エピローグ」

「ご無事でお帰りいただき、何よりでございます」

 ペンターシャンの里の長老ダリュースは額を床にこすりつけんばかりに土下座した。

 月の御子のための神殿の奥まった一室。といっても神殿とは名ばかりである。

 さほど広いオアシスではないここペンターシャンの里に壮大な神殿など造れようはずがない。それでも神を奉るのに、こぢんまりとした造りではあるが、それ相応の設えはしてあった。

 月の御子ティナがいつもダリュースと対面する部屋には、今はドーラも同席していた。

 ティナはふたりの目前で立派な玉座に座っていた。すでにベルタムナスに捕らえられていた時の心の痛手は見られず、以前の無表情で人間らしくない顔を彼らに向けていた。

 しかし、おそらくダリュースあたりは、やはり多少以前の彼女とはどこかが、何かが違うと思ったであろう。

 そしてドーラはというと───彼は膝をつくこともせずに突っ立ったままであった。なぜかムスッとした表情をして横を向いている。

 そんな彼に声をかけるティナ。

「ドーラ」

「ドラディオン・ガロスだ」

 ドーラは怒りを抑えた声でそう言った。

「ドーラどの……」

 ダリュースは土下座をしたままでドーラを見上げ、明らかに非難めいた声で呟いた。

「俺をドーラと呼んでいいのはな……」

 ドーラはかまわず、おどかすように歯をむきだして怒鳴った。

「ファーだけだっ!」

 途端にティナの顔が曇った。

 そこへ畳みかけるように怒声を上げるドーラ。

「ファーをどこへ隠した?」

「隠したなどとそんな……」

 ティナに代わってダリュースが言いかける。

「あんたに聞いてない!」

「!」

 ドーラは真っ直ぐティナを見据えた。恐ろしいくらいに真剣な眼差しだ。

「俺は行くぜ」

「それはなりません」

 断固とした口調でティナは言った。

「あなたは予言に歌われた大切なお方……」

「それがどうしたってんだよ」

「ファーのことはもう忘れてください」

「なんだとぉ?」

 ドーラの瞳が凶暴な輝きを見せた。

「この俺にあいつを忘れろっていうのか?」

 ティナの顔は強張っていた。

「冗談じゃねーぜ!」

 ドーラが吠えた。

「勝手に俺を選び、勝手にファーを選び、あげくの果ては使いもんにならなくなったからいらねーだー? ちょっとどころかずいぶんなめたまねしてくれるじゃねーか」

「………」

 ティナは何も言わない。心なしか青ざめているようである。

 ただならぬ彼女のその様子を見て、ドーラの表情がみるみるうちに驚愕へと変わっていく。

「まさか……」

 いきなり傍らのダリュースへと視線を向ける。

「あわわ…」

 ダリュースは慌てて顔を伏せた。ドーラはゆっくりと視線をティナへ戻していった。

「まさか…」

 彼の目は悲痛なほど大きく見開かれた。その表情は、何とも言えぬ彼の心の叫びを表現していた。

「まさか…最初からこうなることを知っててファーを…俺に同行させたのか……?」

 思わず横を向いてしまったティナ。その動作が答えであった。

「なんてーこった……」

 ドーラはよろりと倒れそうになった。

「どーしてなんだ。なんでそんなむごいことができるんだよ…信じらんねー……」

「ごめんなさい!」

 いきなり、ティナが玉座からまろび落ちつつ、ドーラの足もとへ身体を投げ出した。

 そして土下座する。

「ごめんなさい…」

 震える声で再び謝る。

「予言は別にもあったのです。それは……」


 特別な魔法士ありけり

 特別な剣士ありけり

 互いに手を取り合い

 固い絆で結ばれるだろう

 剣士は光に包まれる

 そして魔法士は闇に包まれるだろう 


「闇に包まれる……」

 ドーラは呟いた。

「あなたは光の神オムニポウテンスに見いだされた特別な人なのです。神格化する最初の人間になるかもしれないのですよ」

 ティナはひれ伏したままそう言った。

「神格化だと?」

 ドーラは目をむいてティナを見おろした。

「ええ。世界が形成されてから初めて人間が神へと進化するかもしれないのです。あなたはその素質があるとおじいさまは推断されました。そしてわたしはあなたがそうなるものなのか見届けなければならない。だから…」

 彼女は顔を上げた。ひたとドーラの顔を見つめる。

「あなたを護る義務があるのです。どうかこの安全な里にいてください。邪神があなたを狙ってくるかもしれません」

 必死の形相のティナであった。

「………」

 ドーラはにらみつけんばかりにティナを見据えていた。

「俺は行く。ぜってー行く」

「ドーラ!」

「ドラディオンだっ!」

「………」

「俺は一度決めたらぜってーやるこたやる。一度仲間だと決めたらそいつは一生仲間だ」

 彼はどんと胸を叩いた。

「俺はファーをもと通りにする方法を見つけるために旅に出る。誰がなんと言おうとぜってー行くぜ。あいつは俺にとって何よりも大切な友達だ。なんか知らんけど、この短い間にそんな気持ちになっちまった。こっぱずかしいけどよー、運命の友ってゆーか、魂の親友ってゆーか、そんな存在になっちまったんだよ。だめだぜ。どんなことしたって俺は行く。いや、行かなきゃなんねーんだ。俺の心の奥底で誰かが叫んでんだよ。『行け、行くんだドーラ』ってな」

 ティナは魅せられたようにドーラの姿を見つめた。

 彼女のその様子はとても神秘的に見えた。それはまるで神託を受けている巫女のような感じがしないでもなかった。

「わかりました……」

「わかってくれるか!」

 ドーラの顔が輝いた。

「でも条件があります」

「条件?」

 ティナは頷いた。ゆっくりと噛みしめるように言った。

「わたしもあなたに同行します」

「ええっ?」

 慌てるダリュース。

「御子さま! それはなりません!」

 ティナは彼に黙るようにと頷いた。それからドーラを真っ直ぐに見つめた。

「いいですね」

「ま、しかたねーな。どっちにしろ魔法士は取り合えずは必要だし……」

 それでも、卒倒しかねないダリュースをちらりと見て、気の毒に思ったのか一応言ってみる。

「でも他の魔法士でもいいんだぜ。あんたが行くこたーねーんじゃねーの?」

「いいえ。わたしはあなたの神格化を見届ける義務があるのです。あなたのそばから離れるわけにはいきません。まだ若輩者の神ではあるので、多大な期待をしてもらっても困りますが、里の魔法士よりは使えると思いますよ」

「へぇへぇ」

 ドーラはお手上げの仕種をした。なにをごちゃごちゃ言ってやがるとでも言いたげだ。

「それと!」

 そんな彼を見てティナは叫んだ。

「な、なんだぁ? 急に大声あげて」

 ティナはにっこりと笑った。

 それは今まで彼女が見せたことのない、十歳の少女らしいあどけない微笑みだった。

「わたしもあなたのことはドーラと呼ばせてもらうわ。いいですね」



 砂漠の朝は気持ちがいい。

 空はあくまで真っ青で、そよぐ風も今日一日が平和に過ごせそうなそんな予感を感じさせている。

 ドーラはここに来た時のようにフードつきのマントをはおって立った。

 そしてその横には、同じくマントを身につけた小さい人物がふたり立っていた。

 彼らの前には大勢の人々が立って、ドーラたちを見送りに集まってきている。

 人々の先頭にダリュースが立っていた。

「道中お気をつけて。お早いお帰りをお待ちしております」

 心配そうに小さな人物のひとり、言わずと知れたティナへと声をかけた。

「心配しないで。わたしは大丈夫」

 彼女は安心させるようににっこりと笑って見せた。

「これからどこへ参るのでしょうか」

「まず、魔法の塔へ彼を連れていきます」

 ティナはマチアスに顔を向けた。

「例の闇の司祭も、あの時身体が動けるようになるがはやいか、あっと言う間に姿をくらませてしまいました。マチアスは彼のグループに入信するはずだったので、狙ってくるかもしれません」

「ぼく……」

 マチアスはティナににっこり笑って見せてから、彼らの後ろでのっそりと立つドーラを振り返った。

「ぼく、ドーラさんのような魔法剣士になろうと思うのです」

 ドーラは照れているのか、指でぽりぽりと鼻をかいて横を向いている。

「よせやい…それに…マチアスよー…」

 彼はマチアスに顔を向けた。

「俺のこたぁ、さんづけすんなよな。ドーラでいいんだよ、ドーラで!」

 彼はニカッと笑った。そして、人指し指をチッチと左右に振ってみせる。

「はいっ」

 マチアスはドーラに頷いてみせた。

 それから再びダリュースに顔を向ける。

「魔法の塔で修業して、きっと強くなってみせます!」

「そうか。それは頼もしいな。それでは君が立派な魔法剣士になったら、里の誰かを君の魔法士に派遣してあげよう」

 ダリュースはマチアスの肩へ手を置いた。

「はい! ありがとうございます!」

 マチアスは顔を輝かせた。



 そしてドーラたちは出発をした。

 しばらく歩いていくと里の圏内を出てしまい、彼らはどこまでも続く砂の上を歩いていた。

 ドーラは何気なく振り返った。

 ペンターシャンの里はもう見えない。

 あそこにたどり着いたのは、ほんのつい最近のことなのに、彼にはもう何年も経ってしまったかのように感じられた。

(ファー……)

 ドーラは再び前を向き、歩きはじめた。

 彼の目にはそこにはいないはずの生真面目な魔法士の背中が見えていた。

 その幻の彼がドーラを振り返る。


───自分のせいにしないでくださいね───

───あなたはそのままでいてください───

───わたしはいつでもあなたのそばにいますから───


 ドーラは風がファーの声を運んできたような、そんな気がした。

 彼の目の前で細い目をますます一本の線にして微笑むファーの姿は、まるでゴーストのように薄く儚く消えていく───

(ファー。俺はぜってーおめーを助けてやるからな。待ってろよ。何年かかっても何十年かかっても俺は必ず帰ってくる)

 ドーラはもう一度だけ後ろを振り返った。

 しばらく、じっと見えない何かを見つめているように地平線の彼方へ目を向ける。

 それから彼はおもむろに前を向き、フードを目深に下ろした。

 そんな彼を少し離れた前方で待つティナとマチアス。彼らはドーラへと憐憫の眼差しを向けていた。

 ドーラは止めていた足を踏み出す。

 それは前進の一歩だ。彼のその足取りはとてもしっかりとしていた。もうなんの迷いも悲しみも見られはしない───


 砂嵐が吹き荒れる。ここは熱砂の砂漠。

 ドーラも、そして彼を優しい目で待つティナとマチアスも、吹き荒れる黄色い砂ぼこりにまみれ、姿が見えなくなってしまった。

 何もかも、吹きすさび渦巻く砂に飲み込まれ、もう誰も生きている者さえ見られはしない。

 ここは人の心をも乾燥させる乾いた大地。

 あるいは、ここでも砂の中に蠢く魔物が潜んでいるやも知れぬ───ゆめゆめお気をつけあそばせ───



            初出1999年9月15日

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月下狂瀾夜想曲 谷兼天慈 @nonavias

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