第12話「魂神降臨」

───ヒョォォォォォ───

 彼らの耳に、かすかな風の音が聞こえてきだした。

 さきほどまでまったく風など吹き込んでこなかったこの場所の空気が動く。その動きに何かの気配が感じられた。

「!」

 ドーラのすぐ目前の空間がゆらりと揺らめいた。

(きやがる!)

(ああ……)

(なに、なに、なに?)

 三人が三人とも心で呟く。

 彼らの緊張が頂点に達しようとしていた。

───ズ、ズズズズ………

 揺らめいているその宙から手が現れた。女のようにほっそりとした華奢な手だ。

 それから目を閉じた顔が現れた。見たところ少年のようだった。すっきりとした細面で若々しい感じだ。

 前髪が真ん中から分けられており、細く柔らかそうな髪がすだれのように肩まで伸びていた。むき出しになった額には紅く輝く宝石が飾られている。

 それは、さらさらと音のしそうな白っぽい色の髪に映えて美しく輝いていた。

 徐々に彼の身体は何もない空間からこの現世に現れる───そしてとうとう完全な形として彼はこの場にその姿を現したのである。

 現れいでた少年はドーラのすぐ目前に立った。

 背丈はさほど高くはない。ドーラと比べて頭ひとつ分低い。

「………」

 少年は閉じていた目をゆっくりと開いた。ひどく酷薄そうな瞳である。

 だがそれは、瞳の色が髪の色と同じで白っぽいというか、むしろ灰色のごく薄い色であるからだろう。

 その彼の灰色の瞳が、ゆっくりと下へ動いた。ドーラの足もとだ。それは言い換えれば少年の足もととも言えるのだが。

「ベルタムナス……」

 彼の声はひどく悲しそうだった。

「私は魂神マインド。暗黒神に荷担し、遙か昔に封印されし者」

 なぜだろうか。まごうことない邪神であるのに、彼からかもしだされるその雰囲気はそう感じさせないものがある。

 彼はベルタムナスに視線を注いだまま、さらに言った。

「愛しいベルタムナスよ。己の命を差し出してまで私を呼んだか。そなたの願いを叶えねばならんが───」

 彼はそう呟いてからドーラへと顔を向ける。

「光の力をその身に宿らせし者よ」

 マインドの視線が、いまだ金色に輝くドーラに向けられる。だが、彼の輝きは今では仄かな輝きでしかなかったが。

「そなたが彼を殺したのか」

 マインドの声はあくまでも悲哀に満ちている。

「お、おうよ!」

 ドーラは突然の問いかけにどもった。

 だが彼は勇ましくも愛剣をかまえ、マインドの方へとその切っ先を向ける。

「でもよ。いっとくけどな、あのボケナスやろーの方から突っ込んできたんだぜ。そりゃそうしなくっても俺さまがきっちりと殺してやってたけどな」

「そうか…」

 マインドはもう一度ベルタムナスの変わり果てた姿を一瞥する。

「ならば……」

 彼は顔を上げ、真正面よりドーラの顔をにらみ据えた。なかなか見とれてしまうほどの美しさだ。

 これはまたベルタムナスと違った儚げな美しさである。

「呼ばれた者として、彼に従わねばならんな…」

「うおっ?」

 突然ドーラの身体が宙に浮かんだ。

 彼は足をばたつかせながら、必死に何かから逃れようとする。

「握り潰してやろう…」

 マインドは冷たく瞳を光らせて、ドーラを見つめている。

「私の愛するベルタムナスをその手にかけた償いとして死ぬがいい」

「ぐ…ぐぐぐ……」

 ドーラは苦しそうに顔を歪めた。

 額から大量の汗がふきだした。こめかみに血管が浮きで、今にも切れてしまいそうだった。顔もうっ血したように真っ赤になっている。

「く…そ…おぉ……」

 だが右手に握られた愛剣だけはしっかりと握られていた。

 それは、死んでも放すまいという彼の意気込みを感じてやまない。

「う…う…お…おおおお─────!」

 口から獣のような咆哮が上がり、彼は何とかして身体を動かそうとした。

「あ…ああ」

 一方、ドーラの窮地を見つめることしかできないマチアスは言葉にならない声を上げ、ティナの肩をつかんだ。

 反対にティナは、さきほどからじっとマインドの顔だけを見つめている。

「ち…ちが…う…」

「え…?」

 ティナの呟く声にマチアスが反応した。

「何が違うの?」

「………」

 だが彼女はそれには答えず、さらにマインドの美しくも悲哀に満ちた顔を見つめた。

「お…おれ…は負けな…い…ぞ…」

 ドーラは苦痛のため、目を眇めてマインドをにらめつけ、絞り出すように呟いた。

 マインドもドーラをにらんでいる。互いに睨みあうふたり。

「う…おおおおおおおおおお───!」

 ドーラが轟くような声で吠えた。

 まさにその時、ティナの目がとらえた。微笑むマインドの顔を───彼女は叫んだ───

「だめぇぇぇぇ───!」

 だが、すでに遅かった。

「でえぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!」

───ブワァッ!

 満身の力で見えない力を破るドーラ。

───ダンッ!

 地上に降り立つ。そして、間髪をいれずに地を蹴った。

───ザシュッ!

「グ……」

 低く、くぐもった声がマインドの唇からもれた。

 ドーラの魔法剣は彼の胴体を斜めに鋭く切り込んでいた。

 血が噴き出る。それは宙を舞うごとく、辺り一帯に鮮やかにまき散らされた。

「ああっ!」

 ティナは手で顔を覆ってしまった。

「やった!」

 マチアスは素直に喜んで飛び上がった。

 ゆっくりと倒れゆく魂神マインド。

 それを鬼神のごとく、仁王立ちして射貫くように見つめるドーラ。彼の目には一片の慈悲の色も見えない。

───ドサリ───

 石畳の上にマインドは倒れこんだ。

「あっ。待って」

 マチアスが叫んだ。

 マインドに駆け寄るため走りだしたティナを、彼は手を伸ばして止めようとしたのだ。

 冷たい石畳の上、仰向けに力なく横たわる魂神マインド。

 ティナは目を閉じている彼を恐る恐る呼んだ。

「マインド…」

 声が小さすぎたのか、彼は答えようとしない。その彼の胸から止めどなく流れる血。

 彼女は少しの間そんな彼を見つめた。それからゆっくりとひざまずいた。彼の手を取る。

「………」

 マインドのまぶたがうっすらと開けられた。

 灰色の目は、すでに生気のない瞳と変わっていた。それはゆらゆらと焦点が定まらずに泳いでいる。

 しばらくはそんな風に揺らめいていたが、彼の瞳は傍らの心配そうな目をしたひとりの少女の姿をとらえた。

「そなた……は…?」

「オムニポウテンスの娘トレーシアを母に持つティナです。魂神マインド」

「おお…太陽の女神の……」

 彼の口ぶりは、まるで古き良き時代を懐かしんでいるようなそんな感じであった。

 それから彼は目を閉じた。そして囁くように歌った。

「Fly me to the moon…」

 それを聞いたティナはひどく驚く。

「なぜその歌を…?」

「…………」

 マインドは再び瞼を開いた。

 だが、彼の視線は傍らの少女神には向けられることなく、どこか虚空を見つめている。

「そなたの母がいつも歌っていたな。彼女の歌はあの音神マリスにも劣らぬ素晴らしさだった……」

 それから、彼はティナに目を向ける。

「幼き者よ。愛しき者の愛娘よ。できるならばあの頃に……すべてが何もかも輝きに満ちていたあの頃に、私は……私は戻りたい……ベルタムナスの存在を知る前の……私が想いを寄せていた……そなたの……そなたの………」

 マインドの声は震えていた。

 ティナは、彼が泣きだすのではないかと思った。

 しかし、彼は一粒の涙さえも流そうとはしなかった。まるでもう涙など残されてはいないのだといわんばかりに。

「なぜあなたは母を知っているのです? 先の邪神戦争では母は参戦していません。それなのになぜあなたは母を……?」

 ティナは疑問をぶつける。

 するとマインドの悲しみに満ちていた目がふっと細められた。心なしかその目に楽しげな色が見て取れる。

「さあ……なぜなのだろうな?」

 ティナは知らず憮然な表情を浮かべた。

 だが、その彼のあやふやな答えについては、それ以上言及することはやめにする。

 そこで、ティナは彼の手を握ったまま別の疑問をぶつけた。

「どうしてです?」

「……………」

 マインドは彼女を見つめたまま何も言わない。

「貴方はわざと……」

 彼は首を振ってティナの言葉を遮った。

「そうしなくても私は彼に破れていた」

 マインドの表情はむしろ晴々としていた。彼らに近づいてくるドーラの姿に彼は視線を向ける。

 そして静かに言った。

「彼は光の力をその身に宿らせし者」

 マインドは眩しそうに目を細めてドーラを見つめ、それからティナへと視線を戻した。

「私は封印されたまま、この世界がいつか滅ぶまで静かに眠っていたかった。それをベルタムナスに呼び出されてしまった。もう安息の場所はない。元には戻れない。私はすでにもう生きながらにして死んでいたのだ」

「そんな……!」

 マインドは手を伸ばした。その手は震えていて心もとない。

 彼はそっとティナの白い頬に触れる。

「歌姫トレーシアの娘ティナよ……」

 マインドは自分の手をやさしく包む白い手をそっと押し戻した。

「お別れだ」

 ティナは嫌がる子供のように首を振っていた。

 だが、嘆願するように頷くマインドの目を見てゆっくり立ち上がった。そしてあとずさる。

 それに代わり、ドーラがマインドの傍らに立ちはだかった。

「覚悟はいいな」

 ドーラの口調はあくまでも冷たく無表情に徹していた。

 マインドは目を閉じる。すでに彼の顔は蒼白になっており、死の色が広がっていた。

「俺は神も邪神も魔族もでーっきれーだ」

 ドーラは両手で剣を握りしめると、振り仰いだ。

「だがな、正直いって、俺ぁあんたのこたーそんなにきれーじゃないぜ」

「………」

 マインドの口もとに一瞬かすかな微笑みが浮かんだ。

「常磐の彼方で待ってろ……」

 ドーラは思わず呟き、そして驚いた。

 瞬間、彼の腕がためらうように止まる。が、しかし腕は動いた。

───ズシュッ!

 真っ直ぐに下ろされた剣は、間違いようもなくマインドの胸に突き刺さった。

───ダダッ

 下ろされたその刹那、ティナは振り返って走りだしていた。

「あっ」

 彼女はマチアスに抱きつく。勢いあまってマチアスはよろめいた。

「あの……」

 マチアスはびっくりして目を白黒させている。

 それでも彼は、腕の中で小鳥のように震えるティナを優しく抱きかかえた。壊れ物を大事に扱うように。

「わかっている…わかっているけど辛いわ」

 ティナはマチアスの胸に顔をうずめ、首を振った。

「………」

 マチアスは顔を上げ、今まさに魂神にとどめをさしたドーラをとらえる。

 彼は自分の腕の中のティナと、向こうに立つドーラを交互に見つめた。

「あの人だって、本当は殺したくなかったんじゃないのかな……」

 ぽつりと呟くマチアス。

 ティナはゆっくりと顔を上げた。

「だって泣いてるもん」

「!」

 ティナは振り返った。

 ドーラは未だ剣をマインドの胸に突き刺したままだった。ティナたちの方からでは彼の背中しか見えない。

 訝しそうに彼女はマチアスの顔を見た。

「だってほら」

 マチアスは顎で指し示す。

「あの人の背中、震えてるでしょ。ああいう時ってきっと泣いてるんだよ」

「ドーラ……」

 ティナの目に同情が浮かんだ。

 マチアスは憧憬の目でドーラを見つめる。

「最初、とっても怖い人だなって思ったけど何だか好きになっちゃった。ぼくもあの人のような強くて優しい魔法剣士になりたいな」

「魔法剣士など……くそくらえだ!」

 すると、突然耳障りな声が上がった。

 ドドスだ。彼はいつの間にか手に短剣を握りしめていた。

 そして走りだす。一直線にドーラめがけて!

───シュッ!

「グアッ!」

 ドドスのマントが真っ二つに切り裂かれ、血が噴き出した。

「う……ぉのれぇ───」

 彼のみにくい顔がさらにみにくく歪む。

 スローモーションのようにゆっくりと倒れていくドドス───

 ドーラは冷たい視線をドドスに向け、愛剣を握りしめた。

 マチアスのいう通り、確かに彼の瞳は涙で濡れていた。

「邪教徒は魔法剣士の霊剣で殺してやることが最大の慈悲なんだ───と言ったやつがいた。俺も今ならそれがわかるような気がするぜ。正義だなんだと言ってもそりゃ偽善でしかねーことが多いもんな。でもま、俺だけはぜってー違うって信じてるけどよ」

 自信満々で言い切るドーラ。

 その彼の声が憎々しげに変わる。

「おめーは魔法剣士をくそ呼ばわりした。それはぜってーいっちゃーいけねーことだぜ」

 彼の目はすでに乾いていた。その目でドドスをにらみつける。

「そういうおめーこそが、くそ一番だってことに気づくんだな」

 冷眼をさらに強める。

「霊剣で死ぬことなんざ、おめーにゃもったいねー。だがな、俺は慈悲深い男だからよ。ありがたく思いな」

 不思議とドーラの喋り方は静かだった。普段ならここで鼻息も荒くまくし立てるところなのだが。

「こんど生まれてくるときゃ、まっとーな人間になって生まれてくるんだな」

「ググググ……」

 もはや虫の息のドドス。とその時───

「あっ!」

 マチアスの驚いた声が上がった。ティナも目を見張る。

 ふたりは互いに抱き合いながらある一点を見つめた。

 彼らの視線の先、マインドの亡骸から紅い光が迸ったのだ。その光に照らされて、辺り一面が仄かな赤色に染まっていく。

「見て!」

 またしてもマチアスの声。彼はドドスを指さした。

 ドドスの身体から、何かキラキラと輝くものが立ちのぼりだした。最初は虫か何かが飛び交っているようにも見えた。

 だがそれは煙のように漂う金粉のようだった。

「あ……」

 それに気がついたティナが急いでドドスへ駆け寄った。ひざまずくと両の掌をドドスの身体にかざす。

 パァ───

 彼女の身体が仄かな銀色に輝き始めた。と同時にドドスの身体からたちのぼる金粉は、いよいよ多くなりはじめた。

「いったい何が起きてやがるんだ?」

 ドーラは大剣を握りしめたまま、立ちすくんでいた。彼の目の前で、金粉の量はさらに増えていく。

「なんだぁ?」

 彼は素っ頓狂な声を上げた。

 金粉が何かを形成しようとしていたのだ。頭、身体、腕、足───それは人の形をしているようだ。金粉で出来た人形といった感じか───

「ド……ド……ス……」

「!」

 その金粉の形をしているものが喋った。

「ああっ!」

 いきなりそれはひとりの少女に変貌した。

 ただしその身体は金色に透き通っており、一目で吟遊詩人の歌うゴーストとわかるものだった。

「ド・ド・ス」

 今度ははっきりと聞こえた。以外にしっかりとした発音である。

「テ…ティ……」

 閉じられていたドドスのまぶたがうっすらと開けられた。

 そう、それはドドスに殺されてしまった薄幸の美少女、あの可哀想なテティであった。

「ようやくあなたと話すことができる」

 彼女の喋り方は不自然なほどに淡々としていた。

 ドドスはどんよりとした瞳でテティの姿を認めた。

「俺……は…お前を…許さない」

 彼はくぐもった声を絞り出す。

「あなたがあたしを許せないのも無理はないわ。ごめんなさい。でもこれだけはわかってほしいの。あたしはあなたを裏切っていない。あの晩のことは突然のことだった。あたしの気持ちも無視して彼はあんなことを……。あなたが怒るのも無理はない」

 すると彼女の声音が突然変わる。悲痛とも悲哀とも取れる声だ。

「ああ、ドドス。あなたは本当にあたしの気持ちに気づいていなかったの?」

「………」

 ドドスは彼女を見上げているだけで、もう何も言おうとはしなかった。

「ねえ、ドドス。覚えてる?」

 夢のように透き通って金色に輝くテティは続けた。

「よく村に来ていた吟遊詩人からゴーストのお話を聞くのが、あたしたち好きだったわよね」

「………」

「あなたを邪神教に投じさせたのはあたしのせいだわ。あたしはずっとあなたを見守ってきたの。未練がありすぎて魂がこの世界にとどまってしまったのよ。あたし、本当にゴーストになっちゃった……」

 キラキラと輝きながらテティは一瞬笑ったようだった。

 ドドスの顔はすっかり血の気が引いてしまい、どす黒くなってしまっていた。それは死の色だった。

 彼はその、今まさに死に絶えようとしている顔を彼女に向けていた。その表情からは、今彼が何を考えているのかは窺い知れない。

「あなたは死にかけてる」

 テティの顔に悲しみが浮かんだ。

「ようやくあなたに罪滅ぼしができるわ。あたしの魂をあなたにあげるわね」

「な……に……?」

「あたしはあなたの魂の中でずっと生きていくの」

「なんだ……って?」

「あたしたちはひとつになる。ひとつの魂となるの」

 ドドスの目が大きく開かれた。血走っていて見るにたえない。

「あたしたちはずっと二人一緒に生きていけるのよ」

 彼女はティナへと顔を向けた。ドドスの傍らでひざまずくティナと視線が合う。

「月の女神さま。あたしの魂をこの人の魂に融合させてください」

「そ…そんなことが…私に…?」

 ティナは困惑して声に力がない。テティとドドスを代わる代わる見つめる。

「できますとも。あたしは死んで魂になってから、生きている時には知りえないこともいろいろと理解しました。貴女は月の女神。確かにまだ完全とはいえませんが、魂神さまの御力が働いている今ならきっと……」

 テティは紅く光るマインドの亡骸を一瞥する。ティナもそちらへと視線を向けた。

 すると、マインドの身体が紅く輝いているかと思いきや、それは彼の額にはめ込まれた紅い宝石が輝いていたのだった。

「あの方が最後の力を振り絞ってあたしを覚醒させてくださり、そして貴女が導いてくださいました」

 紅い宝石は仄かな輝きを振りまき、その紅さはとても温かく感じられた。

 ティナは魂全体が言いようのない感動に包まれていくのを感じた。

「幸いにも今宵は満月。貴女の力の源となる月の力でもって魂の融合を。あたしの愛するドドスに癒しの安らぎを───」

 しかし、まだティナは半信半疑の表情でテティを見つめた。そこへだめ押しのドーラの言葉が。

「月の御子さんよ。俺を失望させんなよ。神さんっつうもんはやっぱ口ばっかだなんて思われたかねーだろ」

 彼女はムッとした表情を彼に向けた。

 こんな時ながら、彼女のその表情は変に子供じみている。何となく神らしくない。

 しかし次の瞬間、それを恥じたのか、慌てて厳しい顔つきをした。

「わかりました。やってみましょう」

 決心したように頷く。

 ティナはきちんとした形でドドスの傍らにひざまずいた。祈りを捧げるように両手を胸のところで組む。

「ハァァァァ───」

 すると彼女の身体が仄かな銀色をまといだし、それはだんだんと輝きを増していった。

 その銀の輝きは、マインドの宝石から放たれる紅さを凌駕し、打ち消していった。

 輝きはどんどん正視しがたいほどになっていき、ティナもドドスも銀色の渦に飲み込まれ、何も見えなくなってしまった。

 いつの間にか、金粉のテティの姿も見えなくなっている。

「ドドス…あたしはあなたの記憶の中でずっと生き続ける。あたしたちはずっと一緒。もうあたしの亡霊に縛られることなく自由に生きてね……」

 かすかなテティの言葉が、銀色の光の渦の中で横たわるドドスの耳もとへ届いた。

「………」

 ドドスは何も言わない。

 じっと黙ったまま今は目を閉じている。すでに死んでしまった人間のように身じろぎもしない───が───誰かがよく彼の顔を見つめたら気づいたであろう。彼の閉じられたまぶたのはしにキラリと光るものが流れたのを。

 それは、あまりにも眩しい銀の輝きに埋もれて、およそ人が正視できるものではなかった。万物の神、創造主だけが知りえたことであろう。そしてもうひとり───彼を愛する少女と───

 ドーラとマチアスは眩しくて目を開けていられず、手で自分の目をおおっていた。

「ありがとうございます……」

 彼らの耳にテティの声が聞こえたような気がした。

 それはどこか遠くで吹いている風のかすかな音のようにも聞こえた。

 そして銀の輝きはますます強くなっていった───

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