第11話「ドーラ覚醒す」
「こ、これは……」
ベルタムナスとドーラたちのやり取りを物陰から見ている者がいた。ドドス配下の邪教徒ケイルである。
しばらく前に、彼はこの神殿にやって来たのであった。目星をつけて来てみれば、やはりにらんだとおり、彼は仲間の邪教徒たちを見つけた。
だが、この有り様である。出ていこうにも彼は足がすくんでしまって、ベルタムナスたちの様子を凝視することしかできずにいたのだ。
「みんな……」
ケイルは中の惨劇を目の当たりにし、悔しそうに呟く。その彼の目がティナの姿を見つけた。
「ドドスさまのおっしゃっていた少女もあそこにいるが……」
目深におろしたフードの下、かげになっているためにやはりケイルの顔はよくわからない。ただ異様にぎらつく瞳だけが、野獣のように爛々と光っていた。
「!」
その彼の目が何かを見つけた。それは、ケイルの隠れる入口近く、わずかに離れた目前の場所にあった。
手首だ。右の手首のようだ。無残にも、引きちぎられたかのように打ち捨てられている。まるでゴミのように。
「に…にい…さ…ん……」
そう、その手首はあのカイルのものであった。
その証拠に、生々しく血のついた銀の腕輪が、手首にはまったままだったからだ。
ベルタムナスによって首を飛ばされ、その首もろとも身体を潰された邪教徒カイル。潰された拍子に四方へ飛び散った、彼の身体の一部である右手首が、ここまで飛ばされてきていたのだ。
彼は、気づかれぬようにそっと手を伸ばし、その手首を胸に抱えた。
「兄さん…なんとむごい…」
彼はフードの下、声を震わせる。あるいは泣いているかもしれなかった。
「………」
彼は心持ち顔を上げた。誰がやったことであるか、それはもちろん一目瞭然なこと。
彼はぎらつく瞳をベルタムナスへ向けながら、じりじりとあとずさりはじめる。
「これが我らの宿命か……」
ケイルの声は虚しく響く。
「それならばこのオレも、それに従わねばならぬ……いや…」
彼は思いなおしたように、抱えた手首に目を落とした。
「オレは兄の分まで生き延びてやる!」
その声には、しっかりとした決意が感じられた。彼はもう一度だけベルタムナスに顔を向け、目をギラリと光らせ言った。
「とにかく、ドドスさまにお知らせせねば」
そして立ち上がり、ゆっくりとその場を離れていった。
そして再び戦いの場───
「愚かな人間よ」
美麗の傀儡師ベルタムナスは、その美しい十本の指をなまめかしく動かしていた。
一方ドーラは、よりいっそう輝きを増した愛剣を身体の前で構え、ベルタムナスをにらみつけた。
その彼の斜め後ろで、ファーは目を閉じ、呪文を唱えている。防御呪文である。
「僕の指はどんな者にも至福をあたえるのだよ。もちろん恐怖もな。お前には何をあたえてやろうか。リクエストをしてもよいぞ」
「ぬぁーにをくだらねーことばっか、ピーチクパーチクほざいてやがる」
ドーラはペッと唾を吐いた。
「おめーがこねーなら俺がいくぜ!」
叫ぶと同時に彼は地を蹴った。
なかなか速い。あっと言う間にベルタムナスのふところへと飛び込もうとした。
「なにっ?」
すると、ベルタムナスの頬に一筋の血が流れ、彼は驚いて目を見開いた。
間一髪のところでドーラの剣をかわしたが、どうやら少々かわしきれなかったらしい。
「うぬう……」
ベルタムナスは手の甲で自分の頬をぬぐった。そこについた自分の血をしげしげと見つめる。
それから彼は、自分のその手とドーラの顔を交互に眺めた。
「なぜだ……」
彼は思わず呟いた。
「僕の魔力が通じぬ」
ベルタムナスは穴のあくほどにドーラの顔を見つめた。
「へへ…」
ドーラはというとベルタムナスの顔に傷をつけることができて、単純に喜んでいた。
「ぬぬぬ……」
それを見たベルタムナスは思い切り目をつり上げた。
「ふふん」
ふんぞりかえるドーラ。
「………」
憤怒の炎を燃やし、ベルタムナスはドーラをねめつけた。
だがそれは、すっかり有頂天になっているドーラにとって、恐るるに足らぬものであった。
「ぬぁーんだ、たいしたことねーな」
「お、おのれぇ───」
ベルタムナスは、いきり立った。あまりの怒りに声がかすれている。
それも無理からぬことであった。
彼としては、人間風情にここまでこけにされたことなどなかったに違いない。腹立たしいことこの上ないといったところであろう。
だがその激情とは裏腹に、彼の心は当惑したように千々に乱れていた。
(なんということだ)
彼は思わず心で呟く。
(人間風情の結界魔法で、この僕の魔力を封じることなどできようはずもないのだが…)
それからちらりとファーを見やった。
(それほどに力のある魔法士なのか?)
彼の心にだんだんと広がりゆく、初めて感じる恐怖───今まで心を操れない人間などいなかった───それは確かに、彼にとってあまりの衝撃に他ならぬ。
(何が起きているのだ?)
彼はハッとした。ティナへと視線を泳がす。
彼女は真剣な眼差しをベルタムナスたちに向けていた。すっかり無表情さがなくなっている。
(違う)
ベルタムナスは直感した。彼の目は彼女のその様子から何かを感じ取った。
(彼女が加担しているわけではない)
彼は慌ててドーラへと視線を戻した。
(では、彼自身か!)
ベルタムナスは切れ長で美しいラインのその目を見開いた。冷たいものがみぞおちを落ちていくのがわかる。
何かしら漠然とした戦慄が自分自身を包み込んでいくのを、彼は頭のすみで感じていた。
(だが、どう見てもただの人間だ。多少普通の人間と魂の輝きが違うようだが、絶対に神ではない…)
ベルタムナスは再び両手を持ち上げはじめた。
(もう一度…)
しかしそれは許されないことだった。ドーラが激しく切り込んできたからだ。
「いゃあ───!」
「!」
ベルタムナスは防御結界を張ってその場を飛びすさった。
だがドーラの動きは俊敏だった。だてに最強の剣士だと吹聴してまわっているわけではない。
彼は物凄い速さで振り返ると再び切り込んでいく。その顔は、まるで鬼のような形相になっている。
「むぉらったぁ────っ!」
一瞬ひるむベルタムナス。動きが止まり、これ以上はないというほど目を大きく見開いた。
己の死刑執行人の顔を見つめる憐れな罪人のように───このまま死んでしまうのか。己の身体を動かすこともできぬまま───
「まてまてまてまてぇ────」
「なにぃ?」
ドーラが吠えた。何者かが、今まさに終極を迎えようとしていた戦いの場に飛び込んできたのだ。
言わずと知れた闇の司祭ドドスである。といってもドーラたちは知るよしもないが。
「その魔族は俺さまが倒す!」
ぜいぜいと荒い息をし、肩を上下させながら彼はがなる。
ここにいるすべての者が、このみにくい風貌の乱入者に注目した。
ドーラは剣をふりあおいだまま、呆気に取られた顔をしている。
「なんなんだこいつは?」
「……」
その好機を見逃すベルタムナスではなかった。
彼は動いた。素早くファーのそばへと移動する。
「!」
ファーが気づいた時は遅かった。いつの間にか彼の背後に、亡霊のようにベルタムナスは立っていたのだ。
「あの男が駄目ならお前だ」
ベルタムナスはぶつぶつ呟いた。
彼の顔は、追い詰められた者が見せる必死の形相に変貌していた。
ファーの肩に両手をかざす。妙に滑稽な姿だ。今から肩もみでもしかねない感じである。
「お前の魂は闇に沈む」
すると彼は、楽器を奏でるように指を踊らせはじめた。
ファーはベルタムナスが背後に立った時から意識がなくなったらしい。というよりも、心を操られてしまったというべきか。
ファーの目は開けられており、意識はあるように見えた。だが瞳にまったく生気が感じられず、彼がすでにベルタムナスの思うがままであることを物語っていた。
「ファー!」
ドーラが叫ぶ。だっとばかりに石畳を蹴った。
「動くな!」
ベルタムナスの顔はすでに狂気じみた様子を呈していた。
「少しでも動いてみろ。後悔することになるぞ」
声までが裏返ったように甲高い。
「動けば、この魔法士の身体を握りつぶしてやる!」
「卑怯だぞ! ビレイのクツシ!」
「傀儡師だっ!」
気が狂ったように叫ぶベルタムナス。もはや威厳も尊大さも何もあったものではない。
「お、お前のような…お、愚かで馬鹿で存在そのものが間違っているような人間に、なぜこの偉大な上級魔族ベルタムナスが愚弄されねばならんのだ。僕は…僕は…麗しのマインドさまのそば近くでいつでも美しく燦然と輝いていたのだ。人間どもにかしずかれ君臨していたこの僕がオムニポウテンスどもに駆逐されてしまい、慕っていた主を封印され、この僕自身もかつての半分も力が軽減されてしまった。それでもまだ人間には負けぬと自負していたのに……」
「く……」
ドーラはくちびるをかんだ。輝ける大剣をかまえたまま、彼は動くに動けず、歯ぎしりするしかなかった。そうするしか、今のドーラには自分の怒りをしずめることができないのだ。
ファーをじっと見つめる。彼はベルタムナスの魔力によって、心をがっちりとつかまえられてしまっているらしい。痛ましいくらいに虚ろに開かれた彼のまなこ。
ドーラの目には、思慮深く優しい眼差しのファーの顔が見えていた。今のファーとはまるで正反対の眼差しの彼が。
「剣を捨てるのだ」
ベルタムナスの瞳が異様に輝く。
ドーラに向けられたその目は、憐れな魔法士の虚ろに開かれた目とこれはまた雲泥の差であった。
「………」
ドーラは今にもかみつきかねない様子で、ベルタムナスをギロリとにらみつけた。
「はやく捨てろ!」
輝く黒髪を振り乱し、ベルタムナスが叫んだ。
「くそぉ……」
さすがのドーラも言いようのない不安を感じていた。それほどベルタムナスの様子は常軌を逸していたのだ。
彼はおとなしく剣をおろした。つかんでいた手をゆるめる。
そして今まさに、その手から輝く大剣がすべり落ちようとした───とその時!
「おのれベルタムナス!」
ドーラの近くにきていたドドスが、いきなり叫んで動いたのだ。
「なにぃ?」
ドーラはびっくりしてドドスを凝視した。
なんと、ドドスはドーラの手から大剣を掠め取ったのだ。あろうことか、そのまま物凄い勢いで走りだす。
「テティを返せ────っ!」
あまりにも無謀である。
ドーラの手を離れた剣は、一瞬のうちに輝きを失ったというのに、ドドスはまったく頓着していない。
「や…め……」
真っ青な顔になるドーラ。今ベルタムナスを刺激したらどんなことになるのか、それは火を見るより明らかであった。
だが、彼は動けなかった。自分の身体が他人のもののように感じられる。
気も狂わんばかりにドドスをねめつけるしか、今のドーラにはできなかったのだ。
「ファー……」
ドドスを見つめるドーラの視線は、その先にいる相棒のファーの姿もとらえていた。
「ファー……」
ドーラは呼んでいた。己の相棒の名を。
「俺の魔法士だ…誰にも殺させねえ…」
ドーラは呟いた。とその時───!
(うっ…?)
突然彼の心のどこかで何かが弾け、次の瞬間絶叫していた───!
「や・め・ろぉぉぉぉぉぉぉ──────!」
その瞬間、ドドスの身体が思い切り吹っ飛んだ。石の壁に向かって。
「なにぃっ?」
狂人のそれのように爛々としていたベルタムナスの目が、一瞬にして正気に戻った。
驚きに見開かれた彼の目に、信じられない光景が映し出されたのだ。
「い…ったい…これは…」
ベルタムナスの口から切れ切れに声がもれる。彼はまったくの茫然自失状態だ。いったい何が起きているのかも、その麻痺した思考では考えられなくなっていた。
そう───なぜなら、彼の目に映し出されたドーラが様変わりをしていたのだ。
彼は───輝いていた───ドーラは光輝いていた。
彼の愛剣が、ではなく彼自身の身体が金色に輝いていたのだ。
「すごい……」
マチアスの口から驚嘆の声が上がる。
ドーラやベルタムナスより少し離れた場所には、ティナとマチアスがいた。彼らは、ただドーラを見守るしか何も出来ずにいたのだ。
そして今、目の前で起きているこの信じられない出来事を二人は息を飲んで見つめていた。
「ああ……」
ティナは悲哀に満ちたため息を上げた。
「………」
傍らでマチアスが不思議そうに彼女を見つめた。
だが彼は、魅せられたようにドーラへと視線を移していく。その目は大いなる感動に輝いていた。
「ファーを…ファーをはなしやがれ……」
呟くドーラ。
彼はおのれの輝く身体に、まったく気づいていないらしい。
「俺の大切な相棒を返せ……」
ドーラは声を引き絞った。それは、あまりの激情に神経が麻痺してしまった時に出される声───心の叫びだった。
「ひ…光の……光の……と同じ…輝き…」
ベルタムナスは震えていた。あからさまに怯え、がたがたとわなないている。非常な恐怖が彼を襲っているようだ。
ファーの肩にのせられていた手がだらんとおろされ、同時にファーの身体は支えをなくし、どさりと崩れるように倒れこんでいった。
「ファーを返せ……」
すでに我を忘れたドーラは、そのファーの姿も見えていないようだった。
「ファーを返せ……」
ドーラは繰り返す。
「俺の相棒を返せ……」
そしてゆっくりとベルタムナスへと近づいていった。
「く…るな…」
じりじりとあとずさるベルタムナス。気高く美しい、美貌の魔族とうたわれた彼の姿はもはやどこにも見られはしない。
そこには、今まさに断罪を宣告されようとしている罪人さながらの、惨めで愚かな男しか存在していなかった。
ドーラはベルタムナスを、彼だけを凝視してゆっくりと足を運んでいた。
その姿はまったく普段の、生意気で正義感あふれる青年の様子とはかけ離れており、妙に神掛かった荘厳さを漂わせていた。
「……」
彼の目が、ベルタムナス以外は何も見ていなかったはずの目が、足もとに転がっているものに向けられた。
思わず立ち止まるドーラ。
それは彼の愛剣だった。ドドスが吹っ飛ばされた時に、どうやらここまで飛ばされてきたらしい。
彼はかがんで、それを拾い上げた。右手でそれを持つ。
そして切っ先をベルタムナスに向けた。まるで「待ってろ。今行くぞ」とでも言いたげに───
───パァァァァ───
彼の霊力に呼応して、たちまち剣は輝きはじめた。銀色に───いや、金色だ!
なんと神々しい輝きであることか。
本来の輝きである銀色ではなく、それは炯々たる金色に輝いていた。
「きれい……」
ティナの横でマチアスが呟いた。
「ぼく、あんなにきれいに輝く魔法剣を見たことないよ」
「彼は特別な人なの」
ティナはささめいた。それは、またしても夢遊病者のような喋り方であった。
そして、さらに彼女は続ける。
「汝───」
「え?」
汝、我の力を使いし者よ
汝、光の魂の宿りし者よ
神と人と交わる果てに
いつの日か迎えられん
我と世界と全てのもとに
真実の名を唱えよ
真の統一を叫べよ
さすれば開かれん
太陽と月と大地の門が
汝を導くことだろう
ティナはドーラへと両手を伸ばした。
マチアスはわけがわからぬ顔をしたが、それでも彼女をじっと見つめて聞いていた。彼女が語る、その言葉が予言であることなどまったく知らないまま───
「許せねえ……」
そして、その輝けるドーラはじりじりとベルタムナスへと近づいていった。一歩、また一歩と足を運んでいく。
ベルタムナスの方は、すでにもうあからさまの恐怖を顔に浮かべたまま、倒れんばかりだった。ドーラが近づくのに合わせて、あとずさることしかできずにいる。
「う……」
彼の鼻面近くまでドーラの剣が届くと、彼は呻いた。冷や汗だろうか、こめかみから一筋、汗が流れる。
「はっ」
掛け声とともに、思わぬ素早さでベルタムナスはきびすを返した。
空間が揺らめく。瞬間移動だ。
「させるかっ!」
ドーラが怒鳴る。そして自分の腕をにゅっと伸ばした。
「あっ!」
ベルタムナスが叫ぶ。まさに瞬間移動をしようとしていた矢先、ドーラの輝く手ががっしりとベルタムナスの腕をつかんだのだ。
同時にドーラはその腕を振り回す。容赦なくベルタムナスの身体は投げ飛ばされた。
───ドンッ!
「ギャッ!」
憐れ上級魔族の身体は、ドドスのように石の壁へと叩きつけられた。
「月の御子!」
同時に叫ぶドーラ。
「こいつがにげねーよーに結界ぐらい張りやがれ! そんくらいならできるんだろっ」
「は…はいっ」
慌てて答えるティナ。
彼女はその場にひざまずくと目をつむり、両手を組んで頭をたれた。その姿は、神殿で祈りを捧げる巫女のように見えた。
パァァァァァ────
途端に彼女の身体は銀色に輝きはじめた。
「!」
そばにいたマチアスはすっかりびっくりしてしまい、目をまんまるくさせてティナを見つめている。
「つ…うう……」
ベルタムナスはよろよろと立ち上がりかけた。その彼の前に立ちはだかるドーラ。
「俺はおめーらがでーっきれぇだっ!」
「………」
ベルタムナスは立ち上がるのをやめて顔を上げた。物凄い形相でにらみつけるドーラの目とかちあう。
ドーラは愛剣をベルタムナスに突きつけた。
「親父もお袋もおめーら魔族の仲間のコープスに殺された」
「そんな下等な奴と…一緒にしてほしく…ないぞ」
「俺にとっちゃ一緒なんだよ!」
吠えるドーラ。
「神も邪神もそして…魔族だってな!」
「何…を…」
ベルタムナスは怪訝そうな表情を見せた。
「邪神は確かに…古では神であった。だが僕ら魔族は…神とは…違う。この世界が出来上がった時に…世界とともに生まれた存在だ」
「ほんとーにそう思ってんのか?」
「………」
「俺にゃ、ちーっともそう見えねーぜ」
「………」
ベルタムナスは未だ恐れで身を震わせながら、それでもドーラを下からねめつけた。
「おめーの顔に書いてあるぜぇ───」
ドーラはさらに、ベルタムナスの鼻面近くまで愛剣を突きつけた。
「神よりも誰よりもてめーが一番ってな!」
「そう…」
ベルタムナスは不敵にもにやりと笑った。
「まったくその通りだよ。僕は…僕ら上級魔族は神よりも優れていると信じている。神に従っているのではなく、従ってやっているのだ」
彼は壁にもたれかかった。
「己の心のどこかで囁く声がする。『お前は偉大だ』とな。僕はこの世に生を受けし時からこの気持ちを持ち続けてきた。だが僕は神ではない。この世界の神は神としてすでに君臨していたからな」
彼の目がどこか遠くを見つめるように虚ろになった。その反対に彼の熱弁はいよいよ熱くなっていく。
「では僕はいったい何なのだ? 何のためにここにこうして存在している? 神と同じ、いや、もしかしたら神以上かもしれぬこの力をなぜ持っているのだ? 僕はどうしても知りたかった。神とともにあればいつかその答えがわかると信じ、今まで生き続けてきたのだ」
「ふん」
ドーラは眉ひとつ動かさずに聞いていた。
「言いてーこたぁそれだけか」
「………」
ベルタムナスはまたしてもドーラをねめつけた。
「そいじゃ、その答えも知らねーまま死んじまいな」
「なんだと…」
「わからねーぞ。おめーの知りてーことってやつぁ、もしかしたら死んでみりゃわかることかもしれねーぜ」
そういうドーラの表情は、乱暴な口調のくせに妙に神々しかった。まるで何もかも心得ているぞとでもいいたげだ。さきほどまでの鬼神のような表情とは、まるで別人のように見える。
「馬鹿な……おまえは上級魔族のことを何も知ってはいない」
ベルタムナスは嘲るように喋りつづけた。
「僕らは神や人間とは違い、その生を終えればそれまでだ。肉体とともに魂も消滅し、二度と再び転生することもない。ましてや神のように創造主のもとに還っていくこともないのだ。そして、人間のように世界生成の秘密を死んでから伝授されることもない。魔族とはそういったもの、だから己の欲望や想いに忠実に生きていく……。誰も真実を語ってはくれぬ。誰も僕らの正体を教えてはくれぬ……この世界の者どもは、僕らの所業に口出しなどできぬのだっ!」
だが、ドーラは冷たい表情を浮かべるだけで、ベルタムナスの演説には答えなかった。
「おい!」
そして、顔だけはベルタムナスに向けたまま、少し離れた場所で倒れているファーへ声をかけた。
「ファー! 起きろ!」
しかしファーはぴくりとも動かない。ドーラはちらりとファーへ視線を向けた。
「なにしてんだ、さっさと起きろ! おめーの相棒のドーラが助けてやったんだぞ」
「無駄だ」
「なに?」
「無駄だと言ったのだ」
ベルタムナスは氷のように冷たい微笑を浮かべていた。
「彼の魂はすでに僕の思うがまま。僕が魔力を解かない限り、肉体が朽ちるまで生きる屍と化する」
「なんだとぉ……」
ドーラはベルタムナスをにらみつけてからファーに視線を向けた。その目に不安そうな色が浮かぶ。
ファーは倒れたままだ。ドーラの方からでは顔は見えない。
そして死んだように彼は動く気配がなかった。
すると、ドーラの身体がさらに輝いた。
「魔力をときやがれ!」
「………」
ベルタムナスはドーラをにらむだけで何も喋ろうとしなかった。
「いますぐ言う通りにしねーか!」
「聞く耳持たぬな……」
顔色も変えずに、ベルタムナスは冷たくそう言った。彼はすでにもう震えてはいなかった。
「ほぉおおお───おめー自分の置かれた状況っつうもんをわかってて言ってんだろぉ───な───あ?」
ドーラはふんぞりかえった。
「さっさとファーにかけた魔力っつうもんをときやがらねーか。さもねーと……」
「殺すのか?」
「!」
なぜかベルタムナスは落ちつきはらっている。
「お前が何者なのか知りたいところだが、恐らくお前自身も知るまい。だが、どうやらお前に僕は勝てないらしい。さすれば殺せ。その黄金に輝く剣で僕の胸を刺し貫くがいい。だがその代わり、そこの魔法士の魂も封印したままだ。僕は解除魔法を死出の道連れとする。それくらいのプライドはまだ残されてるからな」
「ああ! たのまれなくても殺してやるぜ」
再び剣を突きつけるドーラ。
「お前が死ねば、きっとファーももとに戻るさ」
「クククククク……」
ベルタムナスはさも可笑しそうに笑った。
「甘いな」
笑いながら彼はそう言ったが、ドーラを見つめる目はまったく笑っていなかった。
「下級魔族ならばいざ知らず、この僕の魔力を見くびってもらっては困る。上級魔族の魂は死ねば滅びる。が、しかし、僕の魔力は僕という存在が無くなっても未来永劫、効力を失う事はない」
「なんだと!」
ニヤニヤ嫌らしく笑いを浮かべるベルタムナスは、ゆらりと立ち上がった。それを呆然と見つめるドーラ。
彼は衝撃を受けていた。そのせいでベルタムナスが何をしようとしているのか、考える余裕がなかった。
「僕は絶対に魔力を解かないぞ!」
「あっ!」
ドーラが叫んだ時はすでに遅かった。
「ググッ……」
ベルタムナスの背中から金色に輝く剣の刃が突き出ていた。
彼は突き出されていたドーラの剣へ身を踊らせたのだ。
「クツシ!」
「まっ…たく…お前という人間は…ウウ…」
ベルタムナスは顔を歪めた。
「まとも…に…名前も言えん…の…か…」
「く……」
ドーラはまるで金縛りになったかのように動けずにいた。
「……僕はベルタムナス…だ…美麗の傀儡…師ベルタム…ナス…グッ!」
「あっ!」
「ゴフッ!」
ベルタムナスは大量の血を吐き出した。
「ベルタムナス!」
ベルタムナスはニヤリと笑った。口からたれた血があまりにも凄愴だ。
「ようやく…言えたな…」
彼は自分の身体をつらぬいている刃を両手でがっしりとつかみ、青ざめた顔をドーラに向けた。ドーラの強張った顔をしっかりと見据えている。
「僕は絶対にお前を認めない」
意外としっかりした口ぶりである。およそ死に瀕している者の喋り方ではない。
「ヤー…マインド……」
そんな彼の口から聞き取りにくい呟きが漏れてきだした。
ヤー、マインド
ヤー、マインド
…………………
流されし数多の血潮
注がれし魂の坩堝
精神よ
脈打つその精神よ───
それは召喚呪文だった。
どうやらベルタムナスは己自身の血でもって、主君である魂神マインドを呼び出すつもりらしい。確かに、これほど相応しい生贄はないかもしれなかった。
彼は、相変わらず目の前のドーラをにらみつけている。そして、呟きはだんだんと大きくなっていく。
ヤー、マインド
ヤー、マインド
今こそその気高き
魂神としての力を
我等に示したまえ───
ドーラはようやくベルタムナスが何をしようとしているのかを察知した。
「うぉのれぇ────!」
彼は咆哮した。そうすることによって、呪文を封じ込めようとするかのように。
そしてそれだけでなく、彼は突き刺さったままの大剣を引っこ抜こうと躍起になった。
「さっさとくたばりやがれ────っ!」
しかし、ベルタムナスは渾身の力でもって刃にしがみついていた。
「死んでも…離さん」
「はなせ! はなしやがれぇぇぇぇぇ────!」
ベルタムナスはさらに手に力をこめた。
剣を握りしめた手から血が流れだす。そしてさらに呪文を続けた。
ヤー、マインド
ヤー、マインド
今ここに
恐れおののく
我等の下に
その御身を降ろしたまえ
ヤー、マインド
ヤー、マインド!
「うぉっ?」
「グオォォォ─────ッ!」
ベルタムナスの凄絶な叫び声が上がった。
なんと彼は、自分の手を血に染めながらつかんでいた刃を、思い切り心臓めがけて切り進んでいったのだ。
「グ……ググググ………」
苦悶の表情を浮かべ、くぐもった声をもらすベルタムナス。
ドーラはあまりのおぞましさに目をそむけようとした。
だが、まるで魅せられたかのように、自分の目の前で繰り広げられる惨状から目が離せずにいる。
そして───
ベルタムナスは剣から手を放した。
だが、ドーラの剣は未だ刺さったままである。
「………」
ドーラは剣を抜くこともできず、柄を握りしめたまま見つめている。
「!」
次の瞬間、ベルタムナスは信じられぬことをしだした。
彼はあろうことか、切り開かれた自分の胸に手を入れたのだ。
「ぐう……ううう……」
ベルタムナスが苦しそうに顔を歪めた。
形容しがたい耳障りな音がして、彼はゆっくりと何かをつかんで体外に出す。
「げっ……」
ドーラは絶句した。
それは心臓だった。まだ脈々と動いて活動をしている心臓だった。
「これで……お前たちはおしまいだ……マインド様……万歳…………」
ベルタムナスは己の心臓を片手で高く持ち上げた。捧げ物をするように。
そしてそのまま、彼は崩れるようにその場に倒れこんでいったのである。
あたりに不気味な静けさが戻ってきた。
ベルタムナスは呆然としているドーラの足もとに血だらけになって倒れていた。右腕は伸ばされたままで、手には未だピクピクと動いている心臓がしっかりと握られている。
それをドーラは放心して見おろしていた。
それより少し離れた場所に相変わらずぴくりとも動こうとしないファーが、そしてそのそば近くに壁に叩きつけられて失神しているドドスが転がっていた。
さらに入口近くにはティナとマチアスが立ちすくんでいた。
マチアスはあまりの光景に仰天したのか、ほとんどすがりつかんばかりにティナの身体に身を寄せていた。失神していないのが不思議なくらいだ。
ティナの方はさすがに神のはしくれ、しっかりとした態度で立ってはいた。
だが、その顔はやはり無表情ではいられなかったらしく、すっかり血の気が引いて青ざめていた。
誰もがまったく動こうとしなかった。というよりも動けなかったのである。
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