day dream

枡田 欠片(ますだ かけら)

第1話

「あれ?宮本君?」


 河川敷球場の朝5時。声をかけてきたのは会社の先輩、森崎綾夏さんだった。


「森崎さん。こんな時間に何してるんですか?」

「走ってるんだよ、わたし。宮本君は何してるの?」


 何をしてるというか、何をするのかは格好を見れば一目瞭然だと思うのだが。それでも一応答える。


「野球です」


 重い荷物を担いでグラウンドまで降りていく。何故だか森崎さんもついてきた。


「早朝野球?」森崎さんは興味津々といった具合で聴いてくる。

「そうです。知ってます?」

「知らない。早朝にするから早朝野球?」

「まあ、そうですね」


 その後も矢継ぎ早に質問をしてくる森崎さんは会社にいる時とは雰囲気が違った。テキパキと仕事をこなす森崎さんは顔も美人で近寄り難い存在だったが、今日は何だか無邪気だ。スーツ姿では無いラフなスポーツウェアで身をくるみ、邪魔にならないように短い髪を更に後ろで束ねている。


「え?見てくんですか?」

「うん。見たい。だめかな?」

 そんなの是非ともお願いしたい。周りのおっさん達の視線に入れるのは気が咎めたが、差し引きしてもプラスが多い。


「なんだよコーイチ。彼女か?」

「何言ってんすか!会社の先輩っすよ」

 頼む、もっと言ってくれ。そう思いながらおっさん達の好奇の視線に晒される。

 商店街のチームに野球経験者というだけで無理やり参加されたのだが、こんなラッキーがあるなんて、やってて良かったと思う。


「野球好きなんですか?」

「うん。大好き」

 思わずドキっとしてしまう。森崎さんは、子供みたいな目でおっさん達の練習を眺めていた。

「で、宮本君のポジションは?」

「えっと。一応ピッチャーです」

「うそ。カッコいい!」

 何だこれ。もしかして俺、今日死ぬのか?

「頑張ってね」

「はい」

 もう、めちゃくちゃ頑張る。


 早朝野球とは朝の早い時間に会社の出勤前などで試合を行う集いみたいなものだ。この地域ではちゃんと連盟があって試合日程も決められておりシーズンを通して順位を争っている。


 今日の相手は地元中学のOBチームでそれほど強い相手でもない。過去に2回対戦してそのどちらも勝っている相手だ。


「宮本くーん!頑張ってー!」

 マウンドまで届く森崎さんの声。泣きそうになる。自然と力が湧いてくるようだ。


「ドンマイ。まだ1回だよ」

 1回表に5点も取られてしまった。森崎さんの声援は相手チームの闘志にも火を着けてしまったようだった。


「情けねえなぁ、コーイチ」

「瀧さん。すみません」

「今日は人数ギリギリでピッチャーお前しかいないんだから、最後まで踏ん張れよ」

 監督兼キャプテン兼四番の瀧さんに怒られて、更に沈んでしまう。


「ねえ、瀧さんてあの瀧さん?」

 森崎さんが目を丸くして聞いてくる。

「あの瀧さんって。森崎さん知ってるんですか?」

「知ってるも何も、甲子園に出た瀧さんでしょ!?」

「何年前ですかそれ。まあ、そうです。その瀧さんです」

「うそ。本物!」


 バッターボックスではその瀧さんが今日も豪快にかっ飛ばしている。森崎さんは飛び上がって喜んでいた。


 もう、20年くらい前になるか瀧さん甲子園に出場した事がある。スタメンでは無いから世間的にはそれ程有名では無かったが代打でタイムリーを放つなど、地元のヒーローだった。当時幼稚園の僕でもその活躍は知っていた。

 今では家業を継ぐ傍らこうやって早朝野球に参加しているが他のチームからは反則と言われている。


「森崎さん、瀧さんが甲子園出た時って」

「小学生。三年生だったかな」

「ですよね…」

「見てたよ。テレビでお父さんとお兄ちゃんと」


 かつてのヒーローをキラキラした目で見ている森崎さんには正直面白く無かったが、それよりも本当に野球が好きなんだなと、意外な一面が見れた事が嬉しかった。


 気を取り直して、何とか相手チームの攻撃を凌ぎそれ以上の得点はされずに済んだ。攻撃でも瀧さんの活躍で逆転に成功する。


 五回の攻撃が終わったところで、規定時間の1時間半が経過してしまい。最後OBチームの攻撃を終えれば試合終了と言うところまで進んだ時だった。


「すまん、今日どうしても時間が無いんだ。1時間で終わると思ってたから」

 本屋の主人でショートの田伏さんが用事があってどうしても守備に付けないと言い出した。

「それじゃあしょうがないか。外野1人削ろう」

 瀧さんが渋々そう決断した時だった。

「あの」

 声をかけたのは森崎さんだ。

「私にやらせてもらっても良いですか?」

 なに!何を言い出すんだ森崎さん。ていうか森崎さん野球できるのか!?

「えっと、お嬢さ、失礼。森崎さんでしたっけ?野球出来るんですか?」

「一応。小学生ではリトルリーグに入ってました。中学高校ではソフトボール部です。ポジションはショートでした」

「うおおお!」

 おっさん達がいろんな意味で色めき立つ。

「よし、えっと森崎ちゃん!グローブはこれで大丈夫かな?」

 おい!おっさん!森崎さんにちゃん付けすんな!あと田伏さんのグローブつけさせんな!

「大丈夫です」

 森崎さんは渡されたグローブを手にはめてそう答えている。俄然、森崎さんはやる気になっていた。


「本当に大丈夫ですか?森崎さん」

「心配すんな、コーイチ。どんどん打たせろ」

 いつのまにか下の名前で呼び捨てにされている。複雑な思いはしたが、これはこれで良しとする。せめてショートに飛ばないように気をつけよう。そう心に決めてマウンドへ向かった。


 カーン


 もちろん相手チームからすれば、狙わないはずもなく打球は森崎さんのいるショートへ飛ぶ。

 森崎さんは、想像以上の身のこなしで打球の前に回り込んだがグラブでそれを弾いてしまった。身体を前に倒し胸で後ろに逸れるのを防いで打球を前へ落とし、それを1塁へ送球するが結局、間に合わずセーフとなった。


「大丈夫ですか!森崎さん」

「大丈夫!ゴメンゴメン!」


 自分の身体の事より打ち取った打球をアウトに出来なかった事を森崎さんは詫びていた。

 ダメだ、本当にショートへはこれ以上打たせられない。

 それはそう思ったけれども、それと同時にあのフィールディングは中々鮮やかだったとも思った。


 1点差の場面で相手チームは送りバントの構え。ここは素直に送らせた方が安全か。


 素直にストレートを投げた時、ランナーが走りバッターは構えを普通に戻した。バスターエンドラン。打球は二遊間に飛ぶがセカンドの浅倉さんがこれを何とか捕球し1塁へ送球しようとした。しかし、その時だった。


「セカンド!」


 森崎さんが2塁のベースカバーへ入りながら叫んだ。浅倉さんはつられて2塁へ送球する。セカンドはホースアウトになったがエンドランを仕掛けていたランナーとのクロスプレーとなった。


「危ない!避けて!」

 思わず叫んだその時。


 森崎さんはふわりと舞い上がり、その細い腕をムチのように1塁へと振り抜いた。


「うお!ジャンピングスローじゃ!」

 浅倉さんがビックリして声を上げている。


 鋭い送球は、ファースト瀧さんのミットに綺麗に収まりダブルプレーが成功した。


「ゲッツーだ」

 茫然と呟く僕の方を向いて「ツーアウト!」と言いながら森崎さんは2本の指を立てていた。


 3人目の打者はファーストフライに終わり試合は6対5で勝利した。


「森崎ちゃん!カッコ良かったよ!ウチのチーム入ってよ」

 森崎さんはおっさん達に囲まれてキャッキャとはしゃいでいる。だから森崎さんにちゃん付けするな。


「誘われちゃった。また来てくれだって」

「大丈夫なんですか?怪我なかったですか?」

「あーこれね」

 森崎さんはシャツのエリを伸ばして胸元を覗いている。なんなんだ今日の森崎さんは無防備すぎる。


「大丈夫。アザにはなって無いみたい」

「良かった」

 本当か嘘か分からないけど確認させろとも言えないから了承する。


「楽しかった。また野球やろ」

「ええ」

「今度は打たれないでよ。宮本君」

「すみません」

 いつの間にかもとの呼び方に戻っていた。もうスイッチ切れちゃったのかな。


「あの、森崎さん」

「なに」

 少し照れたがやっぱり言おう。

「ゲッツー。カッコ良かったです」

「あははは」笑いながら森崎さんは僕の肩をバシバシ叩く。

「惚れちゃダメだからね」

 申し訳ないけど、手遅れです。


おわり

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