万年時報
安良巻祐介
万年時計が雑魚寝市に出ていると聞いて、取るものも取り敢えず慌てて飛び出したが、どこの区画なのかを尋ねておかなかったものだから、四方に遥か広大な市場の端に立って、ハテどこだろうと途方にくれてしまった。
何しろ万年時計なのだ。何としても手に入れたい、いや、手に入れねばならぬ。
通りがかる客やそこらに蓙を出している売り人たちに、それとなく聞いてみるものの、はっきりと万年時計の名前を出せないために要領を得ない。
もどかしくてたまらず、闇雲にそこらを歩き回って、それらしき品を探したが、どこにも見当たらない。騙されたということはないか…とも思い、情報を教えてくれた座頭の顔を思い浮かべたが、皺だらけの首筋に、鮮やかな嘘縛りの入れ墨をきちんと入れていたのだった。そうだ、ならば大丈夫だ。
安心するとともに腹を決め、端の列からしらみ潰しに当たってゆくことにした。
その名の通り様々な男女が入り交じって寝転びながら蓙と品を出すこの市では、蓙同士の境も曖昧で、それらを一つ一つ探して行くのは大変に骨が折れた。
けれど、日が半分ほど沈み、辺りが朱色金色に染められ出した頃にようやく、残すところはあと一列というところまでこぎつけたのである。
ところが、疲れた足を引摺り最後の列までたどり着いて息をついたその時、ゴチゴチゴチジーンという音が、向こうの方から鳴り響いた。はっとしてそちらを見ると、ゴチ、ゴチ、ゴチ、ジィィィイン。
その、風を震わせる音に合わせて、辺りの黄昏色にみるみる「襞」が出来、あれよあれよという間に、まるで布を引き絞ったように、景色ごと歪み流れ始めたではないか。
しまった、と、自身もその流れの中に巻き込まれてゆきながら、私は口走った。
万年時計がネジを巻いたのだ。誰かがあれを只の時計と間違えて買い上げたらしい。
万年時計は骨董として最高級の価値のある宝であるが、一度普通の時計のように取り扱うと、常のそれとは全く尺度の違う那由多機構を蠢かし、一秒を万年として時を刻み始める。
何ということだ。では、売り人の方も、それを万年時計と気づいていなかったのか。何ということだ。何ということだ。嘆いたところでもはや全てが遅かった。あまりの時間の尺度の違いにネジ切られて行く風景の中で、私は、しかしあの老いた座頭はなぜ知っていたのだろうと、それだけを考え続けていた。……
万年時報 安良巻祐介 @aramaki88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます