一章 出逢い
All The Things You Are ~あなたの全てが私のものになったなら~
「はいはいストーップ!」
演奏してる最中に
他のメンバーも、一瞬混乱してから演奏を止めた。
——もしかしてテンポズレてた?
自分のアドリブで精一杯で、全く自信がない。
「サラ遅れてない?」
「あれ、マジ?」
そう言われて
サラには悪いけど、自分じゃなかったことにホッとする。
「今ってB終わってAに戻って来たとこじゃないの?」
「今そのAの3小節目」
「え!? 嘘、ごめ~ん!」
「んじゃ、もっかいアドリブの頭から行く?」
——マジですか? また頭からアドリブやるの?
けどその時、入口のランプが点滅を始めた。
「あ、もう時間じゃん。片づけなきゃマズくない?」
「やっば! もう50分じゃん。じゃあとっとと片づけよ」
なんとかアドリブ拷問からは解放されたらしい。
ジャズのアドリブって奴は本当によく分からない。好きにやればいいって言うけど、好きに出来るなら苦労しない。
何とか少しでもカッコよくって思うけど、結局いつも意味不明な音の羅列を垂れ流すことになる。
とは言っても、ここではドラムの
「
——ってヤバ! みんな片づけ終わってるし。
「あ、だいじょぶだいじょぶ! すぐに行くから」
片づけを終えた
「本番でも
メロディないとやってるとこか分かんなくなるよ~」
「こっちも余裕なくて分かんなかったし。最悪ベース聞いてれば何とかなるでしょ。
それより自分のアドリブ何とかしないと、マジやばいよ……。
管楽器もう一人誘っとけばよかった」
「あんまベース頼んなよ? こっちも怪しいんだから」
学際前だからってわざわざスタジオまで取ったのに、私も含めて不安しか残らない内容だった。
でもまあ、こんなものかもしれない。
普段練習してないのに、学祭前にいきなり寄せ集めでバンド組んだって、出来上がるのはこんなもんだ。
けどこのヘボバンドの中にあって別格にうまいサニーが参加しているのは、不思議だった。
——いや、サニーを誘ったのは私なんだけども。
普段真面目に練習してる割にあんまバンドに参加しないし、正直こんなヘボバンド、鼻で笑われるのがオチだと思ってたのに、何故か承諾されてしまった。
お陰で誘った当人としては、こんな集団のお守をさせているようで、若干悪い気がしないでもない……。
「ねえリンゴ。この後時間ある?」
「え、あぁこの後? 別に予定ないけど?」
ぼんやりとサニーに声をかけた時の話を思い出していたら、急にサラに声を掛けられた。
「そしたらこの後近くのジャズバー行かない? 今日ライブやってるんだって」
「まあ明日のバイト夕方からだし、あんま遅くなんなきゃいいよ。
けどなんでジャズバー?」
普段洋楽とかポップスばっか聞いてるサラが急にそんなこと言い出すかなんて、随分珍しい。
「まあ演奏の参考に、みたいな?」
「ふーん」
——いかにも嘘っぽい。
「……だって私もやっと二十歳になったんだもん! 大手を振っておしゃれにお酒飲みたいじゃん!」
「そっちが目的か……」
「いいじゃん別に〜。
今日やるバンド、前に先輩が聞きに行って結構良かったって言ってたし」
「はいはい、別にいいよ」
実際生でジャズ聞いた事ないし、興味はある。
「みんなも行かない?」
「う~ん、金ヤバいから今日はパス」
「私も土曜授業あるからやめとく。もう休めなくて」
「サニーは?」
「俺? あいてるよ。行く行く」
「よっしゃ! じゃあ3人で行くべしッ!」
* * *
ジャズバー”サー・ルドルフ”は地下鉄の隣駅から5分程歩いたところにある、少し年季の入ったバーだった。
路地を一本入った雑居ビルの端から伸びる急な階段。そこを下ると、いつの間にか先頭になってた私の目の前に、店名の入った重そうな扉が立ちはだかる。
見た目通りの重い扉をおっかなびっくり少し開けて中を覗くと、薄暗い店内にお客がちなほら。
——それはいいいんだけど、なんかみんなやたら身なりよくない?
私めっちゃ普段着なんですけど……。
そう思って後ろを見ると、明らかにいつもより気合の入った格好のサラが目に入る。
スタジオ練の時からなんでそんな気合い入れてるのかと思ったが、この為だったらしい。
「なんかすごく入りづらいんだけど……」
「いいから入んなよ! ノリ気だったクセに、いざとなったら何ビビってんの?」
「押さないでよ! 自分はしっかり洒落乙な格好してるからって!」
「いいからとっとと入ろうぜ。早くしないと始まっちまうよ」
店の前で押し問答してるのも恥ずかしいし、渋々入店——。
すると割と年の近そうな女性店員がやって来て、頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
肩甲骨辺りまでの黒髪を、後ろ半分アップで束ねたスーツ姿、かっこいい。
引き続き先頭の私は、少し見惚れてから慌てて我に返る。
「あ、えと……3人なんですけど」
「お若く見えますが、身分証よろしいですか?」
自分の学生証を引っ張り出しつつ、後ろの二人から学生証を奪い取る。
全く、なんで私が応対させられてるんだか……。
「はい、ありがとうございます。それではこちらへどうぞ」
女性店員に連れられ、軋む気配など微塵もない堅い木の床を歩いてカウンターを横切る。
ウッド&アイアンをベースにしたカウンターでは、50代くらいの渋めなマスターがペンダントライトとろうそくに照らされながら、お客さんの相手をしていた。
奥の方にはステージがあって、その狭いスペースにぎっしりと楽器が並んでる。
サックスもあった。テナーだけど。
案内されたのは壁際のテーブル席。横を見るとソファ席はもう埋まってるっぽい。けどお陰でステージはほぼ目の前だった。
周りの目を気にしつつ楽器を置いて席に着くと、隣では既にサラがメニューを抱え込んで上機嫌だ。
「よっしゃ~飲むぞ~」
「ライブ見に来たんじゃなかったの?」
「お酒を飲みながらライブを見るの!」
「はいはい。まあいいけどね。とりあえず抱えてないで、こっちにもメニュー見せろ!」
そうして無理やりメニューを引き寄せたはいいけど、見たこともないカクテルの名前がずらーっと。
しかも高い……。
「よくわかんないから、カシオレでいいや」
「なんでよ! もったいない」
「よくわかんないカクテルに貴重なバイト代出す方が、勿体ないでしょうが」
「はしゃいでないで俺にもメニューくれよ」
やっとメニューを頼んでドリンクが届くと、
「かんぱーい」
「いや~気兼ねなくお酒飲めるなんて、やっぱ成人って素晴らしい!」
「何それ」
やって来たお酒を飲みながら、くだらない話をしてた。
そして開演時間を5分程過ぎた頃、ステージに人が上近づいてきた。
「あの人達が演奏する人?」
「じゃない? 先輩もフロントの女の人、綺麗だったって言ってたし」
ラメの入った短めの紺のドレスを着たその人は、女の私から見ても見惚れてしまう程美人だった。
ヒールを履いてるのもあるけど、結構身長も高そう。
胸元過ぎまであるパーマヘアーも大人っぽくて魅力的だった。それに暗くてよく分からないけど、若干染めてるっぽい。
その人はステージに上がると、
美人で同じサックス吹き。益々テンションが上がってきた。
『こんばんわ。本日は”サー・ルドルフ”へお越し頂き、ありがとうございます。
私達はここで定期的に演奏させて貰っている”
本日も拙い演奏ではありますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
あまりMCも得意ではありませんし、早速始めていきましょう。それではスタンダードからまずは一曲、”All the things you are”。お聞きください』
短い挨拶を終えてマイクを下げると、私のものより一回り大きなサックスを構える。
次の瞬間、ピアノの低くトリッキーなイントロが流れ、それが途切れた瞬間太く艶やかなメロディがサックスから流れ出した。
——その瞬間、鳥肌が立った。
テナーサックスとは思えない程軽やかに、けど見た目通りの艶やかで繊細な音使い。
早いパッセージでも乱れない、粒の立った音。
私とは月とすっぽん……どころか微生物かか何か程も違う、カッコいいアドリブ。
少しでも参考になればと思ってたけど、どれを取っても異次元過ぎて、何一つ参考にならなかった。
その後もブルース、バラード、コンテンポラリーと次々と曲は変わり、それに合わせてサックスの音色も次々と変わり、私は片時も目を離せなかった。
生で聞いたのが初めてだからっていうのもあるだろうけど、あの美しい姿と音色に、私はいっぺんに骨抜きにされてしまった。
まるで演奏中ずっと息を止めていたかのように、曲が終わると長い溜息を吐き、曲が始まると深く息を吸い込んで、呼吸の音に音楽が乱されないように聞き入った。
* * *
『本日は私達の演奏を最後までお聞き頂き、ありがとうございます!
オンドラムス!
そしてサックスは私、”ryo-ko”こと
本日は本当にありがとうございました』
そうして彼らはステージを降りて裏へと消えていった。
私はと言えば、夢見心地のまま最後の一人がいなくなるまで、ずっと手を叩き続けていた——。
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