Night And Day ~夜も昼も~
「あ~! チュニジアの8バース~!
「まだ言ってんの?
いいじゃん、最近のマイブームなんだから。
それにリハでもやってたんだから、入り損ねたのは
「そりゃそうですけど~」
あの入りは最悪だった。お陰でBメロはぐっだぐだ。
あ~思い出すとまた凹む……。
「キングもなんか言ってやってよー。
ソロがキモイとか、女たらしとか、放逐してやるとかさー」
「放逐? ってかそんなこと言ったら、僕が解雇されちゃうよ。
それよりそのドレス、着替えたら? 上着羽織ってても外出ると寒いよ?
お酒こぼすとシミになっちゃうし」
「いいの~! 汚れたら
「皺くちゃにして良ければ請け負うぞ?」
「そんな事したら通のフォデラ、塩水で洗ってやる!」
「はいはい。
ライブ中、前の方に楽器持った学生っぽい子達いたじゃん? 大方先輩風吹かして、いいとこ見せようとか思って気張ったんだろ?」
「酔ってないし、吹かしてません~」
「けど女の子の一人は、アルト持ってたね」
「さすがキング、よく見てる! 結構かわいかったよね」
「胸もお前より大きかったんじゃね?」
「
判決を下すと、敏さんは自分の首を吊るジェスチャーをした。
「てか涼子、スマホ光ってんよ?」
「ほんとだ。——あ! さっきの投稿にもうコメントついてる!」
「誰?」
「知らない人ー。見に来てくれてた人かな?」
大体コメントくれるのは、友達か付き合いのあるバンドのメンバーさんだけど、今回の相手には見覚えない。
コメントからプロフィールに飛ぶと、かわいいコーギーと一緒にアルトサックスが映った写真が出てきた。
「あ! これ大学2年でジャズ研って書いてるし、さっきの子じゃない?
『感動しました』とかめっちゃ褒められてる!」
「お、すごいじゃん」
「けどまあ、そのカッコでテナー抱えてりゃ、純真無垢な後輩ちゃん達にはさぞうまそうに見えんだろうな〜」
「死人は黙ってる!」
手で「しっしっ」と敏さんにジェスチャーしておいて、キングと通にだけコメントを見せて、その後で貰ったコメントに早速返事を書いた。
このバンドでライブに出るようになって8ヶ月。こんな風に応援メッセージを貰ったのは、私が覚えている限り初めてだ。
「リンゴちゃんか〜。また来てくれるかな」
「こんだけ涼子ちゃんのこと褒めてるし、また見に来てくれるよ。
次回の日程も送っといたら?」
「返信に書いといたよ。その辺は抜かりなく!」
結局気付けばライブでの失敗のことなんてすっかり忘れて、その後はかわいい固定ファン獲得の話で盛り上がった。
途中から記憶あんまないけど、薄らと楽しく話した記憶だけは残ってる。
◇ ◆ ◇
「うぅ……」
——頭痛い。
昨日は飲み過ぎたっぽい。頭が重くて平衡感覚が定まらない。
「おはよ——て酷い顔だな。顔洗って来たら?」
人がやっとの思いで寝室から出て来たと思えば、早速そんな失礼な言動を浴びせられる。
顔を上げると、
男の一人暮らしの割に小奇麗な1DK。——そうだ、昨日は
「おはよ……。私の分ある?」
「一応焼いたけど、そんなんで食えんの?」
「食べる……。それより今日レッスンだっけ」
「15時からね。
「うん、13時からね」
「そんなんで平気かよ? 接客なのに」
「出るまでには何とかするわよ」
それだけ言って、洗面所へ引っ込んだ。
鏡を見ると、青白く生気の失せた悲惨な顔。これじゃ通に引かれるのも仕方ないかもしんない——。とりあえず顔を洗って、最低限見れる顔に修正する。
それだけけ済ませたら、冷めたら嫌だからホットサンドを食べに戻る。
食欲がないかと思ったけど、かじってみると意外に食べれる。
「今日のもなかなかおいしいね」
「そりゃどうも。
ってか二日酔いの起き抜けで、よく食えるね」
「いいじゃん別に。
昨日あんま食べてないから、お腹空いてんの」
「はいはい。ごゆっくりどうぞ、酔いどれ姫」
「うっさい!」
食べ終わった通は私を茶化して、ローソファーから腰を上げ、流しへ自分の食器を運んでいく。
私の横にはエレキベースがスタンドに立てかけられ、ミニアンプには電源が入ったままだ。そして机の上には、バラの楽譜が置いてある。
「仕事入ったの?」
「うん。地下アイドルのレコーディングだってさ」
「どんなグループ?」
「よく知らない。けどとりあえず動画見た限りだと、きゃぴきゃぴしてたよ」
通は食器を流しに置くと、私の後ろを通ってまた隣に座った。ベースを膝に抱えてヘッドホンを被ると、机の上の譜面を眺めながらそれを弾き始めた。
アンプからの音は聞こえないから、弦を
もうすぐ付き合って2年。こうしてベースを弾く通の横で休日の朝を過ごすのも、すっかり日常だ。
通と初めて会ったのは、両親のいるオーケストラのコンサートに行った時だった。
通は別の楽団員の後輩で、公演後の楽屋で先輩と話していた。
その後も何度か楽屋で顔を合わせて、気付いたら自然と話すようになっていた。
実際に話してみると4つも年上で驚いたけど、お互いジャズをやっているのが分かったら、自然と距離が縮まった。
そしてその年のクリスマスから、私たちは付き合い始めた。
そうして付き合って分かったのは、通はとにかく忙しいってことだった。
スタジオミュージシャンと講師の仕事で、土日関係なく出掛けるし、家にいる時も暇さえあればベースに触ってる。
まあ私も授業の後は練習室借りて練習してるし、あまり家にいないって意味では大差ないんだけど。
こうやって見てると、やっぱりお互い音楽第一の生活は変えられないし、きっとこの付き合い方が一番いいんだって思う。
「ご馳走様」
ホットサンドを食べ終えて、わざと見えるように譜面の前に手を出して合わせる。それに反応して通が耳からヘッドホンを外した。
「はい、お粗末様」
「ね、体調大分戻ったし、通のスタジオ行って私も少し練習したいんだけど。
どうせ通もレッスンの前に練習するでしょ?」
「まあね。そっちは時間平気なの?」
「今から準備すれば、ぎりぎり1時間半くらいは取れるよ」
「なら行こっか。洗い物しとくから、涼子準備しちゃいな」
「ありがと。じゃあ急ぐね」
お礼だけ言って、こっちに置いてある化粧道具を後ろの棚から持ってくる。
さっきより体調と顔色が戻ったからか、化粧乗りもさっきよりいい。
化粧を終わらせて、寝室のクローゼットの一角から自分の服を引っ張り出す。
こっちに置いてある服はデニムとかパーカーとか、カジュアルな服が多いから、逆にあんまり悩まない。
カーキのチノパンと、白のプリントロンT、Gジャンを選ぶと、手早く髪をまとめて着替えを終わらせた。
「準備出来たよ」
「んじゃ行こっか」
通は軽くキスをすると、荷物を取りに行った。
* * *
「アドリブ入りのフレーズ、少し流れ過ぎかな。全部吹ききれてなくて、終わりがちょっと遅れてる」
「うーん………やっぱりこのフレーズ、この速さでやるのはまだちょっと無理かなぁ」
指摘されたフレーズをもう一回ゆっくり吹いてみる。
最近よく聞いてる女性ピアニストが良く使うフレーズで、かっこいいいから耳コピしてみたんだけど、やっぱりまだ指に馴染んでない気がする。
二人でスタジオに入ると、大体はこんな感じでセッションしながらのレッスンみたいになる。
通はやっぱりプロだけあって、ドラムのいないデュオでも、すごい安定していて吹きやすい。
ピアノやギターがいないから厚みは物足りないけど、お陰でお互いの音が良く聞こえて、いい練習になる。
だからこうして、悪いところがあるとこうしてすぐバレるんだけど。
「んじゃもっかいやる?」
「これはもういいや。次Night And Dayやりたい」
「ボサノバ? まあいいけど。
俺アドリブやんないぞ?」
「分かってるよ」
通はスタンダードの譜面は殆ど覚えてる。私も半分くらいは覚えたけど。
音大にいた頃の通は、ジャズバーで生演奏のバイトとかしてたらしく、その時にあらかた覚えてしまったんだそうだ。
「イントロはどっち?」
「ボサだし、そっち8つイントロ入れて貰える?」
「了解。んじゃ最後はそっちに任すから」
それだけ話せば打ち合わせは終わり。
ベースがボサノバのリズムをを刻みだし、8小節目で
この時間が私はとても好き。
お互いの呼吸を読み合って、一つの音楽を作りだす。その作った音楽の上で更にまた遊ぶ。私がアウトしていくと、通はそれに気付いて一緒に転調したり、敢えてそのままだったり。そういう反応一つ一つで、相手がどう考え、どう音楽を作って行こうとしているのかが少し分かる。
色んな人とそういう音の交換をして、その場限りの音楽が生まれる。
——そう、音楽はいつだってその場限りだ。
そんな世界に身を置く通が、羨ましい。
けどそれがどれだけ大変で難しいか、私だって現役の音大生なんだ。それ位嫌って程分かってる。
どんなに頑張ったって、食べて行けるのはほんの一握り。
一流と呼ばれるのはその中のまた一握り……。
通は『ホントの天才以外、音楽なんて仕事にするもんじゃない』っていつも言う。
それでも、この世界で一生生きて行けるなら——そう願わずにはいられない。
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