第3話知りえたもの
太陽が西に傾き、一日の務めを終えていく。
建物に人の出入りはまだあるけど、屋上にはすでに人の気配はなかった。ここまで来るのも一苦労だったから、デパートの屋上にやってきたこと自体がやれやれと言った感じだった。
でも、ここからの眺めを見たら、そんな感想はいっぺんで吹き飛んでしまったよ。
正直言って、想像以上だったね。
何十年も過ごしてきて、この街で知らないことなどあるはずがない。そう思っていたあたしが、思わず息を飲み込んでしまったさ。
車の光が連なって、光の帯を作っていく。家々の明かりは暗い世界に温かな営みを描き出しているようだ。シャッターを下ろした商店街ですら、かつてのにぎわいを思わせるほど、明かりがしっかりと灯っていた。
時折通る電車の窓から、あの散歩道が照らし出されている。光と闇が互いに入れ替わるように、散歩道に現れていた。
まるで、あの散歩道が動いているかのようじゃないか。いつもの場所が、違って見える。
なんてきれいなんだろう。
見上げる景色と見下ろす景色。近くで見るのと遠くから見るもの。同じものでも、まるで感じが違っていた。
鳥が見ている景色は、こういうもんだったのだと、この年になって初めて知ったよ。
まだまだ、あたしの知らないことは多いという事かい。そして変わるのも、まんざら悪くはないもんだね。
ふっ、これはあのワルガキどもに感謝するべきなんだろうね……。
あたしも、そしてアンタもだよ。
ああ、やっぱり来たんだね……。
後ろからゆっくりと近づいてくる足音は、紛れもないあの子の足音だった。
そうか……。あんた、やっぱり……。
自然とそういう顔をする人間をよく見てきた。それだけじゃないけど、あたしはそれをみる事が出来るようになったもんさ。
どれ、世話を焼いてみるかね。
*
「たまおばあちゃん!」
軽々と飛び込んだ先。驚きの声をあげたあゆみちゃんは、あたしをしっかりと受け止めてくれていた。
「たまおばあちゃん。びっくりしたよ。でも、ふさふさなんだね……。気持ちいい……。色も艶も想像以上だよ……。こんな感じだったんだ……。私、知らなかったよ。おばあちゃんなんて言ったら、失礼だったかな?」
柔らかな手が、あたしの体を優しく包む。それはこっちの台詞だけど、今はこの街からもらったもんをアンタにも分けてあげるさ。
「それに、優しい目をしてるね。これだけ近くだと、なんだか引き込まれそう……。深い、深い、闇の中……。こんな……」
あゆみちゃん、アンタに何があったのかわからないよ。でも、それはいつでもできるんだ。まず、変わってごらん。それからでも遅くはないさ。この街が、必死に生きているように、アンタももう一度あがいてみな。
これは街がくれたもんだけど、どうするかはあんた次第だよ。
「ふう……。なんだか、たまおばあちゃんにはかなわないなぁ。ありがとう、たまおばあちゃん。こんなふさふさを味わえるのなら、私……」
決意がこもった眼差しは、もう街の方を向いていなかった。あたしを抱いたまま、元来た道を戻っていく。まあ、あたしもこの方が楽だしね。このまま下まで、一緒に行ってやるとするかね。
それにしても、ヒトは不思議な生き物だよ。
ほんの少しの事で変わる事が出来るんだからね。まあ、たまに悪い方に行くのもいるけど、そこからも変わるんだから面白い。
そして、その住処の街も同じだね。
あたしは変わらず生き続けている。でも、変わるヒトの世界で暮らしているんだから、もしかすると、知らずに変わっていたのかもしれないね。
この街とそこに住む人間と共に。
(了)
街と人のあいだに あきのななぐさ @akinonanagusa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます