一冊目 愚かさとつながりの世界

第3話 愚かなつながり

 明音ちゃんを雇って、凡そ一週間。

 特別大変なことも起きなければ、明音ちゃんのトラウマが唐突に解消されたなんていうこともない。

 ただ、ただ。

 定期的にやってくる、後悔を抱いた影を相手に物語を書き換え続けるだけの毎日だった。

「おつかれさま、錆びた物語を読むのは辛いでしょ。お茶にしようか」

「あ、はい・・・。でも、私はまだ、ただ芦谷さんについて行ってるだけで何もできていません・・・」

「どんなバイトにだって研修期間はあるし、これは特殊っていうレベルじゃないから仕方がないさ。でも、もしどうしてもそれが気になるっていうんだったら、お茶を淹れてきてよ。それだけでも、明確に一つ仕事をしているよ」

「・・・わかりました、淹れてきます。紅茶ですか?」

「うん、それで。砂糖は2つね」

 

 結局、なんで彼女が”声”を聴きとれたのかはわからなかった。しかし、本屋のお爺さんの形見として持っていた栞が人の物語に挟める特殊なものだとわかったからには、彼女を後継者として育てるのも一つの手かな、と考えていた。

 一体、彼女の恩人のお爺さんは何者だったのだろうか。

 そんな疑問がなくもないが、栞を作る手間が省けたということにしている。

 

「お菓子は、適当に持ってきちゃいましたけど、大丈夫でしたか?」

「うん、大丈夫。好きに食べちゃっていいから」

 ミルクをカップに注ぎ、紅茶を入れて砂糖を溶かす。そして、缶からクッキーを取り出して口に放り込む。ただのんびりと過ごす。

 一時間くらい経ったのだろうか、あるいは三十分くらいだったのかもしれない。


 からんからん、と店の扉の鐘が鳴る。

 いつの間にか手元に現れている本を開いて、お客さんを迎え入れるための準備をしようとして手が止まった。

「・・・こういうときって、どうするんですか?」

 いつもなら、多少なりとも読める部分があるはずの本は、真っ黒で何も読むことができなかったのだ。

 

 

 

 仕方がなく白い本を手に取って、お客さんの前に出る。

 明音ちゃんならば、無限に並ぶ書架の群れ、あのお医者さんならば戦争によって生じた焼け野原の真ん中。ほかにも、物語の舞台は、山の頂であったり、ただの街中であったりとさまざまであったが。

 今回は、何もなかった。

 ただ、ただ真っ黒で、登場人物と自分たちだけがぼんやりと浮かび上がる。

 そんな舞台に立たされていた。


「これって・・・」

「うん、絶望しきってしまって黒く塗りつぶしてる。何も残ってない。残したくないんだろうね」

「そんなの、どうしようも・・・」

 そう、彼女がいった通りで、もうどうしようもない。

 暗闇からは誰のともわからない笑い声の中に、明瞭に、明確に、しみわたるように、罵倒の声が聞こえてくる。理由など、始まりなど、相手はきっと覚えていないのだろう。日常的に罵倒をつづけ、それが日常の一部となってしまい。

もう、理由なんていらなくなってしまったというところだろうか。

ただ、自分の欲求のためにみんなで囲んで傷つける。

大きな力で傷つけられ続ける、そんな理不尽な物語の成れの果てがこの人の物語だ。

「こうなったものは、もう処分するほかにないんだ」

「処分・・・そしたら、この人の旅は」

「そう、おしまいだ。だけどな、やらないともっとたくさんの物語が塗りつぶされてしまう」


「これから、この物語を送る。よく覚えておけよ、忘れるなよ。あの世界において、つながりはとても大きな力を生む。だけどな、それが正しく全ての人にとって良い方向に使われるということはめったにないんだ」

「・・・、そうですね」

「だから、こういう時にはこれを使う」

 白い本の表紙を捲り、お客さんの真っ黒になってしまった物語をその本の間に挟む。

「それは?」


「平穏と悠久の世界、なにもおこらない、なにも作用させることができない世界の入り口だ」

「それって、この間言っていた・・・」

「旅の終着点だよ。ただただ、漂いながら眠るだけの世界。寿命も来ないし、悩むこともない。管理者だけがそれを観察し管理するだけの保管所だ」

「ということは、この人の旅は」

「終わりだよ。ここに送られてしまうからには、これ以上進むことはできない。戻ることもよっぽどのことがない限りはできない。ある意味では、本当の死といえるだろうね」

明音ちゃんはまだ、何かを言いたそうではあったがこれ以上は説明をするつもりもなければする時間も残されていない。

「おやすみなさい」と白い本へといざなう呪文を唱える。


途端に暗く何も見えない世界のそこらかしこから白い光が浮かび上がり、消える。

物語が物語に吸収されることで生じる現象だ。

お客さんの物語は少しずつ漂白されていき、次第に真っ黒だったページが真白へと変化していく。

「今から、書き直せれば・・・」とつぶやく声が聞こえるが。

もう、この綴り手は肉体を失ってしまっている。

これ以外には手がないのだ。

そういう風に自分を納得させて、物語を食わせ続ける。

やがて、完全に世界が白く染まり、またそれが薄れ、十和堂の食卓へと戻ってきた。




「なにか、手はなかったんですか」

「うん、ないよ」

しつこく訊ねると、芦谷さんは少し目をそらした。

きっと、何か手はあったのだろう。

それがどんな手なのかは想像もつかないけれど。

もしかしたら、本当にろくでもない手のかもしれないけれど。

無責任な考えではあるけれど、それをやってみてもよかったのじゃないかなって思ってしまう。

「そういう考えはね、昔はあったし大切なことかもしれないと今でも思うけどね。割り切らなければやっていけないよ」

悶々としている私を見て、何かを思い出したのか。

つぶやかれた彼の言葉の続きは、沸騰したやかんの音にかき消された。




「あ、砂糖がきれたな・・・」

「買ってきましょうか?」


「うん、そうだね。おねがいしようかな」

そう言って彼は灰色の本と青白色のコインを4枚取り出した。

「あの、これどこのお金ですか?」

「ん。ああ、ごめん。そういえば、まだ一度もおつかいはお願いしていなかったね」

彼が本を開くと、唐突に外が吹雪始める。

「はい、これ。翻訳機、なくさないでね。もう買えないものだから」

「いや、あの・・・いったいどこに・・・」

「この扉の向こう。2枚分だけ砂糖を買ってきて。あとは、好きなものを買ってきていいよ」

店内につながる扉を指さして、行った行ったと追い立てられる。

邪険にされている感じはないけれど、きわめて怪しい態度の変化に嫌な予感がする。

どちらにせよ、拒否権なんてないのだからと腹をくくり扉をくぐった。



吹雪いてはいなかった。

それどころか、青空が広がっている。

寂れたお店が立ち並び、人ならざるものが歩いている。

私みたいなのが珍しいのか、時折視線を感じながら道を進む。

いまいちよく違いが判らない文字で書かれた店の名前を渡された翻訳機でスキャンしていく。

ジャンクパーツ屋、娯楽屋、メンテナンス用具、景色屋・・・。

ようやく、甘味材料と書かれた看板を見つける。

「すみません、砂糖をください」

翻訳機がこちらの言語に自動的に翻訳して再生する。


「はいはい、ん・・・、その翻訳機。アシヤさんのところの子?」

「あ、はい。明音っていいます。えっと、あなたは・・・」

「私はサラ、このお店の店長よ。それで、今日はお砂糖かな?」

「そうです。いつも芦谷さんはここでお砂糖を?」

「うん、ここ以外にお砂糖を売っているお店はないからね」

「え、じゃあ。ここに住んでいる人たちはお砂糖はここに買いに来るんですか?」

「いいや?味覚を有してる生物は少ないからね。主に買いに来てくれるのはアシヤさんだけだよ」

「味覚がない?」

「そう、味覚がないんだ。うん、君の住んでいた世界だと考えられないことなのかもしれないけど、味覚がないから、このカロリーの塊みたいな丸薬とか点滴だけでも生命活動に支障はきたさないんだ。買ってく?」

「い、いえ。いいです・・・」

「そ、残念。この素晴らしさを知ってもらいたかったんだけどなぁ」

彼女は残念そうに取り出した丸薬を口に放り込んだ。


アシヤさんによろしくね、と砂糖の入った袋を渡したのち見送ってくれた彼女は、しばらくこちらを見ていたが、何かを思い出したのか店の中へと慌てて戻っていった。




好きなものを買ってきな、といわれたものの、特に何かを買うことなく帰路へ着く。

夢屋とか翻訳された看板には気をひかれたが、表に出ている名札を見てそのまま素通りする。

甘い夢と書かれた商品が砂糖の10倍の値段をつけられて転がされていたのを見て怖じ気づいたわけである。

後々考えてみれば、味覚を持つ生物が少ない世界で砂糖の価値は低いだろうし、夢というのが夜見る夢を指しているのなら娯楽品に相当するのだろうから高くなるのは当然のことと納得はできる。


大分道を戻ってきて、あと少しで最初の場所というところで、古本屋と翻訳された看板に気を惹れ入店した。

投げ売りコーナーの本なら残っているお金で10冊は買える値段だったため、中に入ってもそこまでは高くないだろうという考えもあったが。

あの十和堂の書架のように無限に続くというわけではないが、それでも街の図書館よりはたくさんの本が書架に収められており、その一冊一冊が古びてはいるものの、大事に修繕されたりと店主あるいは前の持ち主が本を大事に扱っていることがわかる。


「いらっしゃい。おや、この世界の住民じゃないとは珍しい、趣味に合うかはわからないが、ゆっくり見ていってくれ」

鷲の頭を持った二足歩行生物が出てきてそういった。

「おっと、これは驚かせてしまったかの」

「い、いえ。すみません」

いいや、よいよい。慣れている、鷲はそう言ってまた店の奥へと戻っていった。


書架を見ていると、小説らしきものから歴史書、専門書。あるいは同人誌から雑誌まで、ありとあらゆる本が売られていることがわかる。

なんとなく見覚えのあるような料理の本や、やけに大きな目の女の子が書かれた漫画とか、この世界の過去の娯楽文化の一端が垣間見える。

本をあさっているうちに、それを見つけた。

それは、物語の作り方と題されたもので、他の本に比べると明らかに分厚くなっている。気になって開いてみれば、真っ白なページがただ続くだけで、本というよりは日記帳のようなものな気がした。

値札は残っている二枚の硬貨分でちょうど買うことができる値だ。

渡された分をそのまま使いきるなんてよいのかな、と迷いに迷った挙句。

その本をもって鷲の人のところまで行く。

「そんな本あったかなぁ・・・。まぁ、値札が付いているということはあったんだろうなぁ・・・」と言いながら硬貨を受け取り本を袋に入れて渡してくれた。


また来てくれ。

鷲の人に見送られ、ようやく元の位置に戻って扉を開くと、十和堂のキッチンに帰ることができた。


「ああ、おかえり。ちょうどお茶を淹れたところなんだが、飲むよね?」

「荷物を置いてきます」

そうして、買った本を枕元に置いて、芦谷さんのもとへと戻り砂糖を渡す。

彼がお茶に二つの角砂糖を溶かして満足そうに飲むのを見て、色々とあった不思議な本のことは私の記憶からきれいさっぱり消えていったのだった。

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果てに、世界を綴る ねこの足音 @astluft

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