どうしても分からないまま
玉山 遼
あの王様を思い出した。
顔が腫れ上がるまで殴り、嘔吐するまで蹴り飛ばす。そうやって「彼女」を酷く痛めつける妄想から我に返ると、なぜこの世界では「彼女」を痛めつけてはならないのか、と不満でならない。
そういった妄想は、多く風呂場で繰り広げられる。目の前にある鏡にシャワーを浴びせると私の顔が露わになり、眉間に皺が寄っていると気づいた。走れメロスの、あの王様を思い出した。眉間に深く刻み込まれた皺。人を信じられないと言った、あの王様。
人が信じられない。そこまで思い詰めたことは、私にはない。だけど信じられないから殺してしまいたい気持ちは、わからないでもない。そうして自分は孤独だと酔いしれるほどの憐憫は持ち合わせていないが。
風呂場で顔と身体の保湿をして、長い髪をしぼる。水気の切られた髪は、手の形に歪んでいた。
肩にタオルをかけて、二階にある自室へ戻り、パソコンへ向かう。書きかけの小説を、書き上げてしまおう。
「すると、天から神々しい光が降りそそぎました。悪の化身である――は、その光を浴びてたちまち息絶えてしまいました。」
悪の化身の名前は、「彼女」のあだ名を捩ったものを用いていた。性格も、容貌も、「彼女」に寄せていた。
根性がひん曲がっていて、おまけに暗い。自分でも分かっていながら、しかし気づく人はいないだろうし、と「彼女」を悪役に設定することを止められずにいる。そういう負の力でもって、私の執筆活動は続いている。
しばらくしてエピローグまで書き上げた小説を、とある投稿サイトにアップした。少ないながらも一定のファンがついていて、今回の更新も心待ちにされていたのだ。その後、髪を乾かして寝る準備をする。明日は次回作の構想を練ろう。
すると、スマートフォンが震えた。
「最終話、読みました。」
にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながら、なかなかの長文である感想をスクロールする。躍り出したくなるほど、おだてているのではないかと疑うほど、褒めちぎられていた。
ありがとうございます、と口からぽそぽそ出しながら読み進めていった。しかし感想の最後の方で、空気が凍り付いたような感じがした。
「お伽噺じみた小説、とても好きです。ですが、勧善懲悪が過ぎるというか、悪役が可哀想というか。こんどは、ヒューマンドラマのような、登場人物の内面をクローズアップする小説を読んでみたいです。」
瞬間、スマートフォンをベッドの上へ力いっぱい投げつける。端末は跳ねて、床の上に落ちた。
あの悪役は、「彼女」は、良いところなんかこれっぽっちもない、最低な奴なのだから、成敗されるのが筋だろう。あんな奴、好きになる人なんているわけがない。
苛立ちが治まらぬまま、スマートフォンを床に落としたまま、ベッドに潜り込む。
分かっている。感想をくれた人の言う通りだと。悪いところばかりの人などいないし、反対に良いところばかりの人もいない。皆良いところも悪いところもひっくるめて、その人だ。
「彼女」も例によってそういう人間だ。だからこそ腹が立つ。私もそうだ。悪いところなど数えきれないほどある。その一つに器の小ささもあって、「彼女」ごときを赦せていない自分に、腹が立つ。
それに、「彼女」を悪役に設定して懲らしめたところで、自分の感情は昇華できていない。その方法では、無理があることに、薄々感づいてもいる。
今の私がやっていることは、子供の人形遊びと同じだ。自分の思うように動かして、悦に入る。
じゃあ、どうしたら赦せるのだろう。
そのことを考えているうちに、眠りについてしまった。
夢には「彼女」が出てきた。こちらには冷たい一瞥をくれる癖に、周囲には良い顔をしている。その切り替えの巧さが癪に障ることを、彼女から離れた今でも幾度となく反芻し、苛立っている。そして、羨ましがっている。
目覚めは最悪だ。他に貰った小説の感想はポジティヴなものばかりだったが、心躍りはしなかった。次の小説の構想を練ろうにも、勧善懲悪ばかりを書いてきたせいで、そうでない物語をどう書いていいのか、見当がつかない。考えは自然と、ヒューマンドラマを書いてみる方へと向いていた。
だとしたら、インプットが足りないのだ。それに、気分を変えるには外に出た方がいい。長い髪を巻いて一つに結わき、一番好きな服を着て、一番好きなメイクをし、大容量の帆布トートを小脇に抱えて図書館へと向かった。貸出カードも忘れずに。
図書館の、普段は読まない作家の名前が並ぶ一角で立ち止まる。聞いたことのない作家もいれば、一作だけ読んだことのある作家もいた。話題作は大概、貸出中。だから知らない題名ばかり。手に取ってページを手繰る。面白そうな本はそのまま、性に合わなそうな本は棚へ戻した。そうして手元に残った本は、予想通り十冊をゆうに超えていた。二十冊まで借りてもいいので、もう少し選定しよう。
貸出期間は二週間です、と司書のお姉さんが笑顔で伝える。それにこっくり頷いて、帆布トートいっぱいになった本たちを、大事に抱えて家に帰った。
手洗いをしてすぐ、本を読み始めた。私が今まで好んで読んでいた大冒険もなければ、魔法も、錬金術も、登場しない。あるのは生々しい人間関係と、それに翻弄される登場人物の心。いわゆる、ヒューマンドラマだ。
一日に一冊と半分ほどずつ読み進め、貸出期間より早めに読み終わる。それを返しに行く途中、頭の中ではどのような小説を書こうか、と想像が止まらなかった。
プロットを書く作業が、一番好きだ。ざっくりしたものしか書かない。そもそもプロットは書かない。そう言う小説書きも少なくないが、私は細かく細かく、思いついたことは全て書く。後々忘れてしまわないように。
まず、どういう人物が何をする話かをタイトルのように書く。そこから想像を広げてゆき、絵描きで言うところのラフをたくさん書いてゆく。何通りも書いて、一番納得のいく筋書きを採用する。
十四歳の少女たちが、吹奏楽を通してぶつかりながらも成長していく話。
大雑把に言えば、そういう話を書くことに決めた。ありきたりであるし、借りた二十冊の中の気に入った本に寄ってしまった節はあるが、公開すると決めたわけではないし、とりあえず書き始める。それに、ヒューマンドラマは未開の地だ。
書いているうちに、登場人物の女の子が、ある女の子といがみ合うようになった。これはプロット通り。しかしその先の、解決の糸口は示していない。(何となく上手くやって解決。)としか書かれていない。未来の自分に放り投げるのも、よくあることだ。
大きく息を吸いこみ、パソコンの画面を見据える。試しに一言、書いてみる。
「別に許さなくていいんじゃない?」
そこからの記憶は、あまりない。洪水のように頭から流れ出る文を打ち、流れに流されるまま、いがみ合うようになってからの場面を書き切った。後から見返すと、こんなことが書かれていた。
「先生にもいるよ。赦せない人。その人に良いところがたくさんあって、不特定多数の誰かから好かれているって事実にさえ腹が立つの。
でも、だからといって赦す必要はない。自分の中で、アイツがうざい、大っ嫌いだって感情が渦巻いているうちに赦す必要はない。まあいっか、って思える日を待つの」
「まあいっか、って思える日が来なかったら、どうしたらいいんですか」
「今はそういう心配、あるかもね。だったら赦さなくてもいいよ。心の底から嫌いな人がいたっていいじゃない」
そうか。私はこういう言葉を、待っていたのだ。嫌いでもいいと。赦さなくてもいいと。赦せない自分を、赦してほしかったのだ。
太宰の書いた王様も、誰かに赦してもらいたかったのかもしれない。それでもいいと認めてほしかったのかもしれない。人を信じられない、自分を。
「いやー」
書き終わって、ハッとさせられている自分が気恥ずかしくて、つい独り言つ。
「書くっていいねえ」
私は「彼女」を、当分は赦せない。何度も思い出して、むかっ腹が立って、妄想で殴る蹴るを繰り返すのだろう。
それでもいい。赦せない自分を赦せたら、どす黒い感情がほんの少しだけ透き通るような心地がした。
どうしても分からないまま 玉山 遼 @ryo_tamayama
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