第10話 めがみと愛のせいれい~はじまりのまえに~ 

 ここははくりゅうのさと。


 いまでないとき、そう……かこのおはなしです。


「母上、なぜ幸運の女神たるあなたが、大龍ターロンを手にかけられたのです……なぜ!?」


 女神とよばれたふくよかな女性は、物憂げに相手を見ました。


 目の前にひざまずく愛の精霊、小龍シャオロンを。


「大龍は、愛のしもべとなった……それが理由ですわ」


 その言葉に愛の精霊は、激しく動揺しました。


 女神は、かなしげに告げます。


「そのおまえの大龍もいまは死んだ。これでわかったでしょう、小龍。この世のどこにも永遠の愛などというものが、存在しないということが」

 

 女神は、愛をふみにじろうとしています。


 愛の精霊は、必死で言いつのりました。


「いいえ! 愛こそが命の源流。愛があって初めて花は咲く。わたくしは根づくもののない荒野に堕とされようと、たった一輪、咲く花を見つけてみせるです!」


 残酷な笑みを頬に刻み、女神は悲し気な視線を伏せて笑います。


「ほほほ、ほ……幻想にうつくしく咲く花が、そんなにも恋しいのですか……いいきみですわ」


 その声はわずか、震えていました。


 小龍は強く、つよく相手を見すえました。


「見せてやるです。本物の愛の力を!」


 すると女神は、うつくしいヒレをひるがえし、小龍に背をむけました。


 薄絹が可憐な花のように、その姿につきしたがい、よりそうようにゆれます。


「思えば、おまえが産まれたときから全てが始まり、大龍とおまえの愛が始まったときから、帝はあたくしを顧みなくなった……愛を、欲するようになったのですわ」

「帝って?」

「おまえの父親です」


 女神の後ろ姿は、怒りなのか哀しみなのか、全てを拒絶するようにこわばって、緊張していました。


「真実の愛とはなんなのです。幸運が欲しいとあの方は願ったはずなのに、深い死の際に立ってからというもの、あるかどうかもさだかでないものを、追い求め始めた。あたくしには、わかりませんわ」

「…………」


 母である女神の後ろ姿をただただ、見つめる愛の精霊、小龍。


「『おまえがいれば、おれは幸せだ。意義のある人生だったと笑って言える』と……かつてそう言った口で、こんどは愛をくれと叫ぶ。そんなもの……そんなもの!」


 苦し気にうつむいてしまう女神に、小龍は言いました。


「愛は『そんなもの』ではないですよ」


 女神は大きく顔をあげました。


 けれど、なぜか泣いているように見えます。


「おまえはいいですわね。生まれたときから、愛の精霊だったのですもの」


 小龍は、その言葉の真意をはかりかねました。


「母上は、わたくしの産まれる前から、愛されていたのではないのですか。その、帝に」


 その問いが女神の心を打ちのめし、声は悲鳴のように響きました。


「……そうよ、そうだと思っていましたわ。けれど、幻想でしたのよ。ですからおまえの愛のしもべ、大龍を殺したのですわ! 憎くなって……」


 ふりかえった女神の目は紅く、悲し気にゆがんでいました。


 小龍はつとめて静かに問います。


「大龍が、夢の使者、希望の精霊だったからですか」


 女神は小龍とは逆に、きりきりと眉を吊り上げています。


「あたくしにとっては愛などのろいと同じですわ。いまいましいちからで、運命をねじまげてしまう、そう……のろいなんですのよ!」


 吐き捨てるようなセリフに、小龍も顔を曇らせました。


「その理屈なら、あなたはよほど愛を単純なものだと考えている。幸運の女神もたいしたことはないです」


 その言葉に、女神はハッとしました。


 白竜の里に、女神に対してこのようなものいいをする精霊は、小龍以外にいません。


「なん……ですって?」


 女神は、動揺を隠せませんでした。


 唇をわなわなと震わせて、怒りに燃えています。


 小龍はそれでもかまわず、言葉をつづけました。


「幸運を渇望するのは、無力な運命を変えるためです。のろいに飢え乾くものなどいない。あなたはご自分の実力不足を棚にあげて、愛をおとしめている!」


 その瞳は決然としていて、女神の心を射抜きました。


 女神はそれを隠そうと、声を荒げます。


「知っているのですか? 自分の幸運を願う気持ちは、他人の不運を願うのと同じことなのです。愛も同じですわ!」


 それは、苦し紛れの断末魔。


 いま、女神の心は、はり裂けてしまいそう。


「あなたは、なんにもわかっておられない。愛に、不愛などというものはないのです。あるのは不純な動機だけ」

 

 その言葉に、女神の顔はカッと赤く染まりました。

 

 まるで帝との愛の記憶を、泥で汚されたように感じたのです。


「ゆるしませんわ! おまえだけはね!」


 愛の精霊は、その言葉に声を大きくして訴えます。


「あなたがゆるさなくても、愛は、愛だけはゆるぎのないもの。わたくしは愛の始まりの前へとさかのぼって、大龍を探すです。そして、二度と終わらせたりはしまい」


 女神はイライラと握りこぶしを開いたり、握ったり。


 それでも怒りはおさまりません。


「いくらおまえの力でも、産まれる前にはもどれまい!」

「やってみせる」


 小龍は、強気で言い放ちました。


 まなざしは深紅に輝いています。


「ほほほ……やってごらんなさい。もしできたなら、そのときはほめてあげますわよ」


 女神がいいしれない感情に、吹き荒れながら冷たい目で言いました。


「いらないお世話です」


 愛の精霊は、視線を伏せ、くるりと背中を向けました。


 女神はそれを追うように、追い落とすかのように怒鳴ります。


「産みの母にさからうなど、不可能。もう、おまえなど! 永遠に白竜の里からいなくなってしまえばよいのです!」


 女神は言ってしまってから、はっとしましたが、もう遅く、小龍は走り出していました。


「母上……さよならです!」


 深い霧の中から、小龍の別れを告げる声が聞こえました。



 そして現在。


 白竜の里は、天にあります。


 そこには、過去をなげき、雲に横たわって下界をのぞく、女神の姿がありました。


「もう、あの頃にはもどれないのよ……本当に、バカなあたくし」


 幸運の女神の顔は、悲しみと後悔に曇っています。


 その手には小龍の虹の球が、そっと握りしめられていました。


「本当に……バカだったわ。愛を失ってから気がつくなんて」


 あれから時がたって、彼女の愛する帝は亡くなってしまったのでした。


 女神は、涙と共に、小龍の球を手からはなしました。


 乳白色ににごったその球は下界に落ちると、コロンたちの頭の上へ落ちてきます。


 その球は、老犬のロンロンに当たって転がりました。


 ロンロンはあまりの痛さに気絶してしまいます。


 ところが、ちっちゃなコロンがその球を拾い、見つめると、球は虹色に輝きだしたではないですか。


 そして持ち主であった小龍の記憶が、コロンに流れこんできました。


 虹の球が、不思議な力を放ちます。


 持ち主にしか発揮できない、虹の力でした。


 コロンは、小龍がかつての自分のことだとは、気がつきません。


「愛のありかと、はくりゅうのさとのばしょは、小龍がしっているでしゅ!」


 コロンは明るく言って、ロンロンを起こしました。


「小龍をさがして、あらいざらい、しゃべっておしえてもらうのでしゅ」


 ロンロンは、むくりと起き上がりました。


「あいててて。そう、うまくいくものかいのう」


 ロンロンはコブをおさえて、疑問を口に乗せました。


「うまくゆかせるのでしゅ!」


 コロンは握りこぶしで、いつものように元気に主張しました。


「強気だのう」


 ロンロンとコロンが、渋谷の雑踏の中、進んで行きます。


 ふたりの影が、ショーウインドウに映りこむと、通りすがった少年がその姿におどろいた様子で、ふたりと影とを見比べました。


 ウィンドウに映っていたのは、この世のものならぬ美男と美女。


 小龍を背負った大龍でした。


 ロンロンが大龍で、コロンが小龍の姿でガラスに映っていたのです。



 ふたりは、尻尾をふりふり、仲睦まじく。


 スクランブル交差点を横切って、旅の空へ。


 失われた愛を求めて、旅をするのです……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラブラブ・コロン れなれな(水木レナ) @rena-rena

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ