第8話 ようこそ女子高等工科学校へ!⑥

 「気を付けぇ!」

駐屯地警衛隊の長である警衛司令が、早朝の静けさを吹き飛ばすくらいの怒声で号令をかける。藤枝駐屯地の駐屯地司令で、兼ねて陸上自衛隊女子高等工科学校の学校長である敷島渚は、立ち止まって答礼する。

「服務中、異状なし!」

「うん、ご苦労さん」

敷島が歩き始めると、警衛司令は「休め!」の号令をかける。

時刻は0620。普段は学校長専用の車両(クラウンアスリート)で登庁するのだが、ここ最近は運動不足解消のため徒歩で登庁している。登庁時間も駐屯地の隊員の登庁と重ならないよう0730にずらしてるのだが、今日は入校式とあって早めに登庁したのだ。

生徒たちが暮らす隊舎前を通ると、まだまだお客さん気分が抜けていない女生徒たちがあくびを噛み殺しながら縦列を作っている。これから食堂へ向かうようだ。

「まぁ、普通の女の子だったらこんなもんか」

隊舎を抜けると、総合教室舎がある。ここは生徒たちが授業で使う教室以外に、企画室や総務部、教育部などの各部署の事務室もあり、女子工科学校の本部といった所だ。

総合教室舎の正面玄関を入り、2階に上がると敷島が執務する学校長室がある。ドア横にはタブレットほどの大きさのパネルがあり、顔を近づけるとロックが解除される。

ドア上部にある【在室】と書かれたプレートが青色に光る。中に入ると、センサーが感知してライトが点灯し、カーテンが自動で開き始め室内に朝日が差し込む。

被っていたベレー帽をデスクに置き、バックを開けたところで部内用電話が鳴った。

3回鳴った所で副官の時任がいない事に気づき、慌てて受話器を取る。相手は陸上幕僚長の副官だった。その副官は敷島が名乗ると、まさか学校長直々に電話に出るとは思わなかったようで、用件を言い終えるまでに何度か噛んだ。

受話器を置いた所で、「あ、そういえば時任には登庁は7時で良いと言ってあるんだった」と思い出す。

ノートPCを開き、淹れたコーヒーを飲みながらキーボードを打ち始めた頃に時任が登庁してきた。

「おはようございます。少し遅くなりました」

「あぁ、おはよう。遅いったって、まだ10分前だ。もう少しゆっくりしても良かったくらいだ」

「いえ、本来なら30分前には来て室内の掃除をしなければならないのですから」

「掃除なんて私と一緒にやればいいじゃないか。そうすれば早く済むし」

「お言葉ですが学校長。もう防大時代の先輩後輩ではないんですから、(公私の別)というのを意識して頂かないと。私としては、子供を託児所に預ける時間を考慮して下さってるだけでもありがたいので」

時任は2児の母で、駐屯地内にある隊員向けの庁内託児所に子供を預けてから登庁している。この保育園は藤枝駐屯地創設に当たり、敷島が上層部へ要求したうちのだ。

駐屯地に女性隊員が多い特性上、まだ子供が幼い既婚者でも安心して勤務ができるようにと配置したのだ。

庁内託児所施設は自衛隊内でも数を増やしているが、藤枝駐屯地のように園庭まで完備している所はまだない。

「そうか。それはそうと、さっき陸幕長の副官から電話があったよ」

時任は掃除用ロッカーから掃除機を取り出すところで、危うく落としそうになった。

「え?こんなに早くですか?用件は何と?」

「あぁ、式典が始まる前に顔出すのでよろしくお願いします、だってさ」

「予定より早く来られるって事ですね。それで時間は?」

「0730」

時任は慌てて腕時計を見る。現在時、0702。

陸幕長あの人、確か8時過ぎとか言ってませんでした?」

「予定を急に変更するのが、井上教官の手口だから」

自嘲気味に笑う敷島に、時任は同意しつつ受話器を手に取った。

「おはようございます、時任です。1科長は登庁されてますか?実は陸幕長が予定より早く来られるようになりまして…」



「おはよう敷島!それに時任!二人とも相変わらず美人だな!」

「井上教官…いえ、井上陸将こそ、相変わらずお元気で」

変更した時間より更に早く(0720)到着した陸上幕僚長、井上辰巳陸将は現場が混乱した事を全く気に掛ける様子もなく、敷島と握手をする。そして、少し真剣な顔になり、「どうだ?体調の方は?」と気遣う様に語り掛ける。

「はい、準備などで休む暇もありませんが、時任や他の部下たちがフォローしてくれるので調子が崩れるという事はありません」

そうか、と井上が言うと、副官が持っていた紙袋から小さな箱を取り出す。

「お前たちの事だから、きっと人一倍、いや人二倍かそれ以上に頑張ってると思ってな。都内で有名なチョコレート専門店で買って来たんだ」

「それは、お気遣いありがとうございます。こちらは副官の方が買われて来たんですか?」

「いや、ワシが買って来たんだが?」

井上辰巳は、髪は短く刈った角刈りで、目つきも鋭くガタイも良い。

いかにも自衛官然といった風体だ。そんな男が女性客の中に紛れていて、よく通報されなかったなぁと敷島は感心したが、ありがたく頂戴し時任に預けた。

「それにしても、当日になって予定より早く来られるとは相変わらずお人が悪い」

「本当はサプライズで予告なしで行こうと思ったんだがな。副官から『さすがにそれは迷惑がかかるのでは?』って止められてな」

「えぇ本当に迷惑なのでそれだけはやめて下さい」

陸上幕僚長が駐屯地を訪れる事が決まると、まず各中隊は担当区域を分けて草刈りを実施する。そして陸幕長が通るルートにある官用車はすべてピカピカに洗車され、連隊本部の廊下はワックスがけ&各事務室は全力掃除。掲示物の配置までチェックし、全隊員はプレスのかかった迷彩服等を着用する。

そして警衛隊は警衛司令の指揮の元、配置できる歩哨数名をもって【執銃時の敬礼】を行うのだ。

陸幕長の来庁時間は事前に駐屯地内の全部隊に知らされており、警衛隊もそれに則って立哨を配置するのだが。

「わかってる。しかし、さすが敷島が率いる部隊だな。確か今日の警衛隊は310教支隊だったかな?ワシが突然訪れても慌てた様子もなく異状の有無を報告しとったぞ」

来庁時間の変更の連絡が間に合って良かったと、時任はコーヒーを淹れながら胸をなでおろした。

井上はソファーに深く座り、制服の内ポケットから煙草を取り出そうとすると、

「陸幕長。ご存知かと思いますがこの部屋だけでなく本部隊舎全体が全面禁煙となってますので、おタバコはご遠慮願います」

と教え子から注意され、軽く舌打ちをし煙草を戻す。

「ワシが若い頃は中隊事務室でも普通に吸えたんだがなぁ」

「今はもう時代が違います。因みに喫煙所は駐屯地内に2か所だけです。ご案内しますか?」

「阿呆。ワシなんか喫煙所に行ったら、他の隊員たちが委縮してしまってオチオチ吸ってられんだろ?」

「確かに」

時任からコーヒーを差し出され、井上はブラックのまま一口飲み「うまい」とカップを置く。

「で、今日は誰が来る?」

「誰が来るんだ時任?」

「学校長、昨日お伝えしましたが」

軽く溜息を吐き、時任はクリアファイルから書類を取り出す。

「山村首相に石橋防衛大臣、ほか国会議員数名に米軍からはインド太平洋軍司令官、韓国陸軍、オーストラリア陸軍からは高級幕僚、他は静岡県知事に藤枝市長と藤枝中央高校の校長と…、以上です」

「ほー、インド太平洋司令官まで来るのか?防大の入学式だって来ないぞ。それだけ注目されてるって事だな。自衛隊初の(女子工)ってのは」

「恐縮です。米軍も特殊部隊に女性が配属されるのもメジャーになってきましたが、さすがに軍直属の女子高まではありませんからね。どういう教育を行うのか興味あるのでしょう」

「だな。韓国軍も女性兵士の割合を増やそうと数値設定してるくらいだしな。ひょっとしたら女子工を見てから同じものを作ろうと思うかも知れん。…ところで、身体の方は本当に大丈夫か?」

少しだけ身を乗り出し敷島の顔をのぞき込む。思わずのけぞってしまうが、敷島はかつての教官が本気で自分の事を心配してるのだとわかった。

「はい。前は何回も起きてしまってましたが、今はちゃんと朝まで起きずに寝れてます」

「そうか。じゃあ、もうの夢は見なくなったんだな?」

敷島はの事を少し思い出したが、すぐに蓋をする事が出来たのでしっかり井上の目を見て答えた。

「いえ、時々は見ます。ただ、以前より回数がだいぶ減ったので」

それは良かった、と井上は膝を叩いて立ち上がり、副官を呼ぶ。

「お前の元気な顔を見れて安心したよ。少しでも気を紛れるかとこのプロジェクトにお前を指名したんだが、果たして良かったのかずっと不安だった。けど、杞憂だったな。時任、それにこの駐屯地の隊員たちの顔を見てたら、お前はしっかりやっているんだとわかったよ」

そう言って井上は右手を差し出す。敷島はその分厚い右手と握手すると、その握る力はさらに強くなる。

「本当に、本当によく頑張った」

「いや教官。これからですよ、女子工は」

冷めた声で答える教え子がおかしくて、豪快に笑う。

「今日はこうやって話せて良かった。さて、式の開始時間まで煙草を吸って来るか」

「陸幕長、他の隊員が恐縮するから喫煙所には行かないんじゃなかったですか?」

「あぁ、階級章を隠して吸うから大丈夫だ」

そんなの無理でしょ、とあきれ顔の時任を宥めつつ敷島は教官の背中を見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子工生の日常 たけざわ かつや @Takezawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ