後編

 雪村君の瞳を見てから、私は彼の瞳がもう一度見たい。という欲求と、彼と仲良くなりたいという願望から雪村君に話しかけるようになりました。

 最初は挨拶から。と次の日からさっそく声をかけるようになったのですが、雪村君は驚いた顔をして、それから無言で立ち上がって逃げるようになりました。

 亜美ちゃんには、どうしたの? と怪訝な顔をされましたし、他の子にも不思議そうな目でみられました。しかし私にとっては周囲の反応より雪村君に逃げられたことの方が問題です。

 次の日からは逃げられても追いかけるようになったのですが、彼は思ったよりも動きが俊敏でした。運動が苦手な私では追いかけるの不可能だとすぐに気づくほどには。


 見かけるたびに声をかける作戦は、周囲の人間には「またか」と思われるほど浸透しましたが、雪村君にはいくらやっても効果がありませんでした。

 話しかければ話しかけるほど、むしろ頑なに逃げられるようになり、私はしょんぼりと肩を落とし、次こそは。と拳を握り締める日々を送りました。そんな私を見て亜美ちゃんは「あんた、意外とメンタル強いのね」と呆れていましたが、褒め言葉だと受け取ることにします。


 そんな私を見かねてか、それとも前々から気に食わなかったのか、岡崎君が私に突っかかってくるようになりました。


 岡崎君は前々から雪村君を嫌っているようでした。女みてぇ。細い。先祖帰りだからって俺たちのことなめてる。と私からすると言いがかりにしか思えないことを、事あるごとに声を大にしていっていたのです。

 その姿が私は苦手で岡崎君からは極力距離をとるようにしていたのですが、雪村君に私が話しかけるようになってから「アイツに関わるな」「やめとけ」と不機嫌な声で言われるようになりました。

 いつもははぐらかして逃げたり、亜美ちゃんに間に入ってもらっていたのですがその亜美ちゃんもいません。


 他のクラスメイトは眺めているだけで助けてくれる様子はありません。それどころか面白がっている節まであります。

 自分でどうにかしなければいけない。そう悟った私は覚悟をきめました。けれど、機嫌が悪い岡崎君を前にどうしたものかと困ります。そもそも何で岡崎君がこんなに機嫌が悪いのか、私には全く見当がつきませんでした。


「雪村なんてちょっと見た目が珍しいだけだろ」


 ギラギラと鈍く光る岡崎君の瞳が私を射抜きます。一瞬だけ見た雪村君の瞳とはまるで違う。そう私は思いました。

 岡崎君の瞳はとにかく攻撃的で、見ていると逃げ出したくなります。しかし雪村君の瞳は綺麗で、ずっと眺めていたくなるようなものでした。

 この差はなんだろう。私は考えました。岡崎君のいうように珍しいからでしょうか。たしかに雪村君の色合いはとても綺麗で、日本人離れしています。先祖帰りだから。そう言われればそれまでですが、それだけでなく彼自身が綺麗に私には見えました。


「アイツ、すげぇ体冷たいんだぞ。アイツの近くの席のやつ、毎回寒くて大変なの知ってんだろ」


 岡崎君は私が何も言わないのに、勝手に文句を続けます。誰でもいいからとにかく雪村君の文句をいいたいのか。だとしたら私じゃなくて別の誰かに言えばいいのに。そう思いながら私は視線を動かしました。

 雪村君の隣の席の子が何か言いたげに私と岡崎君を見ていますが、視線だけで行動にはうつしませんでした。今の岡崎君はいつもに増して怖いので、私も気持ちはよくわかります。できれば関わりたくないのです。


「……だから雪村君、教室にいないようにしているんじゃないのかな?」


 私は思ったことを口にしました。本人に確認したわけではないですが、しばらく挨拶を続けていて確信した事ではあります。

 雪村君が教室にいないのは、教室よりも涼しい場所があるから。という以上に、ずっと教室にいると教室の温度が下がるからなのではないか。そう私は思うようになりました。

 私の言葉を聞いて、雪村君の隣の席の子が顔を上げ頷きました。彼女も私と同じことを思っていたのだと知ると嬉しくなります。雪村君が教室からいなくなる時、そういう時はたいてい彼女が鞄からひざ掛けを取り出した時でした。


 しかし、私の意見に同意してくれたのは彼女だけで、岡崎君は一層目を吊り上げました。何でアイツをかばうんだ。とギラギラどころか燃え出した瞳で私を睨みつけます。何でこんなに敵意を向けられているんだろうと私は小さくなりました。


「……お前、雪村のこと好きなのか」


 瞳は燃え上がっているのに、温度を感じさせない低い声が私の耳に届きました。岡崎君のいつにない声音に戸惑うよりも先に、私は聞えた言葉で思考が止まりました。

 好き……。好き? 好きなのでしょうか私は。雪村君のことを。

 白い髪は綺麗で好きです。白い肌も綺麗で好きです。一度だけ見た瞳もとてもきれいで、前髪で隠してしまっているのがもったいないなと思います。ほとんどしゃべってくれませんが声も好きです。性別を感じさせない綺麗な外見なのに、声は低めで男らしく、そのギャップが好きなのです。たまにしか喋ってくれないので、聞くことが出来るとラッキーだなと思います。


 雪村君のことを一つ一つ考えて、姿が見えないとどこにいるんだろう。と探してしまったことや、眠っている姿を無遠慮に眺めてしまったことを思い出して、私は何だかいたたまれない気持ちになりました。頬がだんだん熱くなってくるのを感じます。


「好きかもしれない……」


 どこからともなく、「今気づいたの」と呆れた声が聞こえた気がしますが、それよりも気になったのは慌てて逃げていくような足音でした。

 教室のドアを見ると、一瞬だけキラキラ輝く白い髪が見えました。この学校であんな髪を持っているのは雪村君だけです。

 慌てて私は後を追いかけました。運動が苦手だとか言ってる場合ではありません。後ろから岡崎君の声が聞こえましたが、そんなことに構っている余裕なんてありませんでした。


 この間は追いかけられませんでした。でも今追いかけなかったら絶対に後悔します。

 私は生まれて初めて本気で全力疾走しました。体育の時間だってこんなに真剣に走ったことはありません。


 雪村君は屋上まで逃げました。私は屋上に行けることを知らなかったので、ここもきっと雪村君の隠れスポットなのでしょう。2つも雪村君の居場所を知ってしまったと喜ぶ余裕もなく、私はぜぇぜぇと息をしながらなんとか屋上にたどり着きました。

 荒い息を整えながら屋上を見ると、雪村君が戸惑った顔でこちらを見ていました。


 屋上に一人立っている雪村君はとても儚く見えました。同時にとても不安になりました。

 今は夏で、外の気温は涼しいとはいえません。私ですら暑いのですから、暑さが苦手な雪村君が耐えられるとは思えませんでした。


「雪村君! 暑いから戻ってきて!」


 一番最初に出た言葉はそれでした。

 雪女の先祖帰りというものがどれほど暑さに耐えられるかは分かりませんが、そのまま溶けて消えてしまいそう。そう不安になったのです。


「雪女って妖怪は、人を凍らせて殺してしまうんだよ」


 雪村君は私の声が聞こえないかのように、静かな声で言いました。

 何でいきなりと私は戸惑いましたが、雪村君の表情は切実でした。とても悲しげで泣きそうでした。


「俺、感情が高ぶると周囲を凍らせちゃうんだ。だからあんまり感情を高ぶらせないようにしてる。人とも近づかないようにしてる」


 その言葉で、いつも猫のように人の間をすり抜けていく雪村君が思い出されます。気まぐれのようにも、好きに動いているようにも見えるのに、どこかで追いかけてこないのか。そう振り返って待っているような、そんな寂しげな姿が浮かんで、私は両手を握り締めました。


「だから、朝陽あさひさんは俺に近づかない方がいい!」


 初めて聞く声でした。

 いつも声を荒げず、淡々としゃべる雪村君らしくない必死な声でした。それがとても切なくて、同時に私はとてもうれしかったのです。この姿を知っているのは学校中できっと自分だけだと、必死になっている雪村君に申し訳ない事を思ったのです。


「それでも私は、雪村君と仲良くなりたい!」


 好きかと言われたら好きです。ですが恋愛に疎い私には、それが友情なのか恋愛感情なのかよく分かりません。ただもっと近くで雪村君を見たい。そう思う気持ちだけは確かで、恋人になりたい。というよりは、まずは普通に話せるくらいの友達になりたかったのです。


 私は狼狽える雪村君に一歩近づきました。

 雪村君は逃げようと後ずさりましたが、屋上に逃げ道はありません。戸惑っている間に私は距離を詰めて、雪村君の手をとりました。

 男の人にしては白くて細い手は、同じ人間とは思えないほどひんやりしていました。死んでいるのでは。と一瞬怖くなるような冷たさに驚いて、私は雪村君の顔を見上げます。

 その時視界に入ってきた光景に、私は驚きました。


 髪も肌も白い雪村君が、顔を赤くして私を見下ろしていたのです。先ほどまで死体のように冷たかった手もじわじわと熱をおびているように感じました。初めて見る姿に私は驚きと同時に、つられるように自分の顔も赤くなっているのが分かりました。

 冷たかった雪村君の手が、私がふれていることで少しだけ温かくなる。その事実がとてもうれしかったのです。


 恋愛か友情か分からない。なんて思っていた自分は何て鈍いのだろう。こんなの好きに決まっているじゃないか。そう私は自分自身に呆れました。


「やっぱり、好きかもしれない」


 呆れると同時にするりと本音が漏れて、私は慌てて口をふさぎました。といってもすでに遅く、こんな近くでいって聞こえなかったはずがない。そう恐る恐る雪村君を見上げると……、雪村君から湯気がでました。


「雪村君!?」


 じゅわぁ。と雪が熱で溶けるように湯気が立ちのぼる雪村君。普段の白い姿が嘘のように全身真っ赤で、このままでは本当に溶けてしまいそうな姿を見て、私は狼狽えて叫びます。

 雪女の先祖返りって、こんな風に溶けるんだ! と冷静な部分で思いながら、慌てて雪村君を校舎の中へと引っ張りこみました。


 様子を見に来たらしい亜美ちゃんが、「何事!?」と叫びます。私が「雪村君が溶ける!」と叫ぶと、一層訳が分からない。という顔をしましたが、雪村君の様子を見ると慌てて「保健室!」と叫びました。


 2人がかりでどうにか引っ張ってきた保健室。

 雪村君は氷水を頭にのせてベッドで寝ています。いつもよりも低めにクーラーの温度を設定して、少しでも涼しくなるように亜美ちゃんと一緒にとうちわで雪村君を仰ぎました。

 そうしながら事の次第を聞いた亜美ちゃんは、お腹を抱えて笑い出しました。雪村君を看病していた保険の先生も笑いをこらえるように肩を震わしました。


「雪村が教室ブリザードにしたとしても、ひまわりが抱き着けば溶けるから大丈夫、大丈夫」


 と笑い終えた亜美ちゃんは確信しきった顔でいいます。

 そんな簡単? と私が首をかしげている横で、なぜか雪村君が溶けだしました。

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それでもこの冷えた手が 黒月水羽 @kurotuki012

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