或いはNo.110 #3

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 特に公立学校という、ただ同年代が雑多に詰め込まれた場所で誰かと誰かが「友達」となる場合、多くは「なんとなく気が合う」「一緒にいて楽しい」から情が育まれていく。杏璃も例にもれずそのタイプで、千種と親友のようにいられるのも、元を辿ればそうなりたいと積極的に行動したわけではなく「互いに一番気が合う人間が一致した」という偶然によるのだ。世の中には積極的に行動して友達や親友という座を得る人もいるだろうし、SNSの中だとか、それこそ大人の世界では自ら行動しなければ友達は出来ないが、中高生くらいの年代が自分の通う学校で得る友達関係というものは、ほとんど受動的に生まれ、そしてランク分けがなされていく。杏璃が部屋割りに頓着しなかった理由もそこにあり、学校の交友関係は、結局のところそういう関係だからだ。

 それに加え、友達というものの定義は他のどんな人間関係よりも曖昧なものだ。血の縁も契約書類もなければ「今日から友達ね」という口約束さえも普通は行われず、「友達だからこういう遊びをする」「友達とならこういうことをする」という基準も人によって違う。杏璃とて、どこからが知り合いでどこまでが同級生で、そしてどこからが友達でどうなったら親友なのかという線引きを論理的な根拠で説明しろと言われても出来ない。

(だから、あんな宣言されて友達になろうとするのって、たぶん人生で初めてなんだよなぁ……)

 その日の夜、杏璃は自宅近くを流れる川の河川敷を真っ直ぐに走りながら、そんなことを考えていた。杏璃は毎日――自分の身体に怪我や病気がなく、外に出るのに危険な天候ではない限り――この川の傍を一時間ほど走っているのだが、これは自主練というよりはストレス発散のための趣味に近い。なので、走っている間は大抵、その時にいちばん悩んでいることが頭の中を回っている。当然、最近の悩みは専ら「友達」という単語と、それが示す現実についてだ。

 神城が杏璃と友達になりたい、と言ったその根拠は、本人の言葉を思い出すと不利な状況でも己のハンデを埋めることに向き合い続け、その成果も出せている杏璃に対する尊敬の念のようなものである。神城から最近、つまり部活が一段落つくまでこれといった働きかけがなかったのも、そういう部分で杏璃の邪魔にならないように配慮してくれたのだと捉えれば説明はつくし、杏璃の性格上、部活が一時停止していないと他のことにキャパシティを割けないので、それは正直ありがたかった。

(でも、真面目だから友達になりたいって、普通あんまり思わないよね……)

 学校でもインターネットの中でもどこでもいいが、興味を持ち、交流してみたいと思わされる人というのは、大抵何か【他人と違う、かつ珍しいもの】を持っている。真面目という気質は誰にでもあるとは言えないが、けれど大抵の人が持っている凡庸な個性だ。神城がたまたま杏璃を見かけた日の心理状況を加味しても、それだけでは人の目も構わず『友達になってください』と宣える程のことには杏璃にはどうしても思えないし、いっそ、これが愛の告白の方がまだ理解できるとさえ思うのだ。そういう関係であれば、真面目は確かにセールスポイントとして大きいし、そもそも恋とか愛とかいうのは、それくらいの衝動を人の心と身体に連れてくるものだからだ。

(なんで、『友達』なんだろう。――友達って、何だろう)

 思考が二周目に陥りかけたところで、杏璃は考えることをやめた。


 *


 神城樹は、自分には友達が少ない、と感じている。と他人に言うと、そんなわけがないだろうと一蹴されるのだが、本当に友達『は』少ないと思っている。

 樹は小学校三年生の頃に、家庭の都合で転校をした。当時住んでいた場所は、先祖代々ずっとその土地にいるような、祖父母の家が自分の家から歩いていけるような、もしくは一緒に暮らすような、そういう家庭がとても多い場所だったので、学校でも転校生が出るなどというイベントは滅多に起こらないものだった。だから、同級生は分かりやすく浮足立って湿っぽいことをしたがった。具体的には授業をひとつ潰したお別れ会だとか、プレゼントや寄せ書きの贈呈だとかそういうもので、樹とて立場が逆ならそういうことをしただろうから、それについて咎めたり、憤ったりする気は今も昔も欠片もない。だが、その時の一つの小さな傷が、かすり傷が今の樹の価値観を形成したのは確かである。

 クラスメイトは口々に言った。転校しても忘れないから、友達だから、連絡するから、と。九年前の通信技術は今よりは少し不便で、だけれども小学生が携帯電話を持っているのが珍しくない時代ではあったから、メール一本、電話一本寄越すだけでその約束は果たせる。

 だから樹は正直にその言葉を受け取って、連絡が来るのを待った。しかし、待てど暮らせど、そういったものを寄越す人はいなかった。あとから考えれば当然の話で、小学生が日々暮らす中で人に話すことなんて、テストがどうだ、宿題がどうだ、今日の給食が楽しみ、昨日見た動画のあれが面白かった、そういう本当に他愛のないことばかりで、他愛がないからこそ、わざわざ遠方の人間に一手間通してまで共有するものではない。学校に行って、クラスの教室にいる話しやすい人に話せば、それで話題の用は済んでしまう。そういうことの積み重ねで、彼らの中から樹の存在は薄れ、そして消えていったのだろう。

 それに気がついた樹は、不思議と怒りも悲しみも感じなかった。昨日授業で習った漢字が今日のテストで書けないような、そういうあやふやな記憶力の上に何とか生きている小学生だし、自分だってこちらから連絡をしようとはしなかった。そうやって遠くのどこかに行ってしまった人なんか忘れちゃっても当然か、とごく自然に受け入れたのだ。

 ただ、それからの樹は、人付き合いでは「教室の中では他人に合わせて笑っておくが、それ以外は期待しない」ということを基本に置くようになった。どうせまた、忘れていく。今同じ教室にいる人は、親の都合でただこの地域に住んでいるだけ、あるいは似た成績を持っているだけの同年代。だったら、学校に迷惑が掛からない程度に仲良くして、そして自分の居心地がある程度良ければ、それでいい。

 その結果、周りからは明るいとか朗らかとか、割と『いい人』の代表のような性格だと言ってもらえることが増えたけれど、それはただ、樹が誰にも期待していないから出来上がった人格に過ぎなかった。

 そうやって内心諦めて学生生活を送っていたら、そこに引きずられるように、挫折を味わったらその出来事ごとやめたっていいと、頑張らない方を選ぶようになった。苦手だと分かったら避けて、苦手ではなくても頑張らないとついていけないのならやめる。というか、頑張ろうとしても頑張ることに飽きてしまって続かなかった。

 それは高校の部活でだってそうで、杏璃に話した「腐っていた」ところは、本来の神城樹を現す『そのもの』といえる出来事だった。……はずだった。

 どうしてあの時、突然自分を恥じる感情が生まれたのか。どうしてそのきっかけが杏璃だったのか。それはまだ樹にも分からない。でも分かりたかった。だから張本人に友達になろうと、そう言うしかできなかった。

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#理系用語の前に恋のをつけるとロマンティックがとまらない 桜庭きなこ @ugis_0v0b

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