散歩と語らい
「栗田家の皆さんって、不思議ですよね」
ある晴れた日の昼下がり、休憩中の葵を誘って庭に散歩に出た柊は、不意にそんなことを言われた。
「不思議って、何が?」
どういうことだろうと思って聞き返せば、葵は足を止めて、庭の手入れをしている庭師を見やる。そしてこう言う。
「柊さん、あの人の名前はご存知ですか?」
その問いに知っている、と彼の名前をフルネームで答えると「そういうところですよ」と言われた。
「普通我々のような使用人を雇っている方って、自分の身の回りの世話をするくらい近しい方じゃないと名前なんて覚えないんですよ」
彼女の話はこう続く。
「本格的に使用人になりたいと思い始めてから、ここだけでなく幾つかのお屋敷に研修という形でお仕えさせていただいたことがありましたが、どこへ行っても『見慣れない顔がひとつ増えたな』くらいの認識ですし、見習いの端くれだから当主様やご家族様に名乗ることすらないんですよ」
ですが、と葵は続ける。
「栗田家の皆さんは、見ない顔が増えると必ず名前を聞いて、いつの間にか先ほどの庭師のように顔と名前を覚えていらっしゃる。それが我々からすると不思議なんです」
「……そうなんだ」
知らなかった。自分はもともとこの家の子ではなかったから、もし継母に男の子が産まれていたらこの場にはいなかったから、ここの使用人にこうやって余計な世話をかけることもなかった。だから、せめて余計な仕事をさせている分名前を覚えて働いてもらっていることに対して労わることが、こちらの義務だと思っていた。
「…ん?栗田家の皆さんは、ってことは親父とかも名前を覚えてたりするの?」
「そうですよ、旦那様に至っては我々第二邸の使用人まで顔と名前は完璧です。たまに『急病人が出た、人が足りない』などの急な応援で彼方に行きますが、必ず名を呼んで労ってくださいますし、間違われたことはまだ1度もありません」
嬉しそうに笑いながら葵が言う。その表情にちょっと心がもやついた。
「へー……暇なのかなあの人」
「お優しいんですよ、暇ではないことは柊さんもご存知でしょうに」
「それはそうなんだけど、なんかこう…」
出し抜かれたような、イラついているような。そんな感じのよくわからない感情が柊の中をぐるぐる回る。それが顔に出ていてよほど面白い表情だったのか、顔を覗き込んだ葵が面白そうに笑った。
「え、何そんなに面白い顔してた今?」
「面白いというか、可愛らしいなぁと思いまして」
「!?」
「だって、今旦那様に嫉妬してらしたでしょう」
「………嫉妬?」
呆然と呟けば葵はきょとんとして首をかしげる。
「違いましたか?」
「………いや、違わない、多分そう」
葵が父の話をして嬉しそうに笑ったこと、父がここの使用人の名前まで覚えていたことに、恐らくだけど嫉妬した。葵を、ここの皆を1番知っているのは俺のはずなのに、と。
「あー……そうかぁ………、まだまだだなぁ俺も」
自嘲気味に呟けば、葵はすぐさま
「そんなことはないですよ?」
と言って柊の手を掴み、突然どこかへと歩き始めた。たどり着いたのは庭の隅、庭師からも他の使用人からも死角になる場所だった。
「えっと…葵さん?」
「柊さんだって、じゅうぶんお優しいです。それくらい、私だけじゃなくここの皆もわかりきっていますし、それに」
「それに?」
「私、空木葵のことはあなたが1番よく知っておられます。それだけは、旦那様には負けてはいないでしょう?」
自信ありげに、それでいて嬉しそうににこりと微笑みかけられて、柊は一瞬目の前が真っ白になったような、己の意識が飛んだような錯覚に見舞われた。それくらい彼女が眩しく見えた。
いつもそうだ。柊がヘコんだり何だりすると必ず彼女にはバレていて、いつもどんよりとした闇に埋もれる自分を掬い上げてくれる。
「…うん、それだけは何があっても誰にも譲れない」
「でしょう?それでいいんですよ今は。これからどうするかが大事ですし、側に私も皆もいますから」
「…そうだね、ありがとう」
お礼の代わりに頬にひとつキスを落とすと、嬉しそうに彼女は笑った。
青時雨 桜庭きなこ @ugis_0v0b
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