恋点下0度のバレンタイン

結城あずる

恋点下0度

「忘れ物はなーい?」

「うん。大丈夫」

「気を付けていってらっしゃい」

「行ってきます!」


母親に送り出され、羽川 千代はいつものようにローファーをつま先でトントンと履き整えて家を出る。


高校2年の冬。ひんやりとした空気が肌を撫でて、ほんのり残っていた眠気が払い落とされる。


清々しい朝。千代は大きく伸びをする。


ついでにアキレス腱も伸ばし、腰や関節も回して柔軟もしておく。


「よし」


体がほぐれたところで千代は学校に向かう。


千代の通う高校は市内でも有数のマンモス校であり、電車やバスを使って登校する遠方の生徒もいる。


千代はいつも自転車通学であるが、今日は徒歩で学校に向かっている。


自転車だとおおよそ10分くらいで着く距離であるため、今日はかなり余裕を持って家を出ている千代。いつもより1時間も早い。


徒歩にするだけでそんなに時間は要しないはずであるが、これには訳がある。


「ヴーーー……」


どこからともなく聞こえてくる呻き声。どれも一つや二つではない。


「やーめーてー!」


そこに混じる女性の叫び声。これも一つや二つではない。


いつも通学路で使っている大通り。そこは逃げ惑う女性達とそれを狙う男性達とで騒がしく入り乱れていた。


何かの事件かと思うがそうではない。


「アァーーー……」

「ア”---……」


ずっと呻き声しか出さない男性達。よく見れば動きもおかしく、全員がデッドマンウォーキングである。


「こっち来ないで!」

「わ!あっちからも来てる!」

「もうここはダメだわ!」


群がる彼らに追いやられていく女性達。その光景はさながらゾンビ映画のようであった。


しかし。それは単なる比喩の話ではない。彼らは本当にゾンビ化しているのである。


近年。日本にはある新型ウイルスが蔓延している。そのウイルスとは『Vウイルス』。


365日のうちたった1日だけ男のみが必ず感染する驚異のウイルスである。


「きゃあ!返して~~~!」


一人の女性が犠牲になる。


と言っても、身体的被害を被っている訳ではない。ゾンビ化した男が女性から奪い取ったのは綺麗にラッピングされた小さな箱。


他の女性達も次々に犠牲になっていく。


奪われているのは全てチョコレート。女性達が思いを込めた大切な品物である。


バレンタインVウイルス』。日本のみに潜在する新型特殊ウイルスで、まだその全貌は研究段階である。


分かっていることは、・必ず男のみが感染するということ・2月14日にしかウイルスが活動しないこと・感染者は女性の持つ本命チョコを狙うということのみである。


ワクチンなどは当然なく、男性はこの日一日をまさに亡者となってあちこちを徘徊する。


このウイルスを退ける方法は現在分かっていることで一つだけ。


それは【告白による両想い】が成立すること。これにより男性は正気に戻る。


当然だが義理では効果はない。あくまでも【両想い】のみがこのウイルスへの唯一の抵抗手段なのである。


余談になるが、Vウイルスによって「よくも分からない男に食われるぐらいなら……」と思い立つ女性が急増し、日本の告白率はここ数年で異様なほど跳ね上がった。


SNSでは2月14日この日を『サバイバル』などとも呼ばれている。


そして。千代もこのサバイバルへの挑戦者として身を投じているのである。


「よし」


気合いを入れた千代。騒ぎに乗じてそろりとその場を後にしようとする。


「ウア”……?」


しかし。何体かのゾンビが千代に気付く。


嗅覚なのか、はたまた違う器官なのか。まだその生態は明らかになっていないが、どのゾンビも例外なく本命チョコを持つ人に反応する。


隠密は不可避である。


「見つかった!」


ゾンビが向かって来るとほぼ同時にカバンに手を突っ込む千代。ここから千代の戦いが幕を開ける。


千代がカバンから取り出したのは二丁の銃。それを向かって来るゾンビに向けると躊躇わずに引き金を引く。


「ヴ!?」

「ア”!?」


ゾンビの口にダイレクトで入る茶色い液体。その正体はチョコレートドリンク。


千代は水鉄砲にそれを入れて持ってきていた。


ほんの一瞬動きが止まるゾンビ。本命でなくともチョコが口に入れば数秒の抑止効果があることは実は周知の事実なのである。


しかし。それでも数秒。数で勝るゾンビにはあまり有効手段と言えるものではないのだが、千代はそれを覆していく。


「ヴ!」

「ア”ア!?」

「ガッ!」

「ウウ!」


二丁の水鉄砲を巧みに使って的確にゾンビの口にチョコドリンクをシューティングしていく。


それもそのはず。今日までに千代は、ゲームセンターのシューティングゲームをパーフェクトクリアするまでやり込み、実力あるサバゲーチームに数日間入隊させてもらって実地経験を積み、数メートル離れた所に置いた1円玉を撃ち抜けるようになるまで水鉄砲の特訓までこなして来ている。


花のJKとしての過ごし方ではないが、普段から千代は努力の方向がおかしいとよく友人にも言われている女の子なのである。


素直で飾らない性格なのでクラスで浮いてはいないが、目的に対するやり込み癖が極端であるため周囲にはそのギャップで驚かれている。


"どの部活動よりも活動量が多い帰宅部"。それが羽川 千代である。


高校2年生の女子の姿とはかけ離れた二丁拳銃スタイルでゾンビの足止めをしていく。


動きを止めてゾンビを抜いていき、また動きを止めてはゾンビを抜いていくを繰り返し、千代は見事に大通りの雑踏を潜り抜けた。


第一関門、突破である。







大通りを抜けた後も幾度となくゾンビに襲われるが、千代は比類なき二丁拳銃スタイルで無事に学校まで辿り着いた。


「ここまでかぁ」


空になった水鉄砲を見て呟く千代。


用意していた計六丁の水鉄砲を全て使い切ってしまった。


計算では学校に辿り着くまで四丁は使うだろうと踏んでいたが、思いのほか進路のゾンビ数が多く出し惜しみをする余裕はなかったのだった。


それはそれで仕方がないと割り切って校舎へと足を踏み入れる千代。


玄関にはすでに破られた包装紙やひしゃげた箱が無数に散らばっている。


それを見て慎重に行こうと思ったのも束の間、玄関近くにあるトイレから2体のゾンビが姿を現す。


2体のゾンビを確認した瞬間に、「ろうか走るべからず」の張り紙が貼ってある一階廊下を一目散に駆け出す千代。


短距離走はそこそこ良いタイムな方である。


走りながらチラッと後方を確認すると、2体のゾンビは揃ってクラウチングスタートの構えをしている。


そして。ゾンビ達はそのままスタートを切ると、物凄い速さで千代を猛追し出す。


Vウイルスに感染したゾンビには2つのタイプがあり、『本能型』と『特異型』とに分かれる。


『本能型』はその名の通り本能の赴くままに行動するタイプで、チョコへの飢えに脳が支配されるため神経伝達が鈍く動きも緩慢になる。


大通りにいたゾンビがこれになる。


対して『特異型』はチョコへの飢えはそのままだが神経伝達に影響がないタイプで、主に何かに打ち込んだスペシャリスト系の人がなりやすいと言われている。


千代を猛追する2体のゾンビは明らかな『特異型』。クラウチングスタートやキレイなフォームから見て陸上選手である。


足の速さで現役選手に勝てるはずもなく一気に距離を縮められる千代。


しかし焦りはない。むしろ冷静を保ちながらカバンに手を入れガサゴソと何かを手探る。


「あなた達にはこれをあげる」


中に小粒のチョコが詰まった瓶を取り出し、迷うことなくその中身を床にばら撒く。


「ウ?……ガッ!?」

「ア”ア!?」


足元に転がるそのチョコを前に苦悶して足を止める陸上ゾンビズ。


綺麗に赤みがかったそのチョコは、千代がわざわざ料理教室に通って作ったウイスキーボンボン。


しかも、先生の目を盗んで適量以上にウイスキーを混ぜ込んだアルコール度数MAXの特性ボンボンである。


ゾンビ化した者は知覚器官が鋭敏になっており嗅覚もその例外ではない。まして、アルコールとまだ縁のない学生ゾンビにとってはそのアルコール臭は劇薬に近い代物と化していた。


チョコをまきびしにする前代未聞の手法である。


その甲斐あって陸上ゾンビの引き離しに成功した千代。そのまま階段を昇って目的地のある2階へと到達する。


「オォ……オォ……」


蠢くゾンビ。1階よりもその数は多い。すでに食い散らかされた箱や袋も辺りに乱雑している。


そしてすぐに千代の本命に反応を示しゾンビ達が群がって来る。


右からもゾンビ。左からもゾンビ。ここからが本腰である。


左には視聴覚室やら技術室やらそういった教室しかないので、千代は迷うことなく右へ行く。


目の前から来るゾンビにはかなり顔見知りが混じっている。


なにせ自分のクラスがあるのだから当然である。


廊下を隙間なく埋めて歩くクラスメイトゾンビは、完全に千代をロックオンしている。


迎え討つ千代。またまたカバンから大きめの筒を出すと、その中にぎっしりと詰め込まれている真っ黒いチョコがコーディングされた棒を1本取り出す。


ご存知ポッキー。


しかし。ポッキーはポッキーでもただのポッキーではない。これもボンボン同様、千代の作った特製ポッキーである。


「みんなにはこれね」


特製ポッキーを摘まむように持って構えると、それをダーツのように投げ放つ千代。ポッキーは見事1体のゾンビの口に入る。


「アア”!?」


その場に倒れ込むゾンビ。苦しむように悶えている。


まるで毒でも盛られたかのようなリアクションだが、もちろん毒などではない。


ゾンビはとにかく口内を襲う"苦味"に苦しんでいる。


特製ポッキーにコーディングされているチョコは千代いわくカカオ200%。とにかくカカオ成分を練りに練り込んで作り上げた『苦味を超越した苦味』となっている。


ゾンビ化してても舌は学生のそれ。その苦味に耐えられるはずもない。もとより、大人でさえも耐えられない苦味なのである。


この日の前日に味見と称してつまみ食いをした父親が卒倒しているのだから、その味と威力は実証されている。


千代は容赦なく次々と特製ポッキーをゾンビ達に向け放り込んでいく。


某アミューズメント施設でダーツをしこたま練習した千代は正確無比にゾンビの口にポッキーを入れていき、ものの数十秒で文字通りクラスメイトゾンビを死屍累々と倒してしまった。


「ごめんね。今日はやるかやられるかだから」


気持ちばかりに合掌をして、悶え苦しむゾンビの体を跨いで目的場所へ向かう千代。


しかし関門はまだ終わらない。


「ここは!」

「通さないわ!」


急に立ちはだかる女子生徒2人。彼女らもまた千代のクラスメイトである。


「私たちだけやられるのは嫌!」

「千代だけおいしい思いはさせないよ!」


彼女らはすでに敗れた食われた者達。


バレンタインに参加する権利は等しく誰にでもあるが、成就するかしないかは平等ではない。


告白の数だけ戦いがある。それがバレンタインである。


しかし。Ⅴウイルスによるサバイバルが顕著になった最近は、告白に辿り着けない者も多く出始めている。


それゆえ、嫉妬やライバルの妨害という意味合いでしばしば女性同士の引っ張り合いが起きる。


それはクラスメイトであろうが例外ではない。一時の感情でありながらも、級友二人は道を塞いで千代の行く手を阻む。


「そっちがその気なら。せーのっ」


それを見て壁に飛びつく千代。


そのまま壁にある色んな突起物を利用して壁伝いに二人を越えて着地する。


「「え、えぇー??」」


呆気に取られる女子二人。


千代はこの日の為にボルダリングジムに通い詰めてトレーニングをしてきていた。学校での予行練習も事前にしていてシュミレーションもバッチリなのである。


もう千代の想いは止められない。まだ呆気に取られている級友を尻目に目的場所へ駆ける。


千代の目的地とは『保健室』。


そう。千代がチョコを渡す相手はこの学校の養護教諭なのである。


生徒が先生に本気の告白するというのは中々に思い切ったものなのだが、千代はこの日に決意をしてここまで来ている。


「先生!いますか!」


勢いよく保健室のドアを開く千代。そこには漏れなくゾンビ化した男性教諭がいた。


乱れた息を整えて保健室へ入っていく。そして。一心に守り抜いた本命チョコをカバンから取り出して男性教諭の前に立つ。


「先生。ずっと好きでした。受け取ってください!」


想いを込めて差し出されたチョコレート。本気の告白である。


その差し出されたチョコをジーッと見つめる男性教諭。


ほんの僅かの沈黙。そしてそれが破られる。


「ウガーーーー!」


奪い取られ食い漁られるチョコレート。男性教諭は正気に戻る気配はない。


つまり。今千代の目に映る光景は想いが届かなかった事を意味していた。


「せ、先生……」


チョコを貪る男性教諭をもの哀しげに見つめる千代。彼女の努力は泡沫となってしまった。



「生徒はストライクゾーンに入ってないかぁ。でも、いいです。まだはありますし、今ここで両想いになっちゃえばいいですもんね」

「ア、アァ……?」


にっこり微笑む千代。その醸し出される雰囲気に、理性が希薄なはずのゾンビが後ずさる。


「丁度ここにはベッドもありますし、今日はどれだけ騒いでも誰も気に留めませんしねー」

「アァ……ア”アァ……」


じりじりと詰め寄る千代。追い込まれる男性教諭。


いつの間にか立場が逆転している。


「既成事実を作っちゃいましょ♪」

「ウガァーーーーーー!!」


響き渡る悲鳴は千代の言葉通りあっけなく雑多の中に埋もれていく。


今日この日には、チョコに飢える男達とチョコを上げたい女達しかいない。


2月14日―――――バレンタインに侵された世界に、人は甘く狂わされていくのだった。


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