ある賢き竜と超人の会話

雄大な自然

ある賢き竜と超人の会話

そこは雲と山との間にある不思議な世界。風と清流が織り成す穏やかな空間。柔らかな日差しが差し込む木々の根元で色とりどりの花がその美しさを競っている。

竜が鎌首をもたげて空を見上げる。その動きにあわせて巨体に纏わりついていたつる草と木の根が乾いた音を立てて千切れていった。

数十年ぶりの賓客の姿を目にして竜は目を細め、その口が百年ぶりに人の言葉を紡ぐ。

「久しぶりだ。ここに人が訪れるのは……」

その言葉に、青年は頭を下げた。

まるで木々が、大地が、風が人の姿を纏ったかのような気配を漂わせた青年は、どこにでもいる普通の少年のようでもあった。

「全てを知る賢者と伺ってまいりました。どうか、私に道を教えていただきたい」

「真に賢きものは己の知らぬところを知る。私に答えられることはわずかであるが、そなたの言葉で問うが良かろう」

竜が優しく問いかけ、青年はやや躊躇った後に慎重に言葉を紡いだ。

「……俺は、一体何なんです?」


「――超人である」

竜は静かに答えた。

その答えを予期していたのか、少年はさらに問う。

「超人とはなんです?」

「それは大地の意義である。それは大海を目指すものであり、それは稲妻そのものである」

「自然の体現だと?」

「そしてヒトの象徴である」

「ヒトとは?」

「生命の進化の支点であり、思索の原点である。故に己の価値を自身で認識できない存在である。故に、そなたは私に己が在り様を問うた」

「では、貴方は何なのですか?」

「私は竜である。その本質は厄災の象徴であり、ヒトの抱く脅威の具現である。その行動は原初より定められ、我はそれを本能的に知る」


「獣とヒトの違いはその理が何より発するかである。獣は本能より、ヒトは知性より自然の理を得る。故に獣は生れ落ちた時より己がなすべきこと、己が役割を知る。そしてヒトは何も知らぬままに生まれたが故に他者より理を学び、故にその思索には限界を持たぬ」

「限界?」

「獣は本能において全てを知る。故に己が領分を弁え、他の領域を侵さぬ。だが、ヒトは多くを知らぬが故に知を求め、己が定められし領域を踏み越えて他者のそれを己の物とする。これを欲という」

「動物にだって欲はあるんじゃないのか?」

「それは生存欲求というおよそ生物全てが備えた欲である。対し、ヒトのそれは探求欲という知的動機からもたらされたものだ。故にそれは自然摂理の枠に収まらぬ。

獣は全てを知っている。己が理解できるものか、理解できぬものか、己の生に関わるものか、関わらぬものか。その二つにおいて世界を知り、触れ得ざるものには触れぬ。故に獣の理は千年不変のものであり、その世界は半永久的に継続する。

ヒトは何一つ知らぬ。知らぬが故に知ろうとし触れるべきでないものまでも踏みしだく。故にヒトの理は常に変化し、その社会は千変万化する。それを進化と呼ぶ

そしてその象徴が君である」

「俺が?」

「君は全てを可能とする力を持っている。風より早く空を飛び、海の底を渡り、雷すらも操りて山をも砕く。それはヒトという種が過去より望んでやまないのものであり、故に君はその力を持つ。ヒトの願望の象徴として」

「……何故、俺なんです」

青年の拳が強く、強く握り締められる。自身に降りかかった理不尽な災厄にまるで怒りを抱くように。

「――偶然だ」

ぞくりと青年の背筋に怖気が疾る。

「ヒトが普遍的に抱く願望ゆえにその具現は人を選ばぬ。全てのヒトにその可能性があり、故に偶々君という存在がそうであったというだけに過ぎぬ」

青年の身体が震えた。喉の奥から血を吐くようなうめきが漏れる。

「なら、俺はどうすればいいんです!?」


「――何も」

竜は憐れみにも似た視線を少年へ向けた。

「超人とは自然の理を超越するという願望の象徴であり、他者をも支配するというヒトのエゴの具現である。故に自然は超人に課すべき理を持たぬ。そしてヒトもまた君に与えるべき使命を持たぬ。全てより超越したるが故に……

だが同時に、人間であるが故にそれを他者より得ざるをえぬ。それが超人のヒトたる限界である。そしてヒトであることを変えられぬが故に、その存在は常に嫉視にさらされることを容認せざるをえぬ。それがヒトより生まれた超人の宿命である」


「誰もそなたを裁きはせぬ。この天土にあるもので、そなたを脅かしはせぬ。それが超人である」

そう言い残して、竜は眠りについた。

その姿に、青年は言いようの無い怒りを覚えた。結局、彼は何一つ答えを得られず、竜はそれを始めから知っていて答えていたのだ。

青年がその右手を振り上げる。その指先に光が集まって爆ぜる。

怒りのままに振り下ろせば、目の前の竜を両断することも容易い。それだけの力が青年にはある。

だが、青年がその腕を振り下ろすことは無かった。

悔やむような顔つきになって、竜の閉ざされた瞳に背を向ける。

「誰も俺を裁きはしない……か」

その呟きに答えるものは何も無い。清流のせせらぎと、木々のざわめきはヒトである彼の耳には届かない。

「だが、俺は許さない。俺自身が、俺を裁く」

その言葉だけを残して、青年の姿は消えた。

見上げれば空高く、はるかな蒼穹を目指して一筋の光が上っていく。


空を行く少年の様子をまぶたの裏に映して竜は嘆息する。

(どこまでも哀れよ)

万能であるにもかかわらず、いや、それ故に自制する心もまた強く、その高潔さは並ぶものが無い。

故にまた、ヒトのエゴとも馴染むことが出来ず、この世界に、この地上に彼の住むべき世界は無い。

どこまでもヒトを超越したる故に……

光は空を越え、星の海へと飛び立っていく。

この無限に続く空を制覇すること。それもまたヒトの願いであることを思い出しながら、竜は深い眠りにつく。

あの小さな友人が、ヒトとして自分なりの答えを見つけて帰ってくるまでの、ささやかなまどろみのときを……

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