日本流行語大賞運動方針確定委員会

桑原賢五郎丸

第1話

 濃紺のスーツに身を包んだ松山涼介は、緊張を隠そうともせずに、厳重極まりないセキュリティチェックを受けていた。人の手による数回のボディチェックをクリアしたあとは、虹彩認証でのみ通行可能な、重厚感あふれる銀色のドアが待ち受けている。

 涼介はツバを飲み込み、虹彩カメラに自分の瞳を向けた。

 観音開きと思っていたドアはゆっくりと上下に開き、鈍い機械音を上げながら天井と床に吸い込まれていった。


 会議室の中は国会議事堂内の衆議院議場を思わせる作りだった。扇の要と思われる、議長席と思しき場所に視線を移す。まだそこに登壇者はいない。

 この場所で間もなく開催される、日本の次の一年を指針付けるような重大な会議とは一体何なのか。涼介は3日前の会話を反芻していた。




 兜町にあるビルの13階。周囲のビルの多くはすでに電灯を消しているような時間。いわゆる証券マンとしての仕事を終えた涼介は指定された給湯室に向かった。

 なぜこんな時間に、しかも給湯室になど呼び出されているのか、さっぱりわからなかった。早く帰って5歳になる娘の寝顔を見たかった。

 だが、課長からの「今後の我が社に関わる重要な依頼、ただし他言無用」を、つい先日係長に昇任した身としては断るわけにもいかなかった。


 人の気配が少なくなったビルの中で、涼介は近づいてくる足音を聞いた。やがて足音は給湯室の前で止まった。数秒後、課長から聞いていた通り、扉が4回ノックされた。聞いたことのあるような壮年男性の声が聴こえた。

「マドンナ」

「山が動いた」

 涼介は言われた通りの符牒を口にした。意味は不明だった。

 静かに扉が開き、どこかで見たことのある初老の男性が立っていた。

「君が松山くんだね」

 はあ、と生返事をした3秒後に涼介は背筋を伸ばして挨拶した。

「しゃ、社長! お疲れ様です」

 今年の始め、新社長就任の挨拶で見たことを思い出した。


「そんなに固くならんでいい」

 老齢の社長、小澤おざわ良平りょうへいは給湯室のパイプ椅子に腰掛けて涼介に話しかける。

「君は随分優秀なようだね。売上は若手の中でトップクラスだ。私の若い頃を思い出すよ」

「とんでもありません」

 返答しながら涼介は考えた。この状況は一体どういうことだ。何故新任係長と新任社長が狭い給湯室で話しているのか。帰りたいのだが、どうすればいいのだろうか。

「突然だが、君は流行に敏感かね」

 本当に突然に、小澤社長は話しを切り出した。

「いえ、まったくもって疎いです。むしろ苦手です」

 そうか、と小澤社長は含み笑いで答える。

「実はね、松山くん。君を見込んで、とある会議に出席してもらいたいんだ。ただしそこで行われる話の内容は、絶対に他言無用で」

「…その為の給湯室ですか…」

「察しが良いね」

 言わずもがなのことを口にしただけで、察しが良いわけではなかった。

「その会議は、我が社のみならず、我が国の今後をも左右しかねない重要なものでね。なのでそこでの内容は、誰にも言ってはならない。家族にも話してはならない。

 私も出席するが、今後のことを考えると優秀な若手社員を早めに参加させたかったんだ。できれば流行に疎い人の方が、会議を違った視点で見ることができると思うのでね」




 気づけば会議場に沈黙と緊張が満ちていた。そろそろ会議が始まるようだ。

 それにしても、と涼介は周囲を目の動きだけで確認する。

 どこかで見たことのあるような各界の大物があちらこちらに座っている。この会議に出席すれば出世街道は目の前にあると言われたようなものだが、もしかしたらおれもお偉いさんになれるのかと涼介は静かにほくそ笑んだ。


 やがて、議長席に、やはりどこかで見たことのある女性が登場した。遠目だが、あれはもしかして現職の知事ではないだろうか。


「ではこれより、日本流行語大賞運動方針確定委員会を開始いたします」


 なんて。いまなんて。

 しかも小さい音ながら、会場にはBIGが流れている。「口に刺さっただんご♪」で始まる、昔流行った団子4兄弟のテーマだった。

 涼介は耳を疑った。

 議長席の後ろに横長の垂れ幕が掲げられた。そこには


 日本流行語大賞運動方針確定委員会


 と書かれていたので今度は目を疑った。

 そして様々な業界の大物たちが立ち上がり、一斉に拍手をしながら

「いいぞ!」

「ハクい!」

「ナウい!」

 と騒ぎ出したので遂には正気を疑った。

 だが、まだあの女性が本物の知事、古見家こみけ瑠璃子るりこかどうかは距離があるので分からない。話す内容で判断するしかないだろう。


「我が国におけるバズワードをディシジョンするアライアンスで国民の皆さまをコンダクトしていくこのカンファレンスでは…」


 疑いもなく本物の知事だった。テレビでよく目にするままの、英単語をふんだんに交えた話が続いている。


「…このように、コミケは重要なインカムでもありますので、4年に一度の国際スポーツ大会が開催される年でも使えるようにアジャストメントしているところでございます」


 やがて一礼して降壇した。盛大な拍手とともに、あちこちから

「さすが古見家!」

「知事半端ないって!」

 という声が上がった。涼介は一度腰を上げ、座り直した。腰が落ち着かない。

 次に登壇する人物の名前が読み上げられた。元ニュースキャスターの龍川たつがわスワロフスキーだ。


「私達が流行語を決めることによって、国民の皆さまを、言葉によって恣意的に導く。それが私達ができる最大の」

 とまで言ったところで龍川は言葉を切り、会場を見渡した。


 そして全員で例の言葉を、例のリズムで合唱した。


「龍川ちゃん、グ〜よ!グ〜!」

「わいと失楽園しようや!」

「イナバウアー!」

 涼介は首筋を手の平でこすった。猛烈な寒気がした。鳥肌も立っていた。


 あまり信じたくないことだが、どうやら、ここは次の流行語を決めるための会議場らしい。

 気づくと、涼介の隣に小澤社長が座っていた。社長は感動の涙を流していた。ハンカチで涙を拭きながら社長が言った。


「すごいだろう、この会議は。日本をどげんかせんといかんとメークドラマを画策する賢人たちが集い、国民を導くのだ。内容は絶対極秘の意味がわかっただろう」


 いやわからん、という言葉を飲み込み、涼介は質問を口にした。

「もしかして、流行語使わないとダメなんですか」

「その通り、ワイルドだろう」

 それ、お前らが流行らしたと勘違いしてるだけだろうという言葉も涼介は飲み込んだ。

「ほら、見てごらん。次は国のトップがお目見えだ」


 壇上では、内閣総理大臣・阿下あげ金三きんぞうがマイクに向かって立っていた。


「現在我が国はかつてない成長期を迎えてですね、これはまさに、まさにですよ、まさしく第二の、いざな、いざなぎ景気を迎えているわけでありまして、そのため、そのためにですね、国際社会においてNOと言える、NOと言える日本に、ならなければならないわけであります」

「ダメよ~ダメダメ」

「日本死ね!」

 野次が飛びかう。

「そしてまたですね、美しい、ヤジはやめてください、美しい日本に国民の、まさに国民の皆さまを啓蒙するために、言葉の力というものをですね」

「そだねー」

「総理、今でしょ!」

「私もアグリーです!」

 会議場に賛否両論の怒号が渦巻いた。首相は自分の席へと戻った。



 激しい嫌悪感からか、涼介の悪寒はますます強くなった。震える涼介を見て、小澤社長が話しかける。

「松山くん、どうした? チョ〜気持ち良かったのか?」

「…ける…」

「ユンケルンバ?」

「ふざけるな! なんだこれは! 金の無駄遣い以外の何物でもねえ! ここには流行にとりつかれたバカしかいねえのか!」

 周囲の人間が怒りながら口々に叫ぶ。

「チョベリバ!」

「じぇじぇじぇ!」

「イナバウアー!」


 慌てた小澤社長が周囲をいさめる。

「まあまあ落ち着いて。松山くん、おこなの?」

「うるせえ!」

「激おこなの?」

「うるせえってんだろ! 帰る!」

 周囲の輪がさらに縮まり、涼介は2回ほど殴られた。体中を包む寒気と悪寒で、体が思うように動かない。


 群衆と涼介の間に、小澤社長が号泣しながら立ちふさがった。

「みなさまにこれだけは言いたい!

 私が悪いんであって、社員は悪くありませんから!」

「どけ! うわ…熱出てきた…」

「インフルエンザか? 流行り物好きなんだね」

 涼介は我慢の限界を迎えた。脳内でプッツンという音が聴こえた。

「私は! これで!」

 涼介は拳を突き上げながら叫び、小澤社長を殴った。

「会社をやめました!」

 涼介はそのままうつ伏せに倒れた。




 翌日の朝、目が覚めた涼介は、白い天井を見つめていた。

 インフルエンザによる高熱で倒れ、病院に運ばれたらしい。今は熱こそ落ち着いているものの、まだ家に帰れる状態ではなかった。

 ベッドから出て、妻に電話をした。

「聞いたわよ。大切な会議で、社長さんを殴ったんですって?」

 さすがに妻は呆れているようだった。

「ああ、ごめんな。どう考えても首だわ。逮捕されないだけで良かった」

「早くDODAドゥーダしなきゃね」

 唇をかみしめて妻の言葉を黙殺し、娘の声を聴かせてもらう。

「あ、パパ? おっはー!」

「お、おっはー」

 血の滲むような声で返答した後は、他愛もない会話を楽しんだ。



 病室のドアがノックされ、小澤社長が入ってきた。

 涼介は土下座するほどに詫びた。

「どうか、訴訟だけは勘弁していただけないでしょうか」

 小澤社長は笑いながら答えた。

「いや、急にあんな場所に行ったら、混乱するのも無理はない。それに、松山くんはインフルエンザでフラフラだったろう。パンチは全然痛くなかった」

「申し訳ございませんでした」

「それに、まだ首にするわけにも行かない。今回の会議で失敗した分は返してもらわなくてはな」

 涼介は涙した。ここまで器の大きい人は見たことがない。一生着いていくと心の中で誓った。

 小澤社長は涼介の肩を叩きながら言った。

「成績的に神ってる君でも返すのは簡単ではないぞ。倍返しだ!」

 涼介は再び小澤社長に殴りかかっていた。

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日本流行語大賞運動方針確定委員会 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

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