死を知りたい君へ。
もこもこ
第1話
死のうと思った。
理由はいくつかある。
僕は元々生きるのが下手だった。周りの空気は読めないし、そもそも読もうなんて思ったこともない。そうして適当に日々を過ごしているうちに、気付けば全てを失っていた。全て、といっても家族とか友達とか財産とかそういうものじゃない。生きるために必要なモノ、やる気とか生きる理由とかを全部無くしてしまったのだ。空っぽな感情が脳を支配してぼうっとしていたとき。もう死んでしまいたいと思った。昔は死ぬのが怖いとかそんな事を思っていたけど、いざ死のうと決めた時には心に渦巻く恐怖は無くなっていた。
「意外と、簡単なもんなんだな」
手に持ったナイフが重くきらめく。
震えていた体も、今はもうピクリとも動かない。僕はそのまま、虚ろな心を壊すためにナイフを振り上げ、首元に思いっきり……
「いやぁ…それは痛いってぇ…」
……
………?
今、声が聞こえたような。
死が近づくと幻聴も聴こえるようになるのか。
つい止めてしまっていた手をもう一度動かして、今度こそ首に突き立てようとした時。
「止めるんだったらやめたほうがいいよ」
…今度こそ、はっきりと聞こえた。僕の真後ろから。恐る恐る振り向くと、そこには虚ろな影のようなものが浮かんでいた。
「あ、やっとこっちみた」
…やはりこの影のようなものから声が聴こえていたらしい。視線を向けると、影は怪しく揺れながら生き生きと喋り始める。
「こんにちは。今日も酷い顔ですね。顔でも洗ったらどうですか?」
「……?」
これは現実なのか?
精神が病んでいる時は幻聴を見やすいと聞くけれど、これを幻聴と呼ぶにはあまりにもはっきりとしすぎている。
「あーさては混乱してますねぇ?そうですよねぇ。今まで喋りかけた事はあってもあなたから答えてくれることは1度もありませんでしたからね」
喋る影に疑問と疑心を覚えながらも、僕は影に向けて喋ることにしてみた。
「……お前は、何なんだ?死神か何かか?」
「ぶぶー。外れです。私はこの部屋に住んでいる幽霊さんですよ」
幽霊。
今影はそう言った。
この建物って曰く付き物件では無かったはずだが…
「幽霊って、初めて見るけど。人の形もしてないんだな」
「あはは。それは多分あなたがそう見ようとしていないだけですよ」
「人として見れば形が変わるっていうのか」
「変わりますよ。私たちはそういう存在ですから」
…よく喋るな。この幽霊。
とりあえず言われた通り、人を思い浮かべてみる。
すると、本当に影は人の形になった。
「わはぁ。あなたからみる私ってこんな感じなんですね!めちゃくちゃ美少女です!」
影…もとい幽霊は姿を変えるときゃっきゃと騒ぎはじめた。
「想像したらそう出ただけだ。お前の本当の姿は知らない」
「知ってたら怖いんで大丈夫です」
「幽霊が怖いとか言ってんじゃねぇよ…」
「あはは。たしかに怖いのは私の方ですね」
…なんか、調子が狂う。
「…それで。お前幽霊ってことは、1回死んでんのか」
僕が知っている限り、幽霊というのは死んだ者の魂が未練を持ってこの世に残る〜とかそういうもんだ。
「まぁ、そうですね。普通に殺されました」
「………」
その声にはなんの感情もこもってないように思えた。
「…なぁ、死ぬってどんな感じなんだ?」
僕は一番知りたかった事を、死んだこいつに聞いてみることにした。
「そうですねぇ。まず、とっても痛いです」
痛み。
こいつは痛みを感じる何かが原因で死んだらしい。
「そして、とっても苦しいです」
苦しみ。
痛みとも関係ありそうだが、苦しいものらしい。
「最後に、とっても悲しいです」
悲しみ。
きっとそれは何に対しても悲しいとか、そういうことだろう。
「…そうか」
死ぬことが苦しくないなんて思ってはいなかったが、本当に苦しいものなんだろう。でもそれは経験したことがない僕には想像もできないことで。
「あなたはさっき、死のうとしてた。ってことで間違いないですよね」
「…ああ」
「ここに来たばかりの時は、そんな風には見えなかったんですけどね」
来たばかり?
この幽霊は最初からこの部屋に存在してたっていうのか。
「そうですよ。私は最初から、いえ、あなたがここに来るずっと前からここに存在していました」
……
普通に驚いた。
こいつは最初から、つまり僕が死にたいと考えるようになるまでをずっと見てきたというのか。
「別に死ぬ事を止めたいーとか。そういうことはしません。ただ死ぬ前に、せっかくこうして話せてるんですから。少しお話ししてから死んでください」
幽霊に死ねって言われたよ僕。
「ところであなたはどうして死のうとしていたんですか」
「ずっと部屋にいたのにわからないのか」
「あはは。わかるわけないじゃないですか。幽霊になってもエスパーにはなれませんよ」
……どうしようか。
まぁ、どうせ死ぬんだし、誰かに話してもいいか。
「生きる気力が、無くなった」
「……それだけ?」
それだけ。
そう。それだけである。
人間なんて生きる理由を見失えば簡単に死のうとする。
僕もその中の一人でしかない。
「へぇー。まぁ、いいんじゃないですか」
「…なにも言わないのか」
「なにも言いませんよ。死にたい理由なんて、人それぞれです」
寄り添うことはなく。
かといって突き放すこともなく、幽霊は語る。
「私は、死にたくなかったです。家族もいたし、友達もいっぱいいました。正直、毎日が楽しくて仕方なかったです」
「…そうかよ」
「あはは。ちょっと嫉妬しました?」
「ちょっとじゃなくてかなり嫉妬してるよ」
「正直ですねぇ。まぁ、楽しくても死んだので意味ないんですけど」
幽霊はそうとう生きるのが上手かったらしい。楽しそうな話しか出てこない。
「いつも通り、普通の帰り道を歩いている時に、刺されたんです。通り魔、ってやつですかね」
幽霊は通り魔に刺されて死んだらしい。
標的なんてきっとなかったであろう通り魔にも、こいつが羨ましく見えたのだろうか。
「急に痛くなって。体全然動かなくて。呼吸も上手くできなくて。あぁ、死ぬんだ。って思いました。その時に、色々な事が頭をよぎっていて。走馬灯ってやつです」
これが、悲しいの理由。
この幽霊は走馬灯を見るほど恵まれた人生を送ってきたのだろう。
「死ぬって簡単ですよね。心臓止まったり、血が足りなくなればすぐです」
「自分が幽霊だって気づいたのはいつ頃だったんだ?」
「わかんないです。気付いたらこの姿で、ここにいました」
それでも死んでから時間は経っていたそうだ。前の居住者が見ていたテレビにも自分のニュースは取り上げられていなかったらしい。
「…やっぱり、恨みとか、思い残した事があったのか?」
「あはは。あったら良かったんですけどね。刺した人恨んでも仕方ないし、幽霊になったところで仕返しができたりなんてしないんですよ。現に人と喋ったのも、あなたが久しぶりです」
「…それは僕が死にたいと思った事に関係があるのか?」
「さぁ。知りませんよ。幽霊は物知りさんじゃないんです」
でも、今まで見えていなかったということは、そういう事だろう。
「てっきり、僕の死にたい気持ちを察してお迎えに来てくれた死神かと思ってたのに」
「嫌ですよ、そんなの。死ぬなら一人で勝手に死んでください」
すごく冷たい。
なんなんだこの距離感は。
「はは……思えば僕も、人と喋るのは久しぶり、かな」
「人じゃなくて幽霊ですけどね。美少女の」
美少女はいらないだろう。美少女は。
「なぁ。苦しまずに死にたいんだが、どうすればいいか知らないか?」
「苦しんで死んだ私になんてこと聞くんですか。苦しんで死ぬ方法なら先ほどのナイフを首に突き刺す方法で間違ってませんよ」
言われて、手に持ったナイフを見る。さっきまでは自分に突き立てる事になんの抵抗も無かったのに、何故だか今見ると手が震え出してしまった。
「あーあ…また、怖くなっちまった」
幽霊と喋っただけで死にたくなくなるのか。…その程度の気持ちだった、というだけかもしれないが。
「あはは。意外とチキンですねぇあなたは」
「……そうだよ。何をするのも怖い。人と関わるのも、生きる理由を探すのも。何もかもが怖いんだ」
「チキンなあなたでも出来ることくらいはあるんじゃないですか。ほら。私とお喋りすることとか」
「なんでお前と喋ること以外出来ないみたいな言い方するんだよ」
「それくらいあなたは何もしていないんですよ。ずっと見てきた中で思った事がそれです。ビビって死にたくなるくらいなら、ビビりながら進んで死にたくなったらどうですか」
ビビりながら進む。
なんというか、それはとても滑稽で。
とても、難しそうだ。
「何にもできずに死ぬのもいいですけど、できるなら何かを残して死にたい、と思いませんか」
……あぁ。
なんだよ。結局止めるんじゃないか。
「…そうだな。幽霊なんて一番怖いものを知ったんだもんな。なら、少しくらいできることはあるのかもしれない、か」
「そうですよ。私以上に怖いものなんてほとんどないですって。そんな私とお喋りできたんだから、あなたにもきっと何かできますよ」
何か、か。
何かできるだろうか。
それを探す事も、できることなのかもしれない。
「あはは。もう大丈夫そうですね。一番怖い私はそろそろどこかへ行くとしましょうか」
背後の気配が遠ざかって行く。
最後になるかもしれないこの瞬間に、僕が投げかけるべき言葉は。
「……ありがとう」
「ふふふ。また死にたくなったら、お会いしましょう」
そう言い残すと、幽霊は完全に消滅していた。
死を知りたい君へ。 もこもこ @hadu0902
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