告白準備


「でさ、告白しようと思うわけ」

「はあ」

夏休み明けの空はどんよりと曇っていた。八月終わりにやっと過ぎていった台風が、また都心めがけて帰ってきているらしい。

前の席の滝田は俺の急ぎの用事も気にせず、椅子ごとこちらに向けて恋バナをしてきた。

正直、相談する相手を間違っていると思うし、迷惑でしかない。

「最近なんか危ういっていうか…やばそうなんだよね」

「児玉さんが?」

滝田は隣のクラスの児玉悠里、ことタマちゃんに夢中だった。彼女と言えば、二年生にして水泳部の女子エース。抜群のスタイルとさっぱりした性格で男女ともに人気を集める、第二学年のアイドルだ。

「うん。この前もなんかわけわからん話ししてたし」

「どんな」

児玉さんと同じ水泳部に所属する滝田は、どうやってか彼女と少しずつ仲を深め、今では、部活後一緒に帰っているらしい。

「なんか…夢の話?」

「かわいい話じゃん」

言うと、滝田は塩素で色が落ちた髪をガシガシとかいた。何かを思い出すように目をギュッと閉じている。

「違うんだって。えっと…ああ、幸せの国とか。チケットとか」

「幸せの国ぃ?」

どこかで聞いた言葉に俺も眉を顰める。

「あ」

「え、知ってんの?」

「ああ。SNSで見た」

スマホを取り出し、アプリで検索をかける。一番上にヒットした書き込みをタップした。

「ほらこれ。『幸せの国に行ってきた!すげえ!ほんとにあった!』とか」

スマホの画面を滝田に向ける。滝田はスマホを受け取ると、下にスクロールした。

「ふうん。噂になってんだ」

「都市伝説みたいなもんだよ。チケットを持って眠ると、幸せの国に行ける!なんてさ」

「ふうん、都市伝説ねえ」

「SNSで話題になったんだけど、一気に広がってさ。大勢が行きたい!やら、行った!なんて大騒ぎだったんだけど」

スマホを滝田から取り上げ、アプリを閉じる。インターネットを開き、また検索をかける。

「うん」

「その中の共通する書き込みがあってさ。それがほら」

インターネットでの検索結果を見せる。黒い背景に赤い字で『幸せの国とは』と書いてある。

「『チケットが必要である。眠りにつくと暗闇の中に扉が現れ、手を引かれる。』…いかにも都市伝説だな」

「『空はピンク色。大きな白い塔がある。その場所にいる人はみんな優しく、気温はいつもぬるま湯のように暖かい。』大勢の人が幸せの国について書き込んで、これらはその中から、ある人たちが共通して書き込んでたこと」

「ある人たち?」

言いながら滝田はスマホ画面に夢中だ。さっきよりもゆっくりスクロールしている。

「そう。それを書き込んでた人はみんな死んだ」

にやりと笑って見せると、滝田は目を丸くしてこちらを見た。

「し、死んだんか」

「まあ本当か知らないけど」

先日、久しぶりに集まったバンドのメンバーとこの話をしたことを思い出した。俺の所属する軽音部はほぼ活動をせず、主に文化祭でのライブに向けての練習しかない。そのためメンバーの多くは兼部をしていて、水泳部に所属する滝田もその一人だ。しかし、その日は水泳部の大会だったため、ドラムの滝田抜きでの曲合わせとなった。ドラム抜きのグダグダした練習はすぐにお開きとなり、俺たちは近くのファミレスに行った。

その時だ。幸せの国とかいうわけのわからない夢の話をしたのも、暇を持て余したボーカルが、書き込みをした人たちの生死について調べたと話し出したのも。

そして、幸せの国のチケットを見たのも。

「え、チケット見たの」

「うん。高木が持ってた。なんか電車の切符みたいなやつでさ。幸せの国、片道、とかなんとか書いてあったかな」


「片道って…帰ってこれないじゃん」

「そう。だから幸せの国に行った奴はその夢の世界みたいなとこから帰ってこれなくなって、死んだことになるんじゃないかって言ってた」

滝田は眉間にしわを寄せながらうつむくと、顎に手を当てた。

「高木は行ったんかな。幸せの国」

「さあ。行ってないんじゃない。だって、さっきも会ったろ。噂が本当なら死んでる」

「そ、そっか」

滝田はつぶやくと、うーん。と唸った。右手で顎を撫でまわしている。

「なに、児玉さんのためにチケット用意しようとか考えてる?」

尋ねると、滝田は一瞬顔をこわばらせ、こちらを見た。

「危険がないならあげてもいいかなって…それでタマがちょっとでも喜んでくれたらさ」

「ふーん。まあいいんじゃない。高木にどうやって手に入れたか聞いとけよ」

「そうする」

 ちょうど話が一段落したところでやり残した宿題を取り出す。滝田もスマホを取り出した。さっそく自分のスマホで幸せの国を検索しているのかもしれない。

宿題に集中したいが滝田がこちらを向いたままでは気が散る。前を向け、と言おうと口を開いた。

「ねえ、滝田くん」

出たのは到底俺の喉では出ない、高く細い声だった。滝田と同時に顔を上げると、クラスメイトの女子が立っていた。あまり話したことはないが、学年で割と目立つ女子なので、名前は知っていた。

「なに?」

滝田が返事をすると、彼女は滝田のそばにしゃがみ込み、口の周りにメガホンになるように手を添えた。声を大きくするためではなく、内緒話のためのようだ。

「ねえ、タマちゃんから連絡来てないかな?」

声を抑えたようだったが、滝田に近い俺には声が届いてしまっていた。滝田を見ると、不思議そうに首をかしげている。

「なんで?」

「知らないんだ…なんでもない。ごめんね」

それだけ言うと、彼女は足早に去っていった。置いて行かれた俺たちは顔を見合わせる。

「どういうことだ?」

「さあ…」

その答えは、その日の夜の滝田から連絡で分かった。



『タマちゃんが行方不明らしい』

風呂上がりに見たスマホには、その一言だけが表示されていた。髪を拭いていたタオルを肩にかけ、メッセージのアプリを開く。

『誰から聞いたん』

そう打って送ると、すぐに返事が来た。

『的井。連絡か何か来てたら教えてくれって』

的井とは滝田と児玉さんが所属する水泳部の顧問だ。昼間に俺たちのところに来た女子は、児玉さんに近い友人として滝田より早めに話を聞かれていたのかもしれない。

『いつから』

『八月二十九日。俺が会った次の日』

今日が九月一日だから、もう三日目ということになる。

『やっぱ何か悩んでたんだよ。ちょっと変だったし』

『それ的井に言った?』

『言った。他の奴も言ってたってさ』

児玉さんの周りからすれば、気にとまるくらい彼女は様子がおかしかったようだ。

『捜しに行こう』

『どこにだよ』

『駅のほうとか』

『そんなので見つかるくらいならもう見つかってるだろ』

『そうだけどさ』

『高二なんだし、ちょっとした家出とかじゃないの。すぐ帰って来るって』

『そうだといいけど』

『お前は告白の準備とチケットでも用意しとけ』

うじうじ言い続ける滝田を何とかなだめ、その日は終わった。

しかし、それから二週間、児玉さんが見つかることはなかった。



二週間たった九月十五日。台風は通り過ぎたものの天気は崩れたままで、肌寒いような蒸し暑いような日が続いた。

児玉さんが見つからないまま月日は流れ、つい先日、文化祭も終わった。俺の軽音部のささやかな活動も幕を閉じ、学校中の浮ついた空気も落ち着き始め、普段の生活を取り戻そうとしていた。その流れは、児玉さんがいない日常までも、普通に変えようとしていた。

そんな中で、いつまでも普通を取り戻せない奴がいた。滝田だ。児玉さんの失踪が分かった日から、滝田はどんどんやつれていった。覇気がなくなり、体調不良から部活も休みがちになった。

十中八九、原因は児玉さんだが、その児玉さんも見つかりそうにない。児玉さんが消えて一週間したころ、クラスごとに彼女が失踪したことと、誰か手がかりを知っている人はいないかという話が担任からされたが、誰もそれらしい情報を持っている者はなかった。分かったのは、この学校で彼女に最後に会ったのが滝田ということだった。

その事実は児玉さんがいないことで消沈する滝田をさらに苦しめた。滝田のうつろな目は、ぼんやり窓の向こうを見ていた。

金曜日。顔の青ざめた滝田が心配だったが、バイトのために滝田を置いて早く帰った。いや、バイトもあったが、その日の、久しぶりに見た意思を感じさせる滝田の視線に、安心してしまったのもある。そして休み明けの月曜日。

滝田がいなくなった。



滝田の失踪は、初めは大事にならなかったものの、三日たつと大騒ぎになった。同じ学校から二人も行方不明者が出た、とついに警察沙汰になり、俺と隣の児玉さんのクラス、そして水泳部の生徒はみんな一人ずつ話を聞かれることになった。

俺たちのクラスが事情聴取に指定されたのは図書室だった。担任の授業である国語の授業中に一人ずつ名前を呼ばれ、ついに俺の番になった。

「失礼します」

図書室に入るのは、一年生の教室案内の時以来だった。静かな部屋に、よどんだ空気が充満している。押し込めた本と、閉じ切った窓のせいだろう。

「どうぞ、座って」

刑事らしき女性に促され、正面の椅子に座る。女性の隣には図書館の司書が座っていた。

「笹井青嗣くんで合ってるかな」

「はい」

答えると、女性は机に置いた紙にチェックをした。クラスの名簿だ。

「笹井くんは滝田くんと一番仲が良かったって聞いてるけど」

女性は右耳に髪をかけながらそう言った。つりあがった目は、警察官である誇りを感じさせる。

「はあ、たぶんそうだと思います」

「最後に会ったのはいつ?」

「先週の金曜日です」

女性は手帳を取り出し、何やら書き込んでいる。

「最近どんな話をしてたかな」

言い方を柔らかくしても、少し低めな声のトーンや、鋭い視線のせいで、体がこわばる。

負けないように小さく息を吐き、背筋を正す。正直に話すべきか一瞬考えたが、俺自身滝田を心配する気持ちがあったので、知っていることは話すことにした。

「児玉さんの話が多かったです」

「E組の児玉さんね。仲が良かったの?」

「俺は直接二人が話してるのは見たことないです。けど、水泳部の奴に聞けばわかるんじゃないですか」

「ぶっちゃけ、二人は付き合ってた?」

「いいえ。滝田の片思いです」

勝手に人の秘密を言うのはどうかと思ったが、滝田の失踪に児玉さんへの思いが絡んでいるのは確実なので、言ったほうがいいと判断した。

「そっか。じゃあ、滝田くんは笹井くんから見てどんな人だったかな」

どんな、と言われても、答えにくかった。普段の滝田を想像してみる。

「馬鹿で勝手に突っ走るけど、正直で、努力家だと思います。悪いやつではないです」

 滝田の性格をフォローしつつそう伝えると、女性はさっきよりも多めに何か書き込んだ。

 その後、いろいろ聞かれたが、どれも手掛かりにはならなかったようで、俺の事情聴取は終わった。教室に帰り、授業に戻る。滝田の席を見ると、机の中に大量の教科書が見えた。その一番上に、教材にしては小さく、薄いものが載っているのが見えた。

ぼんやりしているうちに授業が終わり、呼ばれたように滝田の席に向かう。机の中に手を突っ込み、件の物を取り出す。

それは、見覚えのあるジャケットのCDだった。ライブでしか手に入らないもので、最近このバンドにハマった俺に、以前から知っていた滝田が貸す約束をしていたものだった。

「あ、このCD持ってる」

ネットでそのCDを買えないか探していると、滝田がそう声をかけてきた。

「え、持ってんの?」

勝手にスマホを覗き見た無礼も注意せず、俺は話を続ける。

「うん。いとこの兄ちゃんの知り合いの知り合いでさ。ライブ行ったんだ」

「まじか。今度貸してよ」

「コンビニのチキン買ってくれたらいいぜ」

滝田はそういうと、マヨネーズ味な、と付け加えた。マヨネーズ味はノーマルより少し高い。

「じゃあお前が持ってきてくれたら買ったる」

「よし。いいだろう」

そんなくだらない会話を思い出す。あれは夏休み前のことだ。あいつ、一か月も約束すっぽかしてやがった。

「持ってきてんなら貸してくれればよかったのに」

待望のCDとの対面に胸が熱くなる。さっそく聞きたいが、友達のとはいえ、勝手に持って帰るのはどうだろう。

とりあえずCDを机の中に戻し、スマホを取り出す。

『お前の机ん中にあったCD借りてっていい?』

気づけば、児玉さんが失踪した時以来、初めての連絡だった。自分が思っていたよりも冷淡であったことに気づかされる。

メッセージを送り、次の授業のために席に戻る。その後、いつもよりスマホをチェックするようにしていたが、滝田からの返信はなかった。



風呂から上がり、ベッドに寝転がる。バンドの情報を見ながら返信を待った。しかし、返信どころか既読さえつかない。

「どうせ児玉さんを探しに行ってるんだろ」

溜息をつき、なんとなく滝田との前の会話を見る。

『お前は告白の準備とチケットの用意でもしとけ』

ふと、自分の発言が目についた。まさかとは思うが、チケットを探しに行ってるんじゃないだろうか。

我ながら馬鹿げた考えに苦笑しつつ、その日は眠った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイランド はし @ksn8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る