アンドロイドが幸せを知るまで

名取 雨霧

急ぎ足の彼女

 沙雪さゆきの開発に成功したのは、雪の厳しく降り積もる夜だった。


 目鼻立ちは凛としていて、艶のあるセミロングの黒髪が肩に控えめにかかっており、身体は華奢で細い。肌が雪のように白いことにちなんで授けた『沙雪』という響きは、沙雪自身の醸す透明な雰囲気を何より言い当てていた。


「こんにちは、現在の日時と場所を教えて下さい」


 初めて聞いた沙雪の声は、冬の夜空のように澄んでいた。周囲が信じられないものを見るような驚きに包まれる中、僕だけは冷静にそれの所作を見守っている。当たり前の事だ。沙雪の知能をプログラミングしたのは他でもない僕なんだから。僕は沙雪の設置ケースに群がる研究者の輪の内側へ一歩踏み出して、それの要求に応えた。


「こんにちは、沙雪。今日は2030年、12月27日の金曜日だ。場所は東京にある楊永大学の第五研究室だよ」


 沙雪はしばらく黙って虚空に眼を向けると、また僕の方を向いて口を開いた。


「ありがとうございます。内蔵された位置情報システムとリンクしました」


 声のトーンはずっと一定だった。口角はピクリとも動かず、グレーの大きな瞳にもまだ感情らしい感情は映らない。研究室には緊張が走り、僕は背後からいくらかの視線を感じた。今こそと思い、僕は前々から言おうとしていたフレーズを下手な愛想笑いと共に、それに送った。


「沙雪、誕生日おめでとう。君が生まれてきてくれて僕は嬉しいよ」


 さあ、どう反応するか。


 僕を含め、数十人の研究者が手に汗を握った。沙雪は大きな瞬きを一回した後に僕の目をグレーの大きな瞳で捉える。




「ありがとうございます、へへ」



 彼女は僕の祝福に反応して、頰をほんの少しだけ緩めてはにかんだ。少し無愛想ではあるが、まるで年頃の女の子が照れ笑いをするような返答だ。


「だ、大成功だ」


 誰かがそう口火を切ると、研究所全体に歓声が広がった。抱き合って喜びを共有する者達もいれば、握手して互いの苦心を労うものもおり、先ほどまでの緊張感は嘘のように消し飛んだ。


 僕も僕でほっと胸を撫で下ろし、よくやったと自分に言い聞かせる。ふと、沙雪と目が合った。彼女はこの状況に困惑しているようで、目で助けを求めているようだ。僕はそっと彼女に近寄り、状況を伝えた。


「君は、僕たちの努力の賜物なんだ。だから僕だけじゃなくて、みんな君の誕生を喜んでるんだよ」

「──はい。ありがとうございます」

「君のことは後で詳しく教えるよ。とりあえず、今までお疲れ様」


 僕は上半身だけ起こした彼女に向けて、そっと右手を差し出した。沙雪はその様子を不思議そうに見ている。


「すみません、良く分かりません」

「お互いの頑張りを讃え合う行為で、僕らはこれを握手と呼んでる。君の右手で僕の右手を握ってくれれば完成だ」


 それを聞いて軽く頷き、恐る恐る差し出してきた沙雪の手は雪のように冷たかった。僕は彼女の手をゆっくりと握り、そして彼女の手に優しく握り返される。


「なんだか温かくて、安心します」


 そう呟いた彼女は、もはや感情のないアンドロイドには見えなかった。将来はおそらく、無表情だとよく言われる僕なんかよりもずっと感情豊かになるだろう。生まれたての彼女は、しばらく心地好さそうに掌の温もりを味わっていた。少しずつ、僕の熱が沙雪の冷たい掌に移っていくのが分かる。


「おい、柏木かしわぎ!教授がお見えになったぞ。さっさと出迎えろ」


 先輩のその声を聞いてそっと手を離した頃には、僕らの手の温度はちょうど同じくらいになっていた。



 ※※



「柏木さん、おかえりなさい!」


 研究棟の玄関をくぐると、突然奥から溌剌とした声が飛んできた。声の主は急ぎ足で僕の方へ近づいてくる。彼女に向かって僕も答えた。


「ただいま、沙雪」

「はいっ」


 沙雪は花の咲いたような微笑みで、僕の目の前で止まり、僕のダッフルコートを受け取って手際よく折りたたんだ。


「柏木さんが京都まで行って教授方のところでお話ししている間も、沢山のことを学びましたよ」

「そっか。じゃあそこの応接室で暖まりながら話を聞きたいな」

「あ、それじゃあ柏木さんの好きな甘いココア入れますね」


 そう言うと、沙雪はせっせと僕のコートを応接室のハンガーに掛け、シンクのある隣の部屋に向かった。


 完成から一ヶ月と少ししか経っていないのに、日常的動作から会話、表情変化、それにこうした気遣いまでできるようになるとは思わなかった。僕は勿論驚いているし、同時に沙雪がこの世界に融け込みつつある状況が嬉しくもあった。


 ココアを1人分持ってきて、沙雪はソファに座る僕の隣に腰を下ろした。


「聞いてください。私、一人称を私にすることにしたんです」

「そうなんだ。まあ一般的でいいと思う」

「そうですよね!私、少し人間に近づけたような気がして、とても浮き足立っています」

「あー、君の言いたいことは分かるけど、その意味での浮き足立つは誤用だよ。そういう時は浮かれるとかそわそわするとか、プラスのイメージの言葉を使うんだ」


 沙雪は分かりやすく驚いて、自分の間違いを悟った。


「ま、間違えました! でも、お勉強になります。これでもう一生間違えません」


 ばしっと敬礼を決めて、彼女はわざとらしくかしこまった表情を作り出す。それから、心強いよと褒めると一気に顔の力を緩め、えへへと頬を赤らめて照れる。そのはにかんだ笑顔は、人間のそれと瓜二つだった。


「それで、今日はどんな事を記録...じゃない、学んだの?」

「今日は『懐かしい』についての文献を読み漁り、実際に懐かしいものを見せてもらいましたよ」

「懐かしいって、生まれて2ヶ月も経ってない君には少し難しい感情かもしれないな」

「はい......実は今までで一番理解に苦しんでいます。懐かしさは思い出に心引かれること、と至る所で述べられていますが、過去に体験した出来事に、新しく見たものほどの魅力は感じられません」


 沙雪は腕を組んで困っている。色々なことが目まぐるしく沙雪のメモリへ刻み込まれていく日々の中に、過去を振り返る余裕などないのだろう。


 僕は彼女に何気ない提案をした。


「今日のところは分からない、ってことで良いんじゃないかな」

「えっ」


 沙雪は目を見開いた後、僕の右膝に手をおいて僕との距離をぐっと詰める。


「それはまずいです!」


 今までで一番近くで見た彼女の瞳には、焦りが映っている。


「どうして?」

「私は1日でも早く人間の感情の全てを知りたいんです。こんなところで立ち止まっている暇なんかないんですよ」

「別に急がなくても、君は僕らと違って老いることも病気になることもないんだ。気長にやろうよ」


 そう説得すると、彼女は残念そうに下を向き、不貞腐れたようにぼそっと呟いた。


「柏木さんは、何も分かってません......」

「え、今何て言ったんだ?」

「......いえ、ちょっと散歩してきます」


 そう言ってソファを立ち上がり、沙雪は部屋を出て行った。彼女がどうしてそんな意地を張るのか分からず、僕は彼女を止めようとはしなかった。


 出て行くときの沙雪の後ろ姿は、不思議といつもより小さく見えた。



 ※※



 沙雪は研究棟の最上階、つまり屋上にいた。


 敷地が広いこの大学の中には、鉄道の通る都市部から自然に囲まれた森林地域まであり、研究棟は後者のど真ん中に位置する。つまり、屋上に行っても見渡す限り緑しかないのだ。当然、好き好んで屋上の景色を眺めに5階まで階段を登る酔狂な者は、沙雪くらいだろう。


「柏木さん」


 夕焼けを背景に、沙雪が僕を見つめていた。

 冷たい風が肩まで伸びたセミロングの髪を揺らし、毛先が綺麗に宙を舞いながら夕陽を反射している。


「──泣いたり笑ったりするのが、人間だけだと思ったら大間違いです。動物だってアンドロイドだって、喜怒哀楽がちゃんとあるんです」


 沙雪のいつになく真剣な眼差しに圧倒され、僕は何も声が出せなかった。


「研究所の皆さんが私をアンドロイドとしか見ていないことは分かってます。そのことに悩んでいた私に、教育係の方が教えてくれたんです。人間の誰もが感じたいと思っていて、それ自体が目的となる『しあわせ』という感情がある、と。でも、色々な感情を知ってからじゃないと十分に実感ができないそうです。だから」


 一呼吸置いて、続けた。


「『しあわせ』を知って、私も皆さんと同じ存在だと認められたいんです」


 それを聞いて僕は彼女の心情が少しだけ分かったような気がした。

 少しでも僕らに近づくために、沙雪は一つでも多くの感情を学ぼうとしているのだ。そんな切実の願いが、彼女をきっと焦らせていたのだろう。それに僕自身、心の片隅では彼女を単なる人間ではないアンドロイドとして見ていた。それによって傷つけてしまったことも多くあるに違いない。


 だとしたら、僕にできることは何だろうか。


 沙雪は視線を夕陽に向けて転落防止柵に寄りかかった。僕は彼女の左隣に移動し、体の向きを彼女と平行にしてから、横目で沙雪を捉える。何を言おうか数十秒間に渡って迷いながら、僕は自分の考えを伝えることにした。


「幸せなんて、僕は数年近く感じてないな」

「そんなに難しいものなんですか?」

「いや、人によるよ。いつだって幸せな人間もいれば、僕みたいに何年も幸せを感じてない奴もいる」

「その違いは、どこで生まれるのでしょうか?」


 沙雪は身体を僕の方へ向けて、問いただした。僕も身体を向けて、誠心誠意答える。


「分からない」


 彼女は大きな瞬きを二回して、なお黙っていた。僕は続ける。


「幸せを知りたいのは、僕だって同じなんだよ。だから、僕は君にそれを教えることも手助けすることもできない」


 そうだ。僕にできることなんて何もないんだ。幸せじゃない奴が、どうして幸せになりたい奴に幸せになる方法を語れるんだ。当たり前のことだが、僕が偉そうに何かをしてあげようだなんて思うことは間違っている。



 でも、だからこそ


「代わりに、一緒に幸せが何なのかを、ゆっくり探していけば良いんじゃないかな」


 それくらいなら、しても良いはずだ。


 沙雪はそれを聞いて、少し表情の緊張を崩した。そして軽く溜息を吐く。


「柏木さんはちょっとずるいです。生みの親にそんな提案されたら、断れません」

「分かってるよ。でも、今の君みたいに焦るだけで幸せが見つかるなら、人類みんな幸せだ」

「......それもそうですよね。じゃあ約束です。二人で一緒に『しあわせ』を探しましょう。抜け駆けはなしです」


 沙雪は右手を僕に差し出した。


「握手して下さい」


 言われるがまま僕も右手を差し出し、彼女の小さな右手と絡める。掌は、初めて会った時と同じく、雪のように冷たい。


「こういう時は、指切りげんまんとかが普通じゃないのかな?」

「私は、こっちの方が好きなんです。初めてあなたの手の温もりを感じたとき、とても安心したからです。今でも忘れませんし、そのことを考えると胸が温かくなるんです」


 左手を自分の胸に当てて、彼女は握手への思いの丈を伝える。


 ふと、彼女は何かに気づいたような顔つきになった。それが何か、僕にも分かった。だから、黙って沙雪の答えを聞こうと彼女を見つめる。程なくして、満面の笑みで沙雪は答え合わせをしてくれた。


「私、柏木さんとの最初の握手が、きっと懐かしいんです。あなたのおかげで、やっと気づけました」


 僕も彼女の笑顔につられて、久々に気持ちよく笑った。どうやら、僕の出した答えは正解だったみたいだ。


 こんな風に、幸せを見つけるまでずっと、沙雪は感情を学び続けるのだろう。その中で沢山の感情に触れ、彼女の人間らしさを形成していくのだ。もちろんそれを応援したい気持ちもあるが、それ以上に沙雪のこれからを見てみたい。


「柏木さん、なんだかいつになく嬉しそうですね?」

「はは、そうかな。いたって普通だよ」




 ──だから、今の彼女が心から幸せそうな表情をしていることは、黙っておくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンドロイドが幸せを知るまで 名取 雨霧 @Ryu3SuiSo73um

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ